第7話 この中にお医者さんはいらっしゃいませんか?

僕は、嘘をつくのが得意だった。

子どもの頃から、ちょっとした冗談や作り話で人を驚かせるのが好きだった。

でも、大人になるにつれて、それは“詐欺まがい”と呼ばれるようになった。


今の仕事は、いわゆる“なんでも屋”。

依頼があれば、どんな役でも演じる。

恋人のフリ、上司のフリ、果ては弁護士のフリまで。

もちろん、違法なことはしない。ギリギリのラインで、演技をするだけ。


ある日、奇妙な依頼が舞い込んだ。


「明日の午後、特急列車の中で“お医者さんのフリ”をしてほしいんです」


「……は?」


「ある人に、命の恩人が必要なんです。詳しくは言えませんが、あなたの“演技力”に賭けたい」


報酬は破格だった。

僕は、二つ返事で引き受けた。



翌日、指定された特急列車に乗り込んだ。

スーツに白衣を羽織り、胸にはそれっぽい名札。

医療ドラマを何本も見て、セリフも練習した。


「大丈夫です、私が診ます」

「脈はある。すぐに横にしてください」

「誰か、AEDを!」


完璧だった。

あとは、依頼人の合図を待つだけ。


ところが――


列車が山間部に差しかかった頃、突然、車内に悲鳴が響いた。


「誰か!誰か助けて!おじいちゃんが倒れたの!」


僕は、反射的に立ち上がった。

周囲の乗客がざわつく。


「この中にお医者さんはいらっしゃいませんか?」


その言葉を聞いた瞬間、心臓が跳ねた。

まさか、本当にこんな場面に出くわすなんて。


でも、誰も名乗り出ない。

みんなが不安そうに顔を見合わせている。


僕は、立ち尽くした。

演技はできる。

でも、命は救えない。


「……」


そのとき、後方の車両から、ひとりの女性が駆けてきた。


「はい!私、医師です!」


彼女は迷いなく倒れたおじいさんのもとへ駆け寄り、手際よく処置を始めた。

周囲の空気が、少しずつ落ち着いていく。


僕は、そっと席に戻った。

白衣を脱ぎ、カバンにしまう。


そのとき、ふと気づいた。

依頼人らしき人物が、数列前に座っていた。

こちらを見て、静かにうなずいている。


列車が次の駅に着くと、彼は降りていった。

僕は追いかけることもせず、ただ窓の外を見つめた。


あのとき、僕が名乗り出ていたら、どうなっていただろう。

演技でごまかせることと、ごまかせないことがある。

それを、初めて本当に理解した気がした。


そして、心の中でつぶやいた。


「……この中にお医者さんはいらっしゃいませんか?」


それは、もう二度と口にしてはいけないセリフだった。

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