因習の胎動

@mukkycolor

一. 遭遇、逃亡

 太一は、死に物狂いで山道を走っていた。


 背後から、何かが地を踏みしめる音が迫る。

 ザッ、ザッ、と湿った土を抉る、不吉な響き。振り返る余裕など、微塵もない。

 ただ、一刻も早く、この山を下りなければならない。


 足元の地面はぬかるみ、何度も転びかけた。

 枝が頬を打ち、素足の裏に鋭い小石が突き刺さる。

 痛みは、とうに意識の外だった。喉が焼けつくように熱く、息が苦しい。

 心臓は耳元で銅鑼のように鳴り響いている。


 怖い。ただ、ただ怖い。


 黒いツノ、四本の腕、ぎらぎらと輝くあの黄金の眼――!


 思い出した途端、全身の血が一気に冷える。背後から粘つく何かが伸びてくるような、強烈な錯覚に襲われた。


「う、わああああ……っ!!」


 叫びを上げ、転がるように山道を駆け下りた。




 ――どれほど走ったか。ふと顔を上げれば、そこは見慣れた集落だった。


「太一!」「おい、大丈夫か!」「どうしたんだ、お前!」


 俺の声を聞きつけた大人たちが駆け寄る。その中心で、俺は何も言えなかった。

 歯はガチガチと鳴り、手足の震えが止まらない。助けを求めようにも、声が出ない。頭の中では、あの異形の姿がぐるぐると回り続けている。


 それが、太一と『モノノケ』との、遭遇だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る