皮肉屋侯爵と辛辣女王
平井敦史
第1話
本作は歴史を題材にしたフィクションです。
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●1657年 パリ
「『賢者の不動心とは、心の動揺を胸中に閉じこめる技巧に過ぎない』。これなどはいかがですかな、陛下?」
私が差し出したメモ書きを
「嘘ですね。それは偽善者の習性であって、賢者のそれとは言えないでしょう」
「……なるほど。あいかわらず辛辣ですな、陛下は」
ハンケチで顔を
私の名はラ=ロシュフコー公爵フランソワ六世。
その栄光ももはや地に落ちたと言うべきだろう。
若い頃より、
すべては祖国フランスのため、そして王家のためだ。
王太后陛下(アンヌ=ドートリッシュ)の
しかし、リシュリュー亡き後、王太后陛下は我々の期待を裏切り、マザラン枢機卿という
マザランの課した重税や、彼がイタリア人であることに対する反発から、我々貴族のみならず民衆まで巻き込んで、フロンドの乱と呼ばれる大規模な反乱が勃発することとなる。
一時はマザランも国外に逃亡する羽目に陥ったのだが、フロンド派は仲間割れの末に瓦解、舞い戻って来たマザランは、今も宰相として権勢を
そして私はといえば、奴が我が世の春を謳歌するのを横目に見ながら、一連の
今日、セーヌ河畔の我が屋敷には、先述のとおり一人の貴婦人をお招きしている。
元スウェーデン女王クリスティーナ陛下。
お父上であるグスタフ二世アドルフ陛下がリュッツェンの戦いにおいて戦死を遂げられたことから、弱冠六歳で即位なさった。
聡明で教養豊かな君主として臣民から愛された女王は、しかし三十前の若さで突如として王冠を捨てられた。
それが三年ほど前のこと。
祖国を離れた女王陛下は、かの国の国教であるプロテスタントからカトリックに改宗し、今はローマに居を構えておられる。
そして昨年から
陛下は私が社交界で披露していた箴言に興味を持たれ、今日こうして我が家を訪れてくださった次第だ。
少女の頃からフランス語を学んでおられた陛下は、高名な哲学者ルネ=デカルトを招いて講義を受けられたというほどで、会話にはまったく不自由ない。
「『人間は受けた恩誼や非道い仕打ちの記憶を失いやすいだけではない。自分によくしてくれた人を憎みさえするし、自分を踏みにじった人を憎むのもやめてしまう。善に報い悪に復讐しようとひたすら心掛けることは、人間には桎梏のように思われて、服し難いのである』。こちらはいかがでしょう?」
女王は小首を傾げて、
「それは終始フランス的ですね。私は、恩は決して忘れてはならず、ひどい目にあわされても常にゆるすべきだと信じています」
と、おっしゃった。
うーむ、そうだろうか。
私はこれまでの人生でそのような人間を何人も見てきたのだが、それはフランス人の気質だということなのか。
ちょっとじっくり考えてみるとしよう。
「では、こちらは? 『われわれを幸福にするために肉体の諸器官をかくも巧妙に組織した自然は、どうやらそれと同時に傲慢を与えて、われわれが自分の不完全さを知る辛さを味わわずにすむようにしたらしい』」
「私はそうは思いませんね。傲慢は不完全を克服するために与えられているのだと思います」
「なるほど――。では、陛下は随分と傲慢なお方と見えますね」
私の少々失礼な軽口に、陛下は寛大な笑みで応えてくださった。
そして、テーブルの上のメモ書きのいくつかに目を走らせ、気にかかったものに寸評をくださる。
「『自分を偉いと信じている人たちは、逆境にあることを名誉とするが、それは、自分は運命から狙い撃ちされるほどの大物だと、他人にも自分にも思いこませるためなのである』、ですか。なんと滑稽な弱さでしょう! けれど逆に言えば、人はそうやって、逆境に耐えるものなのかもしれませんね」
陛下の物の見方は柔軟で、私も色々と示唆を受けた。
もっとも、
「『われわれが友情にかけてこんなにも変わりやすいのは、心の善し悪しを知ることが難しくて、頭の善し悪しを知ることが容易なためである』。うん、わけがわからないところがありますね」
ばっさりと斬り捨てられたりもするのだが。
「『いったんほんとうに愛が冷めてしまったら、二度とその人を愛することは不可能である』。……そうでしょうか。人は人生に一度しか愛せない、と私は思います。そして惚れたとなれば死ぬまで続くものでしょう。しかしその類の愛は稀ですし、それが当然です。なぜならそれにふさわしい人はめったにいませんから。愛さなくなることができるなら、それは決して愛したのではないと思います」
女王の言葉に、私は思わずお顔を凝視してしまった。
理知的な暗い色の瞳に見つめ返され、慌てて顔を伏せる。
クリスティーナ陛下は、その在位中も退位後も、独身を貫いておられる。
しかし、噂では、その生涯にただ一人心から愛した男性がいるという話だ。
その人物の名はカール=グスタフといい、女王の父上グスタフ=アドルフ陛下の
この四歳年上の
よい結婚はあるが楽しい結婚はない――というのは、政治的理由でもって結婚相手を決めざるを得ない、それどころか自分で決めることすら許されない大多数の貴族にとっては真理だと思っているが、お互いに想い合っているのであれば、幸せな結婚というものもありえたのではないか。
しかし、女王にとっては、愛する男性を婿に迎えることよりも大切な、守るべき何かがあったのだろう。
結局、女王は独身のまま王位を捨て、王冠を従兄に譲った。
それが現在のスウェーデン王・カール十世グスタフ陛下だ。
女王が王位を捨てた最大の理由は、プロテスタントを捨てカトリックに改宗することだったと世間は見ている。
だが、はたして本当にそうだろうか。
実際、ローマの法王猊下は、せっかく“
誤解のないように言っておくが、女王は決して不信心なわけではない。
むしろ、神に対して誰よりも敬虔であるからこそ、プロテスタントもカトリックも、彼女の真の信仰を満足させ得ないのではないだろうか。
私が物思いに
「ああ、これは良いですね。『恋を定義するのは難しい。強いて言えば、恋は心においては支配の情熱、知においては共感であり、そして肉体においては、大いにもったいをつけて愛する人を所有しようとする、隠微な欲望にほかならない』。――なんと感嘆すべき、そして真実な定義でしょう!」
そして、私をまっすぐに見つめながら尋ねられた。
「公爵は、これらの箴言を本に纏めるおつもりはないのですか?」
いや、そうしてはどうかと勧めてくれる人も少なくないのだが、正直なところ躊躇いがある。
「私の箴言は社交界で評判を得てはおりますが。『年寄りは悪い手本を示すことができなくなった腹いせに、良い教訓を垂れたがる』。所詮は世に
私がそう答えると、女王は思慮深げな眼差しでじっと私を見つめた。
「そういう一面は確かにあるかもしれませんね。でも、
「いや、それは買い被りというものです。私はただ皮肉を垂れ流しているだけですよ」
すると、女王はちょっと
「そうでしょうか。『人びとが友情と名付けたものは単なる付き合い、利益の折り合い、親切のやり取りに過ぎない。所詮それは、自己愛が常に何か得をしようと目論んでいる取引きでしかないのである』、とか、『われわれはしばしば自分より有力な人たちを愛していると思いこむ。がしかしその友情は利欲だけから出たものなのだ。われわれが彼らに尽くすのは、彼らによいことをしたいからではなく、彼らからよくしてもらいたいためなのである』、とか」
そうおっしゃりながら、一枚のメモ書きを取り上げ、
「そういった
「――!」
思わず、頬が熱くなるのを感じる。
十歳以上も年下の女性に自分の本質を見透かされてしまうというのは、思いのほか恥ずかしいものだ。
「少々失礼なことを言ってしまいましたね。お詫びいたします。が、公爵。ご自分を卑下なさることはないと思いますよ。あなたがこうして箴言を口になさるのは、世の中の偽善だとか建前といったものに、戦いを挑んでいらっしゃるのでしょう?」
女王の言葉に、私は虚を突かれた。
私の中に、まだ武人の血が残っていると言ってくださるのか。
「いえ……、そのような勇ましいものではありませんが」
「まあ。ふふっ」
女王は楽しげに微笑まれた。
「今日は楽しゅうございました。お招き感謝いたしますわ、公爵」
「いえ、こちらこそ。わざわざのお運び、感謝に
ひとしきり歓談し、陛下はフランス産のワインに舌鼓を打たれたが、楽しい時間もいつかは終わりが来るものだ。
「フランスにいるうちに、またお会いできる機会があればよいのですが……」
そう、陛下はもうすぐこの国を離れられる。
そもそも、フランスに来られたのは物見遊山のためではない。
王位を捨てた後も女王としての格式を保とうとなさっている彼女は何かと物入りで、優雅に振舞いつつも金策に奔走中なのだ。
フランス社交界での女王に対する評判は、必ずしも好意的とは言えなかった。
元女王に期待していた“淑女らしさ”にかなう振舞いをなさららなかったからだ。
けれど、彼女は淑女である前に何よりも女王であったのだ。
その誇りを
「できることなら、私もいくばくかの援助を差し上げたいとは思っているのですが……」
恥ずかしながら、我が公爵家も内情は火の車だ。
度重なる
「そのお気持ちだけで十分ですよ、公爵。それでは
「
陛下をお見送りし、私は若干の寂寥感と、楽しかった時間の余韻を味わった。
●1670年 パリ
『箴言集』の出版については、なかなか決断できずにいた。
しかし、六年ほど前、私の箴言をまとめたものが無断で刊行されるという事件がオランダで起き、急遽版元と契約を結んで、正式に刊行する
正式な書名『考察あるいは教訓的格言・箴言』、略して『箴言集』は、予想以上の反響を呼び、版を重ねていくこととなった。
この
私はローマの陛下に手紙と草稿を送り、その返信が今手元にある。
陛下は私の
彼女がフランスを訪れたのは、もう十三,四年も前のことになるか。
あの後、彼女の身にもさまざまなことがあった、と聞き及んでいる。
陛下がフランスを去られて三年ほど後、スウェーデン王カール十世グスタフ陛下が崩御された。
クリスティーナ陛下と愛し合うも結ばれることなく、彼女から王位を譲られることとなった、というあのお方である。
かのお人は、即位以来ポーランドやデンマークとの戦争に明け暮れ、ついに陣中にて
跡を継いだのは、当時まだ四歳のご子息、カール十一世。
そこで、クリスティーナ陛下は予想外の行動に出られた。
彼女はストックホルムに赴き、自分が譲位したのはカール十世とその後継者であって、十一世に万一のことがあれば、自分が王位に返り咲く、と宣言されたのだ。
もちろん、プロテスタント国であるスウェーデンが、すでにカトリックに改宗なさっているクリスティーナ陛下を受け入れるはずがない。
彼女はスウェーデン国内の支持を得られず、王位継承権も正式に放棄して、ローマに引き上げることとなった。
いや、聡明な彼女がこの結末を予想していなかったということはないだろう。
無理を承知の上で、それでも彼女はふたたび女王たらんとなさったのではないだろうか。
あるいは。
かつて愛したお方の幼い忘れ形見に対して、よからぬ考えを
さらにその後、彼女はポーランド王――このお方も女王と同じヴァーサ家の血筋だ――が退位なさった際、国王選挙に立候補なさったが、これもあえなく落選。
ようやく、ローマに腰を落ち着けられるに至ったと聞く。
女王たらんと欲してその望み叶わず、失意に沈んでおられるか、といえば、手紙を読む限りでは、そのようなことはなさそうだ。
たとえ、現世において女王たること叶わずとも、あの方の魂は今も――いや、きっと天に召されたその先においても、永遠に女王であり続けることだろう。
手紙の力強い筆跡に、あの方のひととなりを思い返し、思わず頬がゆるむのを感じた。
箴言291「人の偉さにも果物と同じように旬がある」
クリスティーナ女王評「表現は悪くない。しかし私は、真の偉さは季節を選ばず、また決して季節はずれになることもないと思う」
――Fin.
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主要参考文献(敬称略)
二宮フサ訳『ラ・ロシュフコー箴言集』岩波文庫 箴言および寸評は本文献より引用。
下村寅太郎著『スウェーデン女王クリスチナ バロック精神史の一肖像』中公文庫
皮肉屋侯爵と辛辣女王 平井敦史 @Hirai_Atsushi
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