放課後メディア相談室
クラウス
第1話 放課後メディア相談室へようこそ
視聴回数 1,2xx,xxx
高評価 2.4万
低評価 18.1万
コメント欄には、短い言葉が積もっている。
「これ高校生でやること?」
「親なにしてんの」
「炎上商法おつ」
「でも結局、再生数勝ちじゃん」
その横で、グラフが静かに伸びていた。
インプレッション。クリック率。視聴者維持率。
誰かの怒りも、失望も、面白がる気持ちも、全部まとめて一本の線になる。
サムネには、制服の少年少女が笑って並んでいる。
その真ん中にいたはずの少年だけが、もう画面にはいない。
◆
「……
名前を呼ばれて、
五時間目の終わり。
チャイムの音が教室から消え、空気が少しゆるむ。
「放課後、職員室な」
黒板の前で出席簿を閉じながら、
「テストの話と、もう一個」
「……はい」
それだけ。
クラスメイトは、特にざわつきもしない。
一年のときに大きく燃えた事件だ。
同じクラスのやつらは、もうとっくに「そういうやつ」として処理している。
今さらひそひそする必要もない。
名前を聞いて、少し視線を避けるだけで足りる。
湊は、机の上でスマホの画面を伏せた。
昼休み、いつもの癖で一度だけチャンネルの管理画面を開いてしまっていた。
今日も再生回数はゼロのままだった。
(見なくていいのに)
そう思いながら、スマホをポケットに押し込んだ。
◆
放課後の職員室は、昼間より少し静かだった。
コピー機の音。
マグカップを置く小さな音。
その端の相談スペースに呼ばれて、湊は椅子を座っている。
「まずはテスト」
向かいで、真田先生が答案をめくった。
「数学、ギリギリ。英語、もう少し頑張れ。国語はまあいい」
「……すみません」
「謝らなくていい。やれば点は取れるタイプだろ、お前」
簡単に言われて、返事に困る。
真田先生は、答案を重ねてから、話題を変えた。
「で、もう一個」
「はい」
「情報メディア学習室、知ってるか」
「あの、二階の端っこにある部屋ですよね。パソコンが並んでて、ポスター貼ってある」
「そう。あれ、もともと情報モラル指導のためのスペースってやつでな。学校に一つは作れって言われて、形だけ作った」
先生は、少しだけ肩をすくめる。
「作ったはいいが、誰も使ってない。年に一回、古い注意ポスター貼り替えるくらいだ」
「……そんな感じですよね」
「この前、そこで『動画やってみたい』って相談してきた一年がいたんだ」
「一年?」
「ああ。話を聞いてやりたいけど、俺は配信も編集も素人だ」
真田先生は、湊をまっすぐ見る。
「お前、得意なんだろ。そういうの」
言い方は軽い。
けれど、意味ははっきりしている。
元配信者だったことは、先生も知っている。
けれど「炎上」という言葉はわざと口に出していない。
「……得意ってほどじゃないです」
「少なくとも、俺よりは確実に詳しい」
先生は、ペンをくるくる回しながら続ける。
「そこでだ。放課後、その部屋に顔を出してやってくれないか。機材の使い方とか、最低限のライン引きくらいなら教えられるだろ」
「俺がですか」
「他に誰がいる。動画やってるやつ自体は何人か知ってるが、人に説明できるレベルのやつとなると、お前くらいしか思いつかない」
「……」
ネットには、もう関わりたくなかった。
チャンネルの更新を止めてからも、炎上まとめや切り抜きは勝手に回り続ける。
そこに自分の名前が出るたび、胃が冷たくなる。
(もう、自分の手で増やす側には戻らないって決めたのに)
そう思って口を開きかけたところで、先生が先に言う。
「別に、お前が前に出る必要はない。画面に顔も名前も出さなくていい」
「……」
「教室に入って、座って、聞かれたら答える。それくらいでいい。嫌なら無理に続けなくてもいいから、とりあえず一回」
先生はそこで、少しだけ意地の悪そうな笑みを見せた。
「テストの補習代わり、ってことでどうだ」
「そこ、繋げます?」
「繋げる。教師の権限で」
ずるい言い方だと思う。
けれど、完全に突っぱねるほどの理由もない。
自分がネットに関わるのではなく、誰かがやるのを横から眺めるだけなら、まだマシかもしれない。
「……一回だけですよ」
「おう。一回顔出してみて、嫌だと思ったらやめればいい」
その返事を聞いて、真田先生は立ち上がる。
「じゃあ、今日は一緒に部屋の掃除からな。あのままじゃ、相談どころじゃない」
◆
二階の端。
使われていない特別教室の前で、湊は立ち止まった。
ドアのプレートには、古いフォントで「情報メディア学習室」とある。
その横に、小さな紙がマグネットで留めてあった。
「放課後利用可 担当:真田」
シンプルな紙切れ一枚。
「入るぞ」
真田先生が扉を開けた。鍵は事前に開けていたようだ。
中は、ほこりっぽいが思ったほど荒れてはいない。
壁際にデスクトップパソコンが並び、棚には古いビデオカメラと三脚。
ホワイトボードには、「ネットのルール10か条」の残骸が薄く残っている。
「まだ来てないか……。まずは掃除だな」
「ですね」
雑巾とモップを持って、二人で床と机を拭き始める。
どちらも無言だが、気まずさはあまりない。
教室を片付けるという、分かりやすい作業が間を埋めてくれる。
机を一つ動かしたところで、ドアをノックする音がした。
「失礼します」
入ってきたのは、小柄な一年生の女子だった。
セミロングの黒髪。
少し大きめのリュック。
制服はきちんとしているが、ところどころに小さなキャラクターのキーホルダーがぶらさがっている。
「さっき言ってた一年が、こいつだ」
真田先生が紹介する。
「
「な、成瀬ひなみです。あの……今日、お話聞いてもらえるって」
成瀬は、緊張気味にぺこりと頭を下げた。
「二年の真瀬です。まあ、動画とか配信とか、ちょっとやってた」
自分で「やってた」と過去形にする。
成瀬の目が、ほんの一瞬だけ揺れた。
名前を聞いて、何かを思い出した顔。
ネットで見たか、誰かから聞いたか。
それでも、逃げずにこちらを見ている。
「とりあえず、座れよ。机、そこ使っていいから」
「はい。ありがとうございます」
成瀬が鞄からタブレットを出したところで、またドアが開いた。
「おー、やってるやってる」
今度入ってきたのは、ショートカットの二年生だった。
同じクラスだが、授業以外で話したことはほとんどない。
いつも
こっちを見た日向の目が、一瞬だけ冷たくなった気がした。
炎上のあと、廊下ですれ違うときにたまに感じていた視線と、よく似ている。
「日向。ノックは?」
「したって。たぶん。気持ち的には」
真田先生がため息をつく。
「こいつは日向真白。編集とサムネと、自分で踊るやつ」
「紹介雑じゃない? まあ間違ってないけど」
日向は、当然のように机を一つ確保して、タブレットを置いた。
画面には制服ダンスのショート動画が並び、再生数の桁が違う。
「で、ここが例のネットなんとか部屋?」
「情報メディア教室だ」
「ふうん。本日オープンって感じね」
成瀬が、教室の中をきょろきょろと見回す。
「何か、特別教室って感じがします」
「特別にしたくて作ったんだろうなあ、誰かが」
真田先生が、壁の古いポスターをはがしながら言う。
そこへ、もう一度ノックの音がした。
「失礼します」
落ち着いた声。
入ってきたのは、三年生らしい女子だった。
黒髪のロングを後ろでひとつにまとめ、制服の着こなしも整っている。
肩から提げたトートバッグには、予備校のパンフレットがのぞいていた。
「三年三組の
「ああ、小野寺。こっち」
真田先生が、空いている席を示す。
「さっき言った通り、ここはまだ名前も決まってない。ただの情報メディア教室だ」
「そうなんですね」
小野寺は、部屋とメンバーを順番に見てから、軽く会釈した。
「高三で、進路のこともありますし、本当は今さら新しく何か始めたくはないんですけど」
そう前置きしてから、少しだけ表情を緩める。
「情報系の学部に興味があって……実際にやっている人の話を聞けたらと思って、来ました」
「じゃあ、簡単に自己紹介だけしておくか」
真田先生が、ホワイトボード脇に立つ。
「二年、真瀬湊。動画と配信をやっていた。今はやっていない」
「……真瀬です」
短く頭を下げると、小野寺がこちらを見た。
「噂は、聞いています」
非難でも、興味本位でもない声だった。
「ただ、私はあなたの動画を直接見たことはありません。今日は先輩として話を聞いてもいいですか」
「……俺でよければ」
「ありがとうございます」
次に、日向。
「日向真白。二年。編集好き。サムネも組む。前は制服で踊ってた。今もたまに踊る」
「……以上?」
「以上。炎上歴はないから」
「その自己紹介でいいのか」
「分かりやすいでしょ。よろしく」
成瀬。
「成瀬ひなみ。一年です。えっと……顔出しじゃなくて、手描きとノートまとめの動画を、ちょっとだけ」
「ちょっとだけでも、立派にやってる側だよ」
最後に、小野寺。
「小野寺沙耶。三年です。自分ではほとんど投稿していないんですけど……見る側としても、今どきの配信とか動画ってどうなっているのか気になっていて。少し話を聞けたらと思っています」
「というわけで」
真田先生が、手を軽く叩いた。
「今日、たまたま四人集まったけど……放課後、この部屋をネットまわりの話をしていい場所として開けてみる。俺は鍵開けと最低限の責任だけ持つから、あとはお前らができる範囲で話してやってくれ」
「急に丸投げしましたね」
「赤点補習代だと思え」
日向が吹き出し、成瀬があわてて笑いをこらえ、小野寺が少しだけ口元をゆるめる。
机の上には、成瀬のタブレットだけが置かれた。
画面には、数百再生の手描き動画とノートまとめが並んでいる。
日向と小野寺は、その横からそっと画面をのぞき込んでいる。
そして、湊の頭のどこかでは、もう更新されていない自分のチャンネルの管理画面が、かすかにちらついていた。
「じゃあ成瀬」
真田先生が、成瀬のほうを見る。
「今どこで何をやってて、何に困ってるのか、見せてみろ」
「はい」
成瀬は、タブレットを両手で持ち直し、三人のほうへ少しだけ角度を変えた。
手元とノートと、小さなイラスト。
まだ大きな数字はついていない。
でも、コメント欄には「助かった」「この色づかい好き」といった一言がぽつぽつと並んでいる。
それを見て、湊は思う。
(もう二度とネットには関わらない、って決めたはずなのに)
今にも口から出そうなアドバイスを、どうやって選ぶかを考えている自分がいる。
「……じゃあ、上から順に見ていこうか」
そう言って、自然に成瀬の隣に椅子を引いた。
◆
「投稿、いつもこの時間?」
アップロード履歴の欄を見ながら、湊が聞いた。
「だいたい、夜の十一時とか、日付変わってからです。家のこととか宿題とか終わってから編集するので」
「テスト前に限って、部屋片付け始めるタイプだろ」
「……図星です」
日向が横で笑う。
「この時間帯、ゼロってわけじゃないけど、学生メインなら、もう少し早いほうがいいかもな」
「早いほう……」
「二十二時くらいまで。『寝る前に一回だけ見る』層に合わせる。どうしても編集が間に合わない日は、翌日に回せばいい」
「毎日じゃないとダメだと思ってました」
「毎日より、『この時間にいるときはだいたい上がってる』くらいのほうが続く」
そう言って、動画を再生する。
ペンを走らせる音。
ノートのページをめくる音。
成瀬の手が、丁寧に線を引いていく。
顔は映っていない。
画面の四分の三はノートだ。
「さっきから見てて思ったけど」
「はい」
「カメラ、どこに置いてる?」
「えっと……机の上にスタンド置いて、ノートを真上から撮ってます」
「だよな。画面、ずっとノートで埋まってるから」
湊は、指で画面の構図をなぞる。
「成瀬さん、一人部屋?」
「はい。ベッドと机だけの、普通の部屋ですけど」
「壁とか棚とか、変な情報写り込まない感じ?」
「なるべく片付けてから撮ってるので、多分、大丈夫だと」
「じゃあ、一回だけ家の人に相談してみて。顔は絶対に映さないこと、窓の外も写さないこと、その条件つけて」
成瀬が、少し緊張した顔でうなずく。
「もしそれで『いいよ』って言われたら、カメラをもう少し引いて、首から下くらいまで映したほうがいい」
「首から下……ですか」
「うん。手元だけより、書いてる人が見えたほうが、見てる側は落ち着くから」
湊は、成瀬のペンを持つ手をじっと見る。
「字、きれいだよね。書道とかやってた?」
「えっ、あ、はい。小学校の頃から、ずっとです」
「だから、姿勢もいいんだね。ノートだけドアップにするんじゃなくて、書いてる姿ごと入れたほうがもったいなくない」
成瀬が、戸惑いながらも画面と自分の手元を見比べる。
「ズームしすぎずに、ノートと手と上半身、全部が入るくらい。『この人と一緒に書いてる』って分かる画角にしてみて」
「そんなので、変わりますかね」
「変わる。手がきれい、書いてる姿が好きっていうだけで見続ける人、けっこういる」
湊は、タブレットの設定アイコンに軽く触れてから言う。
「書く音とページめくる音は、今のままでいい。そこに、一本に一回くらい、自分の声を少しだけ足してみたら」
「声、ですか」
「『今日も勉強お疲れさまです』とか、『一緒に三十分だけ書きましょう』とか。その一言だけでいい」
「そ、それって、需要ありますか」
「ある。画面に顔が出てなくても、誰かがいるって分かるから」
成瀬が、タブレットを持ったまま固まる。
「……?」
「い、いえ。その……そういうふうに言われたことがあまりなくて」
「単純に向いてると思う。成瀬さん、声も落ち着いてて、たぶんマイク通したら聞きやすい」
「はい……でも、嬉しいです。ありがとうございます」
日向が、にやにやしながら横から覗き込む。
「プロ目線で声いいって言われるの、ふつうにラッキーだからね」
「や、やめてください……」
成瀬が小さく縮こまる。
湊は、少しだけ画面をスクロールさせながら続けた。
「もう一個だけ、気になってるところがあってさ」
「はい」
「今って、動画の長さ、一本一本けっこうバラバラだろ」
「そうですね……撮れる時間で、そのまま編集して出してて」
「勉強しながら流したい人とか、一緒に作業したい人のこと考えると、一時間用、二時間用、三時間用みたいに、長さでそろえたやつを何本か作ったほうが使いやすい」
「長さで、ですか」
「うん。同じノートでもいいから、編集で区切ってまとめ直す。『一緒に一時間だけ書く用』『テスト前の二時間コース』みたいな感じで」
成瀬が、ペンを握り直す。
「そんなに長くて、大丈夫なんでしょうか」
「全部ちゃんと見てもらう前提じゃなくて、この時間だけ机に座るって決めたい人に合わせるイメージ。途中で離席されても、それはそれで正解」
「……なるほど」
「タイトルも、『夜勉ノートまとめ』ってだけじゃなくて、『一緒に夜勉・一時間』『テスト前二時間ノート』みたいに時間を入れる。サムネの文字も、その時間に合わせてシンプルに」
「時間を書いておくんですね」
「そう。タイトルとかサムネに入れておくと、今からどれくらい頑張るかが一目で分かるから、タップされやすくなる。それに、コンセプト決めたほうが、方向ぶれにくい」
湊は、そうまとめてから、タブレットの別の欄を開いた。
「はあ……」
成瀬は、必死にメモを取っている。
「サムネの文字も、詰め込みすぎないで。夜勉一緒にくらい。あとは手元とペンの動き見せとけば、内容は付いてくる」
「はい」
「あと、コメント。全部読んでるだろ」
「読んでます」
「返信も、今はそれでいいけど、数が増えてきたら固定コメントを使ったほうが楽になる。『いつも見てくれてる人へ』って一個書いて、そこに今回の補足とか、失敗したところとかもまとめておく」
「固定コメント……」
「下までスクロールしない人にも、最低限の情報だけ届くから」
日向が、横から口をはさむ。
「ねえ、それ、けっこうガチのコンサルじゃない?」
「別に。基礎の基礎だろ」
「その基礎ができる時点で、十分おかしいのよ」
冗談まじりのやりとりに、成瀬が小さく笑う。
「じゃあ、一個だけタイトル変えて上げ直してみる?」
「え、でも、上げ直すのって……」
「まだ本数少ないし、今のうちなら大丈夫。サムネも一緒に直そう」
「はい……お願いします」
◆
3人で簡単に案を出し合い、一本だけタイトルとサムネを差し替える。
投稿ボタンを押したあと、しばらく画面を眺めていると、再生数の横の数字が「0」から「1」に変わった。
「あ」
成瀬が、小さく声を上げる。
「もう一再生ついた」
「1」が「2」になったところで、画面を閉じた。
「今日はそのくらいでいい。最初の数回は、増えた数字に慣れるだけで疲れるから」
「はい……先輩、ありがとうございます」
本当にほっとしたように、成瀬が頭を下げる。
「なんか、ちゃんと視聴者さんに見てもらえた感じがしました」
「見てはいたんだろ。数字として」
「それとは、ちょっと違う感じです」
「じゃあ、次はライブ配信も考えるか」
「ライブ配信……?」
「そう。今日みたいに録画直していくのも大事だけど、いつかはその場で一緒に勉強するやつもやりたいだろ」
「私にできるなら、いつかやってみたいですけど……」
「明日、放課後。初配信やるとしての段取りだけ決めてみよう。やるかやらないかは、そのあと考えればいい」
「……はい。お願いします」
そのやりとりを見ていた日向が、ふっと笑った。
「ねえ」
「何だよ」
「ここ、あんたの相談室みたいだね。数字見て、分析して、人のチャンネルの話してさ」
「勝手に決めるな」
「でも、今の、完全に相談乗ってる側だったよ」
からかうような口調だが、目は真面目だった。
その隣で、小野寺が、少しだけ考えるような顔をして口を開く。
「それなら……ここを相談室にしてしまうのはどうでしょう」
「「「相談室?」」」
「この部屋。さっき先生はただの情報メディア教室っておっしゃってましたけど」
小野寺は、ホワイトボードを見上げる。
「ここでこうして、誰かの動画や配信の話を聞いて、一緒に考えるなら……相談室という言い方のほうが、たぶん来る側も来やすいと思います」
真田先生が、腕を組んだ。
「放課後に開ける部屋で、ネットまわりの相談を受ける場所、か」
「はい。正式名称は長くてもいいですけど、呼ぶときは短いほうが覚えやすいので」
日向が、ペン立てからマーカーを一本抜いた。
「じゃあさ。仮で、一個だけ書いてみていい?」
「勝手に変な名前にするなよ」
「しないしない」
ホワイトボードの上の方に、さらさらと文字を書く。
成瀬が、息をのむようにそれを見つめる。
書き終えて、一歩下がる。
「放課後メディア相談室」
日向が、いたずらっぽく笑う。
「どう? 分かりやすくない?」
「……ストレートだな」
真田先生は、少し笑ったような顔で肩をすくめた。
「まあいい。正式な名前はあとで職員会議に出すとして、仮称でそれ使うか」
「やった。命名協力ってことで」
成瀬が、小さな声で繰り返す。
「放課後メディア相談室……」
口にしただけで、少し雰囲気が変わる気がした。
炎上した元配信者が呼び出された部屋ではなく、
何かを始めたい人と、やめたい人が集まる場所になりそうな名前。
自分でそんなことを考えてしまったのが、少し嫌だった。
「名前がついたからって、急に何か変わるわけじゃないけどな」
そう言いながらも、湊はホワイトボードの文字から目をそらせない。
(俺は、何もしないでいられるだろうか)
そう考えている時点で、もう「完全な無関係」ではいられないのかもしれない。
机の上には、ふたりの端末が並んだままだ。
成瀬の、小さな再生数がついた動画。
日向の、伸びているけれどどこか危ういショート。
そして、通知の来なくなった、自分のチャンネル。
「さて」
真田先生が、時計をちらりと見た。
「今日はここまでにしておくか。続きは、また明日以降だな」
「明日も……来ていいんですか」
成瀬が、思わずという感じで聞く。
「教室の鍵は、しばらく俺が開けておく。集まるかどうかは、お前ら次第だ」
そう言って、真田先生は部屋の電気のスイッチに手を伸ばしかけ、やめた。
「……まあ、消すのは最後に出るやつでいいか」
軽くそう付け足して、職員室に戻っていく。
残された四人が、顔を見合わせる。
「じゃ、今日は解散?」
「そうですね。宿題もありますし」
「俺も家帰ってやることあるし」
「私は……もう少しだけ、この部屋に座ってから帰ります」
それぞれの理由を口にしながら、鞄をまとめ始める。
教室のドアのそばで、成瀬がもう一度振り返った。
「先輩」
「何」
「今日、来てよかったです」
それだけ言って、少し照れたように頭を下げる。
「また、明日も来ます」
「……好きにしろ」
そう返してから、湊は小さく息をついた。
ホワイトボードには、「放課後メディア相談室」という文字。
まだ形も決まりきっていない、その名前だけが、白い板の上で少しだけ存在感を持っていた。
放課後メディア相談室の、一日目が終わった。
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