第6話 金持ちには金持ちの苦労ってもんがあるんだぜ

「お金があれば、全部うまくいくのに」


そうつぶやいたのは、いつもの公園のベンチで缶コーヒーを飲んでいたときだった。

隣に座っていたおじさんが、ふとこちらを見て笑った。


「そう思うかい?」


「ええ。お金さえあれば、仕事も辞められるし、好きなことだけして生きていける。悩みなんて全部消えると思いますよ」


おじさんは、くしゃっとした顔で笑った。

どこかの会社帰りなのか、スーツはくたびれていたけど、靴だけはやけにピカピカだった。


「じゃあ、ちょっと試してみるかい?」


「え?」


おじさんはポケットから小さなリモコンのようなものを取り出した。

ボタンを一つ押すと、目の前の景色がぐにゃりと歪んだ。


気づけば、僕は高層マンションの最上階にいた。

目の前には、広がる夜景。

足元にはふかふかの絨毯。

テーブルには高級そうなワインとチーズ。


「……え?」


「おめでとう。君は今、資産百億の男だ」


「は?」


「この世界では、君は大成功した起業家。何でも手に入る。好きなものを買って、好きな場所に行ける。さあ、どうする?」


僕は戸惑いながらも、夢のような生活を始めた。

高級車に乗り、星付きレストランで食事をし、世界中を旅した。

欲しいものは何でも手に入った。


でも、数日経つと、何かがおかしいことに気づいた。


「社長、次の投資先の件ですが」

「この契約書、サインをお願いします」

「マスコミがまた騒いでます。対応を」


毎日、誰かが何かを求めてくる。

断れば恨まれ、応じれば責任が増える。

友人だと思っていた人が、金の無心に来る。

家族ですら、どこか他人行儀になった。


夜、広いベッドに一人で横たわりながら、僕は思った。


「……なんだこれ」



気づけば、また公園のベンチに戻っていた。

隣には、あのおじさん。


「どうだった?」


「……すごかったです。でも、なんか、疲れました」


「だろうな」


おじさんは、缶コーヒーを一口飲んで、ぽつりと言った。


「金持ちには金持ちの苦労ってもんがあるんだぜ」


僕は、しばらく黙って空を見上げた。

雲ひとつない、気持ちのいい青空だった。

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