小便器の妻

捻手赤子

小便器の妻

深山(みやま)は高等学校を卒業した後、地域の中では名のある建築会社に勤め、配管工としてひたむきに働いていた。

若い頃は厳しく扱かれながら手探りで技術を習得していく日々だった。だが、何年も働くと仕事ぶりは安定し、彼は人並以上の技術と信頼を手にした。

技術が出来上がってきてからは仕事も楽しくなり、毎日労働に勤しむばかりに、彼は長らく独り身であった。童貞というわけではなかったが、生粋の仕事人であり、女に割く時間でもあれば仕事に向かうような人間であった。

ある時お節介な上司が深山の仕事を無理矢理に奪い、休暇を取らせお見合いの予定をねじ込んだ。彼自身乗り気ではなかったが、上司のいうことを聞くというのも仕事の一環として割り切り、お見合いに臨んだ。

深山は酷くまじめで正直者であり、乗り気でないようなお見合いに対してもそれなりの恰好をして向かい、見合いに来た女性に対してもそれは同じで「なぜいらしてくださったのですか」と聞かれたら正直に訳を話してしまうような人間であった。

相手は純子(じゅんこ)という名で、話をするうちに物柔らかな態度の中に寛大さと心強さを深山は感じ取っていた。彼女も正直にすべてを話してしまう深山を信頼して、自分の身の上話や仕事の事まで話してしまっていた。

純子は裕福な家で生まれたが子供の頃から身体が弱く、体力も無い。だが集中力だけは抜群で、家に籠っては編物や縫物、読書や音楽など幅広い趣味と教養を持っていた。

幼少期に比べると身体の具合はかなり良くなっていたが、それでも他の女性たちと比べられてしまうと見劣りするものがあったし、跡継ぎが欲しいような男性にとっては子を望みやすいような身体が好まれた。

病弱ながらも器用な手を活かして仕立屋で働き、自ら女中に頼んで料理を学んでいた。両親には「あなたはそのようなことをする前に嫁に行ったほうが良いでしょう」とお叱りを受けていた。だが、生粋の仕事人である深山の前ではそれこそが大層魅力的に映ったし、外で働く彼にとって純子が持つ陶器のような肌や静かな話し方、細く長い手指は物珍しく、異国から流れ着いた骨董品のような価値を感じてしまい、口説くほかなかった。

そこからはとんとん拍子に事が進んだ。彼女は仕事を辞め彼の家に入り深山の嫁となった。深山は嫁である純子の為に広い家を用意した。

深山は彼女の仕事人気質に惚れ込んでいた為に、女中の一人も雇わずに広い家を彼女一人に任せた。純子はそれを大層喜んで受け入れ、自身の限りある体力を上手くやりくりして家を守っていた。深山は家長になっても相変わらず時間があれば仕事にとりかかっていた。

家の事に慣れてきた深山の嫁は、次第に自分の好きなことに没頭する時間を作ることもできるようになった。家事をこなすことで徐々に体力もつき、土いじりや焼き物を新しく覚えた。

深山は彼女の趣味に何を言うことも無かった、むしろ自分の衣服や食器が勝手に増え、縁側からの眺めが良くなるのだから彼の仕事にもより精が入った。

二人の仕事人は朝から晩まで働き、しっかり飯を食らい、一日の最後は共に交わってから眠るという日々を繰り返した。

最初こそ、純子の身体を気遣いすぎたり明日の仕事を気にしたりするなど、覚束ない夜を過ごしていた。だが次第に互いが互いの理解を深め、表情から身体を、体温から気持ちを受け取ることができるまでになっていった。二人は自分の仕事の次に快楽を共にすることを喜びとして、休みの日には昼夜様々な空間で快楽にふけったりもした。

自身の身体を理解し普段から控えめな純子にとっては、安心して全身を精いっぱい動かせる唯一の時間であり、仕事一番で責任感の強い深山にとっては、仕事で感じた一日の緊張を和らげる安らぎの時間であった。


年月が経つと流石に身体も脆くなる。二人とも腰が曲がり始め、関節が弱くなった。

深山はそれでも仕事を続けようとしたが、身体はそうもいかなかった。仕事を辞めて家に長くいるような生活が続いたが、仕事人であった彼にはそれが耐えられなかった。

家事や炊事は嫁がやる仕事だと彼は思い込んでいたが、じっとしているのも耐え難く純子に教わりながら共に家の事をこなせるようになった。

足腰が弱くとも、仕事よりは負荷が少なかったし、純子の方も体力が衰えて来たために深山が家の事を手伝うことに感謝していた。

深山は家の中でも便所掃除を拘り、特に深山専用である小便器を常に清潔に保っていた。

自身の書斎なども持っていたが、度々純子を呼び出しては交わる場として使用していたし、台所や客室など様々なところで交わったことがあった。だから、本当に深山のみが使用していたのは小便器のみであったにも関わらずいつまでも彼女に掃除させているのは彼の中に抵抗があった。

仕事熱心で趣味は嫁との交尾くらいだった彼も、足腰が弱って頻繁に交尾などできなくなってしまった。家に一人居ることの多かった純子にとって、暇をつぶすことなど容易かったが、深山には暇の潰し方がわからず時間が長く長くに感じられるようになってしまっていた。

土いじりから焼き物、編み物など器用な純子の真似事をしてみたが、どうも指先を使うようなことは上手くできなかった。結局大きく手を動かすことができる焼き物を彼女以上にやるようになった。

何年かは二人仲良く、家事やら趣味やら満喫した生活を送っていた。

だが、ある時純子が体調を崩してしまい、家の中で倒れ込んだ。膝を打って歩くのが難しくなった彼女の容体は途端に悪化していき、数か月であっけなく亡くなってしまった。

深山は仕事も嫁も無い独り身になってしまって、今までで一番の寂しさを覚えていた。純子が亡くなってから彼女の寛大さや優しさの全てを見合いの頃のように思い出し、年甲斐もなく涙を流した。

純子は火葬されて骨となってしまった。深山は分骨して毎日仏壇の前でお参りをすることにした、深山家の墓は山の方にある為に頻繁には墓参りに行けなかったのだ。

それからは、日々の中に仏壇にいる純子への挨拶が組み込まれるようになった。

深山は新しく植えた花や、自身の作った焼き物の話を毎日仏壇の小さい骨壺に語ったが、一人きりでする庭いじりや焼き物が想像以上にもの寂しかった。仏壇に置かれた骨壺も遠く感じられてしまって、彼は何かを語る度に心が重くなった。

彼はある時、小便器にひびが入っているのを見つけた。毎日掃除して毎日丁寧に扱っているが経年劣化には耐えられなかったらしい。ひび割れている小便器を使い続けるのも気持ち悪いため、新しい便所を作るかどうか頭を悩ませていた。

深山はふと自身の趣味が焼き物であること、長年続けた仕事は配管工であったことを思い出した。

自身の技術があれば小便器を作ることができることに気が付いた彼は早速行動を始めた。

普段作っている小さい食器や置物などと違い、小便器はかなり大きさがあるために成形するところから苦労していた。最初に成形してみたものは穴が開いているだけのようないびつな入れ物のようでとても小便に適していなかった。作業は何週間にも渡って続いたが、毎日仏壇に向かって自分の作る作品について語り、自身を奮い立たせながら次第に小便器らしい小便器を作り上げていくことができた。

とうとう彼は、渾身の小便器の形を完成させた。本来の小便器より歪で少し小さいが、それでも構わなかった。

だが、あとは焼くだけという段階に入っているのに彼の内ではなんとなく納得がいかなかった。小便器を設置してしまったら、仏壇にいる純子に見せに行くことができないと感じていたのだ。

仕事人の血が騒ぎ、諦めるという選択肢はなかった。

深山は深く考え、ある決断を下した。決断からの行動は早く、彼はすぐに作業に取り掛かった。


 深山は決断した瞬間の勢いを保ったまま骨壺を仏壇から取り出し、そこから更に骨を取り出し乳鉢にぶち込んだ。大切な純子の骨がどこにも散らないよう乳棒で丁寧に砕き、粉のようになるまで時間を掛けてすり潰した。すり潰してしまうと骨は思うよりも脆く、思うよりも少なかった。

純子はこの脆い骨で毎日この家を守り、深山の帰りを健気に待っていたのだ。病弱であることを感じさせないような朗らかな笑顔の裏で毎日必死になって家事をこなし、深山の身の回りを整えていた。真っ白でさらりとした骨は純子の肌のようでもあった。

次に深山は粉になった純子を土に混ぜ、彼女を撫で、抱いた手でしっかりとこねた。土と一体になるまでは骨を砕くより時間はかからなかったし、こういった作業は慣れていた。

焼き物を始めたと言って渡されたいびつな形の湯飲み、細い手指で一生懸命捏ねていた土、深山が焼き物を初めて作った時には大げさに褒め、大げさに喜んでいた純子の姿を彼は思い出していた。

土だらけの手を見ると、大きい手を褒められたことが思い出された。大きな手で抱いてもらえることが純子にとって大きな安らぎであったこと、仕事人の形をした男らしい手が誰よりも優しいこと。深山は生きたころの純子からそういった沢山の言葉をもらっていたことをやっと思い出すことができた。

 純子の骨が入った土を分かりやすい大きさに平たく、丸く整えて小便器の内側、真ん中に丁寧に張り付けた。そのまま小便器を焼き上げ、純子の骨がある部分以外を白く丁寧に塗装した。

 焼きあがった後からの仕事の速度は凄まじかった。長年磨いた配管工の腕はしばらく使っていなかったにも関わらず衰えた気配を感じられなかった。配管を終わらせ、小便器を設置する。

 深山は初めての大作が完成したことが喜ばしく、距離を取って眺めてみたり顔を寄せて隅々を観察してみたりした。

 そうして小便器の中にいる純子にいつものように話しかけた。

「純子、私の初めての大作だ。純子とは家の様々な場所で共に過ごしたね。でもここだけは君と共に過ごしたことは無かったし、交わったこともなかった。だが、これからでも遅くないと気が付いたのだよ」

 深山は悦の混ざった柔らかな微笑みとまなざしを小便器に向け、今までの作業で汚れ切ったズボンを下ろし、自身で作り上げた小便器に向かって思い切り放尿した。

 もちろん、嫁で作った丸い的に向かって。

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