心霧のルポルタージュ

しおん

第1話 路地裏の亡霊

 ビルの谷間を縫うように続く狭い路地は、昼間でさえ薄暗い。夜ともなれば、街灯の届かないその場所は、都市の喉奥に開いた“裂け目”のようで、風が吹き抜けるたびに何かが泣いているような音がする。

 ここ数週間、その路地を通った人々が“亡霊を見た”と怯える事件が相次いでいた。


 証言はどれも似ていた。

 「白い影が、壁に沿って滑るように移動した」

 「近づくと、ぼそぼそと低い声で囁かれた」

 「目を離した瞬間、煙のように消えた」


 だが、どの話にも共通しているのは、“恐怖”よりもむしろ、“罪悪感”に似た感情を抱いたという点だった。


 *


 調査を依頼された心理コンサルタント・鏑木涼かぶらぎ りょうは、依頼主の企業ビルを訪れた。亡霊騒ぎのせいで社員の間に動揺が広がり、深夜勤務ができない者も出ているらしい。


「亡霊だなんて、まったく馬鹿げているが……やる気を削がれては困る。原因を突き止めてほしい」

 そう語った総務部長の顔には眉間の皺が深く刻まれ、疲労が滲んでいた。


 涼は頷くと、件の路地へと向かった。夜風が頬を撫で、空気は湿気を帯びている。

 数分間耳を澄ますと、噂通り、低く震えるような“囁き声”が響いてきた。


 ——だが、その声には聞き覚えがあった。


 涼は路地裏の壁へ近づき、手でなぞってみた。すると、ざらついた塗装の下から、継ぎ接ぎのように貼られた小さなスピーカーと、目立たぬカメラのレンズが現れた。


「やはり……」


 その瞬間、狭い路地の奥で人影が動いた。

 逃げようと背を向けた人物を涼が追うと、相手は足をもつれさせ、段ボールの山に倒れ込んだ。


 そこにいたのは、このビルで働く若手社員・秋庭だった。


「……どうしてこんなことを?」


 問いかけると、秋庭は震える声で答えた。

「僕は……消されるんじゃないかと思って……」


 聞けば、部署内の競争に負け、配置転換が噂されていたという。深い不安と焦りから夜も眠れず、遅くまで働く同僚を怖がらせれば業務が滞り、部署全体の評価が下がる——そうすれば、自分に対する圧力も和らぐだろうと考えたのだ。


 亡霊の姿として見えた“白い影”は、プロジェクターで投影された映像。囁きはスピーカー。すべては秋庭の焦燥が生んだ、稚拙だが不気味な心理トリックだった。


「あなたが恐れていたのは“誰か”じゃない。

 自分自身の影です」


 涼がそう告げると、秋庭は顔を覆い、静かに泣き崩れた。

 路地裏に響いていた囁きは、実のところ、彼自身の心が発していた悲鳴だったのだ。


 *


 涼は装置を撤去し、企業へ報告した。亡霊騒ぎは収束したが、人間の弱さと欲望が絡まり合って生んだ“影”は、都市のどこにでも潜んでいる。


 彼の元には、また新たな依頼が届いた。

 今度は、“呪われたマンション”で、夜ごと誰かが壁を叩く音がするという。


 涼は深く息をつき、依頼書を閉じた。


 ——影は、今日も誰かの心に囁いている。

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