第7話 この中にお医者さんはいらっしゃいませんか?
僕は、嘘をつくのが得意だった。
子どもの頃から、ちょっとした冗談や作り話で人を驚かせるのが好きだった。
でも、大人になるにつれて、それは“詐欺まがい”と呼ばれるようになった。
今の仕事は、いわゆる“なんでも屋”。
依頼があれば、どんな役でも演じる。
恋人のフリ、上司のフリ、果ては弁護士のフリまで。
もちろん、違法なことはしない。ギリギリのラインで、演技をするだけ。
ある日、奇妙な依頼が舞い込んだ。
「明日の午後、特急列車の中で“お医者さんのフリ”をしてほしいんです」
「……は?」
「ある人に、命の恩人が必要なんです。詳しくは言えませんが、あなたの“演技力”に賭けたい」
報酬は破格だった。
僕は、二つ返事で引き受けた。
*
翌日、指定された特急列車に乗り込んだ。
スーツに白衣を羽織り、胸にはそれっぽい名札。
医療ドラマを何本も見て、セリフも練習した。
「大丈夫です、私が診ます」
「脈はある。すぐに横にしてください」
「誰か、AEDを!」
完璧だった。
あとは、依頼人の合図を待つだけ。
ところが――
列車が山間部に差しかかった頃、突然、車内に悲鳴が響いた。
「誰か!誰か助けて!おじいちゃんが倒れたの!」
僕は、反射的に立ち上がった。
周囲の乗客がざわつく。
「この中にお医者さんはいらっしゃいませんか?」
その言葉を聞いた瞬間、心臓が跳ねた。
まさか、本当にこんな場面に出くわすなんて。
でも、誰も名乗り出ない。
みんなが不安そうに顔を見合わせている。
僕は、立ち尽くした。
演技はできる。
でも、命は救えない。
「……」
そのとき、後方の車両から、ひとりの女性が駆けてきた。
「はい!私、医師です!」
彼女は迷いなく倒れたおじいさんのもとへ駆け寄り、手際よく処置を始めた。
周囲の空気が、少しずつ落ち着いていく。
僕は、そっと席に戻った。
白衣を脱ぎ、カバンにしまう。
そのとき、ふと気づいた。
依頼人らしき人物が、数列前に座っていた。
こちらを見て、静かにうなずいている。
列車が次の駅に着くと、彼は降りていった。
僕は追いかけることもせず、ただ窓の外を見つめた。
あのとき、僕が名乗り出ていたら、どうなっていただろう。
演技でごまかせることと、ごまかせないことがある。
それを、初めて本当に理解した気がした。
そして、心の中でつぶやいた。
「……この中にお医者さんはいらっしゃいませんか?」
それは、もう二度と口にしてはいけないセリフだった。
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