差出人探し、きっかけは突然に

夢じゃなかった。

その後も下駄箱には、時々黒い手紙が届いていた。

字体やキツネのシールが貼られている事を考えても同一人物なのは間違いない。


二通目以降は学校での生活や、最近ハマっていることなど日記やエッセイのような内容で、放課後校舎裏の木の下でとか、好きですとか、俺への片思い説はあっけなく否定された。


文通の意味を辞書で調べると『文章で通信すること。手紙のやりとり。書信。』と書かれている。


SNSがない時代、雑誌でフレンド募集をして、顔も知らない相手と手紙をやりとりすることが流行ったそうだが、一方的に受け取るだけだと、だいぶ意味も違ってくる。


その日の休み時間に、何度か隠れて下駄箱を見張ってみたが、誰も怪しい行動をしてくる生徒はいなかった。


昼休み、今日も張り込みをしようと、弁当を急いで平らげる。

席を立つと暗い表情で良吾が話しかけてきた。


「なぁミウリ、お前に話さなきゃならないことがあるんだ。聞いてくれるか?」


声のトーンも低く、調子が悪そうだ。

何の話だろうと身構えると、大きくため息を漏らすとゆっくりとした口調で語り始めた。


「お前最近、教室出る回数多くない? トイレ近くなったとか。実はもう後期高齢者?」


「は?」


その戸惑う顔がツボにはまったのか、良吾は咄嗟に口元を押さえるが、耐えきれずブハッと吹き出して笑い始める。


「ミウリ、年いくつだよ。ごまかしてんじゃねーぞ、アハハ」


「う、うっせーな。ちげーよ。何? 一体何の話だ!」


大笑いする良吾の様子に、騙されたと理解した。

この男はあの手この手で、いつまでもふざけた野郎だ。


「何? じゃあ外に彼女でも作ったのか? ヒューヒュー」


いつもの良吾に戻っている。


「そんなんじゃねー! バカなこと言ってんじゃねーぞ!」


幼稚な演技に騙された挙げ句、ちょっと確信をつかれた俺は感情が爆発し、声を張り上げ、教室全体がまた白けた雰囲気になってしまった。


「うわ、汚ねーな。ご飯粒飛ばすなよ!」


良吾はかまわず馬鹿笑いしながら、服をつまみ払う仕草をすると、満足げに自分の席へ戻っていった。

そこでさっきのやり取りを一人芝居して、謙信たちの笑いを誘う。


(あの野郎!)


良吾を睨み付けながら横目に、ふと前列に座る女子の反応が気になった。


「どうしましたか? ミウリ……お・じ・い・ちゃん」


(まだ言うか!)


遠くで聞き耳を立てる良吾に親指を下に向けて猛抗議。

踵を返して教室を出た。

とにかくまずは下駄箱を見張るのだ。

しかしこの日も正体を突き止めることはできなかった。


――土曜日、朝。


朝礼で、担任のシオミーから河川敷のゴミ拾いがあることを知らされた。

当日だったのは単にシオミーが伝え忘れていたからだ。

当然大きなブーイングが巻き起こる。

隣のクラスの担任がクレームを付けてくるほど騒然となった。


土曜日は普段三時限で帰れるが、その後、各班に分かれて学校近くの河川敷に移動し、三〇分程度ゴミ拾いを行うと言う。

課外活動の一環らしい。


急遽、回収係を決めることになり、男女一人づつ立候補を求められた。

帰宅部で有り、直近で悪目立ちした俺はまるで罰ゲームのように選出され、ダントツでその大役を押しつけられた。

女子は最初に手を上げたはやし林檎りんごに決まった。


――放課後、河川敷。


各班手分けして三〇分かけてゴミを拾う。

空き缶、ペットボトル以外にも、ビールケース、自転車やソファーといった大きなものまで捨ててあった。


大物はボランティアの青年たちが、数人がかりでトラックへ運ぶ。


中学生は袋に入りそうな物を集め、手が付けられないゴミはボランティアの人たちを呼んで作業していく。


「時間になりました。回収物はこちらへお願いします!」


各クラスの代表が集まり回収物を確認する。


「ミウリくん、女子はこれで全部終わったよ。そっちは?」


「ああ、こっちも終わり。三〇分くらいでもだいぶ回収できたな」


「それより、こんなにゴミが捨ててある方がびっくりだよ。誰がこんな捨てるんだろうね。やんなっちゃう」


「まあ、そうだな。流れ着いたりもあるし、バーベキューとかやって持ち帰んない輩が捨てていくんじゃねーかな」


「へぇー、そうなんだ。マナー違反か。ミウリくんもここでバーベキューやったりするの?」


「んー……たまに? 家族とか?」


「へぇー、意外」


「どこが」


「何となく」


「なんだよそれ」


「えへへ」


女子と話す機会なんて皆無だった俺が、自然に会話しながら林檎と一緒にトラックの荷台へゴミ袋を運んでいる。

笑顔で気さくに話し掛けてくる林檎に自然と笑みがこぼれた。


「お疲れ様でしたー」


ボランティアの人たちと別れ、改めて河川敷を眺める。

見た目ではあまり変わらないが、なんだかスッキリした気分だ。


「ミウリくーん、じゃーねー」


目を向けると林檎は川に架かる陸橋の前で大きく手を振っていた。

恥ずかしいが無視するわけにも行かず控えめに手を振り返す。


林檎は、誰にでも明るく接してくるので男女問わず人気がある。

嫌われ者の俺にすら気後れしない、芯の通った強い子でもある。


田崎たさきももの姿もあった。

桃は林檎と仲がいい。

手を振る林檎を引きずるように橋を渡り始めた。

その足取りは力強い。


朝礼で決まったときは、なんて罰ゲームだとクラス全員を呪ったが、林檎と話ができたのは、少し楽しかった。


「帰るか」


適度に疲れた体に幸福を感じながら、学生鞄を背負って歩き出した。


ふと、人の気配がして振り返る。

いつからそこにいたのか、少し離れた場所にクラスメイトの嵐山あらしやま宣子のぶこが立っていた。

その手には、なぜか古びた自転車のサドルが握られている。


「あの……一ツ橋くん」


控えめな声に、なぜか心臓が飛び跳ねた。


「うわっ! あ、嵐山さん。どうしたの?」


俺の大げさな反応に、彼女は少し驚いたように目を丸くした。


クラスでも優等生の彼女。

長いまつ毛に縁取られた切れ長の瞳と、透き通るような白い肌。

いつも静かに本を読んでいる姿が印象的で、黒縁眼鏡の奥の表情は窺い知れない。

正直、住む世界が違うと思っていた相手だ。


(なんで俺に? しかも、サドルって……どゆこと?)


「……これ、なんだけど」


「うん、サドル? だよね」


嵐山さんは手にもった品を、目の前に高々と持ち上げると、少し照れたように視線をそらした。


(何それ? プレゼント? でもこれ、汚れてるし錆びてるし)


突然の状況でプチパニックに陥った俺にもう一度、突きつけるようにサドルを押しつけると、意を決したように言い放った。


「これ、あっちの河原で見つけて、戻ってきたらもう、誰もいなくて。どうしよう」


「あの、えーと。ゴミ? ああ、そう。うん、そうだよね」


嵐山さんがグイグイ押しつけてくるサドルを受け取り、やっと状況を理解した。

帰宅途中でコレを見つけて、律儀に回収して戻ってきたら、もう誰もいなかったというそれだけの話だった。


「えっと……、とりあえず俺が預かるよ。このまま捨てたら今日やったことがチャラになっちゃう気もするし」


「そう。ありがと」


嵐山さんは丁寧に一礼すると、踵を返してスタスタと歩き始めた。


「あ、あー、ねぇ」


立ち去ろうとする嵐山さんにミウリは思わず声をかける。

嵐山さんはビクッと足を止めると、振り向いて首をかしげる。


「やっぱり……ダメ?」


教室で見かける凜とした表情とは違う、困った顔も魅力的だ。

潤んだ瞳に胸を抉られ動揺の色を隠せない。


「あ、いや、サドルの話じゃなくて、あの、えーと、なんだ。とにかくちょっと聞いてほしいことがあるんだ」


わざわざ名前を伏せて送っている手紙のことを率直に聞くのは失礼だろうか。

そう思うと言葉に詰まった。


「……」


時折吹き抜ける風に混じってシャンプーのいい香りが伝わり、高ぶる気持ちをより一層緊張させる。

どうしよう。どう説明しよう。

頭をフル回転させてミウリは考える。

手に持つサドルにも力が入る。


「あの……」


(うわ、まずい! 何か言わないと! このままじゃ、でも何を?……いきなり手紙のこと聞くのも……)


「あのさ、手紙とかって……書く……人?」


(なんじゃそりゃ、意味不明! 意味不明だっての!)


嵐山さんの声を遮って飛び出したのは、あまりに脈絡のない質問だった。

声は見事に裏返り、語尾は情けなく消えていく。


(あぁ、終わった……。完全に変な奴だ……)


「あ、いや、違うんだ! ごめん、突然! えっと、例えばの話! そう、あくまで例えばなんだけど、今どき手紙でやりとりするのって、どうなのかなーって、ちょっと思っただけで……ははは」


必死に言い訳を重ねる俺の顔は、きっと引きつりまくっているだろう。

だが、嵐山さんは驚いた顔一つせず、黒縁眼鏡の奥の瞳をきらりと輝かせると、ふわりと微笑んでこう答えた。


「素敵だと思います。すごく」


(ほえ?)


それは意外なほど、はっきりとした声だった。


そこから嵐山さんは、まるでせきを切ったように手紙の魅力について語り始めた。

文字に込められた時間、インクの匂い、ポストを開ける時のときめき。

その熱っぽい横顔は、教室で見せる静かな彼女とはまるで別人だった。


どうやら、本当に手紙好きらしい。

逆にあの手紙の差出人ではないと確信できた。


「あ、ごめんなさい、私ばっかり話しちゃって……」


はっと我に返ったように、彼女は頬を染めた。

その仕草に、また心臓が鷲掴みにされる。


「もしよかったら……その、練習相手に私、……文通、してみますか?」


「え?」


「だ、ダメかな? 相手がいないなら、私が……って、変だよね。ごめんなさい、忘れて!」


慌てて手を振る彼女に、俺は半ば放心状態で首を横に振ることができなかった。


――自宅にて。


部屋に入るとすぐにベッドに体を預けて目を閉じた。

思い返すと手紙にまつわるエピソードを色々話していた気がする。


手元には嵐山さんの住所が書かれたメモがある。

嵐山さんには俺の住所を書いて渡してある。

嵐山さんの字はすごく達筆だった。


「ウーくん、ごはんできたわよー」


母が階段の下から声を張り上げる。


「うん、わかったー」


俺は一階のリビングで、家族と夕飯を食べながら河川敷でたくさんのゴミを回収したことを話した。

林檎や嵐山さんの事は話していない。

それ以外にも何か言われた気がするが、頭の中は嵐山さんにどう手紙を書けばいいのかが気になって、全く記憶にございません。


この出来事が今後、どう繋がるかはまだ少し先の話だ。

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