第5話 フフフ…残像だ

僕の隣に住んでいるのは、忍者だった。

いや、正確には「自称・現代忍者」だ。


名前は影山さん。年齢不詳。職業不明。

いつも黒い服を着て、屋根の上を歩いている。

町内会ではちょっとした有名人だ。


「おはようございます」と挨拶すると、

「……拙者はすでにここにはおらぬ」

と、煙玉のようなものを投げて消える。

もちろん、ただのスモークボールで、すぐに物陰から出てくるのだけど。


最初は変な人だと思っていた。

でも、悪い人ではない。

ゴミ出しもきちんとするし、回覧板も丁寧に届けてくれる。

ただ、やたらと“忍者っぽく”振る舞いたがるだけだ。


ある日、僕は財布を落とした。

駅の近くで気づいて、青ざめた。

中には給料日直後の現金と、免許証、クレジットカード。


「やばい……」


交番に駆け込もうとしたそのとき、背後から声がした。


「落とし物、これか?」


振り返ると、影山さんが立っていた。

手には、僕の財布。


「えっ、どこで……?」


「フフフ……残像だ」


「いや、意味がわかりません」


「お主が財布を落とした瞬間、拙者はすでに動いていた。風のように、影のように」


「……ありがとうございます」


「礼には及ばぬ。忍びの務めよ」


そう言って、彼はまた煙玉を投げて、物陰に消えた。

でも、今回は本当に見失った。

どこに行ったのか、まったくわからない。



その日から、僕は影山さんのことが少し気になり始めた。

あの人、本当にただの変人なのか?

もしかして、本物の忍者なんじゃないか?


ある夜、コンビニからの帰り道。

背後に気配を感じて振り返ると、誰もいない。

でも、地面には足跡があった。

まるで、誰かがそこに立っていたかのように。


次の日、影山さんに会った。


「昨日、僕の後ろにいました?」


「……フフフ、それもまた残像だ」


「いや、だからそれ、どういう意味なんですか」


「真実は、風の中にある」


そう言って、また煙玉。

でも、今度は煙が晴れても、どこにもいなかった。



数日後、町内会の掲示板に張り紙が出た。

《影山さん、引っ越しました。長い間ありがとうございました》


僕は、なんとも言えない気持ちになった。

あの奇妙なやりとりも、もうできないのか。


でも、その夜。

部屋の窓を開けると、机の上に一枚の紙が置かれていた。


《財布、もう落とすなよ。修行は続けよ。—影山》


僕は思わず笑った。

そして、つぶやいた。


「……フフフ、残像だ」

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