第二話 闘技場の舞踏

 ヴォルガルド帝国の帝都中央にある巨大闘技場は、異様な熱気に包まれていた。

 収容人数五万を誇る客席は超満員。普段は娯楽としての闘技を楽しむ民衆たちだが、今日の目は血走っている。それもそのはず、彼らが敬愛する「戦乙女ヴァルキュリア」シルヴィア姫が、敵国アークランドの軟派王子にお灸を据える公開処刑の場なのだから。


「姫様ーッ! あの女たらしをミンチにしてください!」

「帝国武人の誇りを見せてやれーっ!」


 地鳴りのような歓声の中、重厚な鉄柵が上がり、シルヴィアが闘技場の中央へと進み出る。

 身に纏うのは実戦用のミスリル製の軽鎧。背には身の丈ほどもある巨大なクレイモアを背負っている。その凛々しい姿に、観客のボルテージは最高潮に達した。


 対する東のゲートから現れたのは、レオンハルトだ。

 彼は鎧も着けず、上質なシルクのシャツに身軽な革ズボン、腰には装飾過多に見える細身のレイピアを一振り下げているだけだった。

 彼は観客のブーイングにも動じず、まるで観劇に来たかのように優雅に手を振っている。


「やあやあ、すごい熱気だね。僕と君の結婚を祝うパレードの予行演習かな?」


 相も変わらないお気楽な様子に、シルヴィアの目がすう~っと細くなった。


「……戯言はそこまでだ」


 姫は背中の大剣を引き抜き、切っ先をレオンハルトに向ける。その重量を感じさせない構えは、達人のそれだ。


「手加減はせん。五体満足で国に帰れると思うなよ」

「怖いなぁ。女の子はもっと愛嬌がないと」

「黙れっ! 開始だ!」


 審判の合図を待たず、シルヴィアが地面を蹴った。


 トン!


 爆発的な踏み込み。一瞬で間合いを詰め、クレイモアを振るう。


「ハァッ!」


 豪快な横薙ぎ一閃。

 その剛腕から繰り出される大剣の一撃は、岩をも砕く威力を秘めていた。直撃すれば鎧もつけない人の体など両断されるはず――だが……


 ブンッ――


 大剣が切り裂いたのはくうだけだった。

 レオンハルトは、まるで風に舞う木の葉のように、紙一重で後ろへ下がっていたのだ。


「おっと、危ない危ない。そんな重そうなもの振り回して、肩が凝らない?」

「ちょこまかと……!」


 シルヴィアは追撃の手を緩めない。上段からの叩きつけ、突き、斬り上げ。怒涛の連撃がレオンハルトを襲う。


 ドガッ!


 地面が砕け、土煙が舞う。だが、彼女の攻撃のどれ一つとしてレオンハルトにかすりもしない。彼は剣で受けることすらせず、最小限の動きで、首を傾け、半身になり、ステップを踏んで躱し続けていた。その動きは空を自在に飛ぶ蝶のよう。


「なぜだ……なぜ当たらん!?」


 焦り始めるシルヴィア。彼女の剣筋は見切られにくい変則的なものだ。それを初見で、しかも笑みを浮かべたまま全て回避するなどあり得ない。


「君の剣は情熱的だねぇ。でも、ちょっと力が入りすぎかな」


 レオンハルトは、シルヴィアが渾身の力で振り下ろした大剣の腹を、自分のレイピアで「トン」と軽く叩いた。たったそれだけの衝撃で、力学の作用点がずれた大剣は軌道を大きく逸らし、シルヴィアは体勢を崩してつんのめる。


「くっ――!?」

「はい、支えてあげる」


 転びそうになったシルヴィアの腰を、レオンハルトの左腕が抱き留めた。

 至近距離。整った顔が目の前にあり、碧眼が優しく細められる。


「レディが土に顔を突っ込んじゃ台無しだ」

「き、貴様ぁッ!!」


 シルヴィアは顔を真っ赤にして彼を突き飛ばし、バックステップで距離を取った。


 ここにきて、観客席が静まり返る。

 誰もが、シルヴィアの一方的な勝利を確信していた。だが目の前で起きているのは、一方的な「あしらい」だ。あの軟派王子の動きは、明らかに常人の域を超えている。


「……貴様、ただの女好きではなかったのか」


 シルヴィアは荒い息を吐きながら問う。額には脂汗が滲んでいた。

 それに対し、レオンハルトはレイピアをくるりと回し、涼しい顔で肩をすくめた。


「一応王子だからね。幼い頃から剣くらいは習っているさ。それに――」


 彼は客席の女性たちに流し目を送りながら、ふっと笑った。


「女の子を守るためにも、それなりの力がないとね。危険な攻撃を受け流す、傷つけずに制する。それが僕の愛の形さ」


 両手を広げ、陶酔したような表情でそう言うレオンハルトに、シルヴィアの顔が歪んだ。


「愛だと……。戦いを、神聖な決闘を愚弄するのもいい加減にしろっ!」


 彼女の中で、何かが完全に弾けた。


 武人としての誇りを、女としてのプライドを、これ以上ないほど踏みにじられた屈辱。

 もう、和平も結婚もどうでもいい。この男をここで叩き潰さなければ、一生己を許せない。


「よくわかった。貴様は私の全霊をもって葬るべき敵だぁ!」


 シルヴィアが剣を構え直す。

 彼女の全身から、赤いオーラのような闘気が立ち上り始めた。

 ヴォルガルド皇家に伝わる奥義。身体能力を極限まで高め、防御を捨てて放つ必殺の一撃の構え。


「我が剣に断てぬものなし……」


 大気がビリビリと震える。観客たちはその迫力に恐怖すら感じて息を呑んだ。

 だが、レオンハルトは怯まない。それどころか、余裕の笑み浮かべている。ところが、その目が瞬時鋭くなり、視線を観客席へと走らせた。

 が、怒り狂うシルヴィアにはそんな様子など見えていない。


「消し飛べ、レオンハルト! 『紅蓮崩天撃グレンホウテンゲキ』っ!!!!」


 力を溜めきったシルヴィアが、大地を砕くほどの脚力でレオンハルトへと突撃する。

 その一撃は、確実に彼を捉えるはずだった。誰もが、王子の死を予感したその時――


 ヒュンッー!


 風を切り裂く微かな音が、闘技場の喧騒の裏で響いた。

 シルヴィアの背後、死角となる観客席の闇から、一本の矢が放たれたことに、集中力を攻撃のみに特化させた彼女は気づいていなかった……


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