#4 文明の白日と天使の昇天

「ミカ、遅れちゃうわ。急いで急いで!」


昔、ミカが「天使は運動神経や体力も引き継げるようにすべきだ。」なんて大真面目に語っていたのを思い出した。私が「学者にそんなに体力なんてあると思う?引き継いだって無駄よ、無駄。」と笑ったら、ミカは「エナは運動神経も高いじゃないか。不公平だ。」なんてぶつくさ言ってたっけ。


「君が時間も無いのにケーキが食べたいとか急に言い出すからこうして走るハメになっているんじゃないか!だから私は早く行こうと言ったのに!」


ミカは、ぜえぜえと息を切らしながらも悪態を突いていた。


「貴方だって、一緒に食べてたでしょう?食べ終わったのも貴方の方が遅かったじゃない。」


「君が勝手に私の分も頼むからじゃないか。そもそもなんで君は私以上に食べていたのに、平気で全力で走れるんだ……。うっ……吐きそう……。」


振り向くと、ミカは本当に吐きそうなくらい顔色が悪かった。いざとなったら抱えて行こうかななんて冗談半分で考えるくらいには。実際には、その心配は無かった。電車が来る十分程前には、駅に到着出来た。


ふとミカの方を見てみると、彼女は満身創痍といった様子だ。息を切らせて、地面にへたり込んでいた。電車が来る前には歩けるようになるといいけれど。昔のミカだったら間に合わなかったね、体力ついてるじゃない。なんて言うと、おかげさまでねと返された。ミカってば、段々私のお姉ちゃんみたいな事を言うようになってきたなぁ。


流石にミカに悪い事をしてしまったかなと、私は彼女のために飲み物を取って来る事にする。地図を見ると、さして離れている訳でもないから歩いて行こう。駅の構内には、私の靴の音と、清掃用ロボットの稼働音だけが響いていた。


ほとんど誰も使うことは無いのに、それでも清掃用ロボットは駅構内を掃除して回り、清潔に保ってくれている。そんなはずはないのは分かっているけど、私達の為に掃除してくれていたような気がして、少し嬉しくなった。


戻ってきた頃にはミカの様子も落ち着いていた。


「私の次の使命は決まったよ。運動だ。君より体力をつけて、今度は君を振り回してやる。」


「あら、楽しみね。」なんて笑って見せる。公平に見て、ミカは運動神経は全くない。どんなに頑張ったって、私程動けるようになるとは思えないけれど。本人も分かってるくせに、そんな事を言えば、きっと、ぷんぷんと怒った振りをするんだ。だから、持ってきた飲み物を手渡し話題を強引に切り替える。


「そういえば、どうして中央に呼ばれたんだっけ。ミカ、聞いてる?」


君も聞いていたはずだろうと、ミカは呆れたように答えた。


「ルキさんが、何か頼みたい事があるんだって。現地についてから内容は話すって言ってたから、何の話なのかまでは教えてもらっていないはずだけどね。」


ルキというのは私達の先輩の天使だ。天使が初めて作り出された時代から数百年、政治学についての知識を引き継いできたと言われる天使であり、今のこの世界で、ほとんど唯一の働いている人間でもある。


働いているといっても、暴走が発生しないよう念の為コンピュータの作り出した政策を点検しているだけだ。天使が生まれる以前も含めて、コンピュータが暴走した事なんてないらしいけど。


点検の内容も、政策が他の方針と無矛盾であるかどうかを確認するくらいで、彼の意志が介在する余地は全くない。そもそも作業量自体がほとんどなく、冗談抜きに数年に一度数時間で終わると言っていた。既に世の中が安定して停滞している為、コンピュータも新たな法律なんて滅多に作らないし、作る必要もなかった。


一応使命自体は一生続く訳だが、暇で暇で仕方ないと漏らしていた。目標を持って行動できる他の天使が羨ましいとも言っていた。


「でもルキさんが用事って何かしらね?まさか仕事を手伝って欲しいなんて事無いでしょ?」


「仕事の手伝いなんて絶対にありえないね。あの人、石に齧り付いてでも自分の仕事を他人に渡したりしないよ。意味のない仕事だとは分かってるけど、それでも自分の生まれ持った使命だって前に言ってた。」


「一生続く使命なんて。羨ましいわね、誰かさん?」


「思ってもない事を言うものじゃない。そんな事言えばルキさん、きっと怒るよ。言いつけてやろうか。」


「やーめーてー。あの人怖いのよう。」


「……怖いって言ってたとも言いつけてやろうか。」


他愛もない話を続けているうちに、電車がやってきた。


乗客は私達二人だけのようだ。昨今交通機関を利用する人間は殆どいないとはいえ、ここまでガラガラなのは流石に珍しい。少し寂しい気もしたが、ミカが居るから大丈夫だ。私はミカの腕を引っ張り、座席の中央に陣取った。


「お嬢様、この電車は貸し切っておきました。どうぞこちらへ。」


「最近読んでるっていう、古典の影響かい?さっきも言った通り私も少しは古典を読んだけど、一般的に言ってお嬢様の腕を引っ張る執事は無礼なんじゃないかな。」


「無礼講よ無礼講、私とあなたの仲じゃない。」


「多分無礼講って言葉の使い方も間違っているよ。」


楽しい時間というのは、早く過ぎてしまうものだ。中央に着くまでミカと何を話そうか。中央での用事が終わったら、ミカと何を食べよう。何をして遊ぼう。ミカ。使命なんてなくったって、一緒に居られればきっと楽しいよ。


二人の時間は唐突に終わりを迎えた。ふいに、時間の流れがゆっくりになる感覚を覚える。生まれて初めての感覚に困惑していると、次いで身体が浮遊する感覚を覚える。直後、大きな爆発音が聞こえた。何が起こったのか、直ぐには分からなかった。火薬の、鼻孔を刺すかのような臭いが充満する。全身に鋭い痛みを感じる。でも、直ぐに痛くなくなった。視界が暗転する直前、私の身体が実際に宙に浮いていたのを見た。ここでようやく理解した。この電車は爆破させられたんだ。そして、痛みすら感じられなくなった私は、きっと、死んじゃうんだろうな。


私の瞳が光を取り戻した時、私の身体は動かなくなっていた。目の前には、額から血を流しながら大泣きしているミカが見える。ミカも怪我をしているようだが、私と違って軽傷で、何とか動けるようだ。


ミカがなんて言っているのかは聞こえない。でも、多分私の事を心配してくれているのだろう。きっとそうだミカは、そういう娘のはずだ。


でも、違うのよ。ミカ。私は貴方の泣き顔なんて見たくない。


ミカ、笑ってよ。私、貴女の笑顔が好きだったのよ。

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