第3話 ここを通りたければ俺を倒してから行きな

その男は、いつも同じ場所に立っていた。

町外れの古びたトンネルの前。

季節が変わっても、天気が荒れても、彼はそこにいた。


「ここを通りたければ、俺を倒してから行きな」


それが、彼の決まり文句だった。


最初は、誰もが驚いた。

だが、彼は誰かを殴るわけでも、追いかけるわけでもない。

ただ、そう言って立ちはだかるだけ。


「なんだあの人……」

「変な人ね」

「関わらない方がいいよ」


町の人々は、彼を避けるようになった。

やがて、トンネルは“変人のいる道”として有名になり、誰も通らなくなった。



ある日、僕はそのトンネルの前に立っていた。

学校帰り、近道をしようとしただけだった。

でも、そこに、彼はいた。


「ここを通りたければ、俺を倒してから行きな」


噂は本当だった。

背は高く、無精ひげにボサボサの髪。

でも、目だけは真剣だった。


「……倒すって、どうやって?」


「なんでもいい。言葉でも、ジャンケンでも、なぞなぞでも。お前が勝てば、通してやる」


「じゃあ……ジャンケンで」


「いいだろう。いくぞ、最初はグー、ジャンケン――」


僕はチョキを出した。

彼はグーだった。


「俺の勝ちだな。今日は通れない」


「え、マジで?」


「ルールはルールだ。明日また来い」


仕方なく、遠回りして帰った。



次の日も、その次の日も、僕は通った。

ジャンケンで負けたり、なぞなぞで勝ったり。

ときには、しりとりで勝負したこともあった。


「しりとりで“ん”がついたら負けだぞ」

「わかってるよ!」


彼は強かった。

でも、手を抜いてくれることもあった。

勝てば、トンネルを通してくれた。


「なんで、こんなことしてるの?」


ある日、僕が聞くと、彼は空を見上げて言った。


「昔な、俺は何も選ばずに生きてきた。流されるまま、逃げるまま。気づいたら、何も残ってなかった」


「……」


「だから、せめてここで、誰かの“選択”の前に立ちたかったんだ。通るか、引き返すか。戦うか、逃げるか。選ぶって、すごく大事なことだからな」


僕は黙ってうなずいた。



季節が変わり、僕は高校を卒業した。

進路に迷っていた。

大学に行くか、働くか。

夢もない。自信もない。


でも、気づいたら、あのトンネルの前に来ていた。


彼は、やっぱりそこにいた。


「ここを通りたければ、俺を倒してから行きな」


僕は笑った。

「今日は、ジャンケンじゃないよ」


「ほう、なら何で勝負する?」


「俺の“決意”で勝つ。俺、大学に行くよ。やりたいことはまだないけど、探してみる。逃げないって、決めたんだ」


彼は、しばらく黙っていた。

そして、ゆっくりと道を開けた。


「……勝ちだ。通っていい」


「ありがとう」


僕はトンネルをくぐった。

向こう側には、まぶしい光が広がっていた。


振り返ると、彼はもういなかった。

まるで、最初からいなかったかのように。


でも、あの言葉だけは、耳に残っていた。


「ここを通りたければ、俺を倒してから行きな」


それは、誰かに向けた言葉じゃなく、

きっと、自分自身に向けた言葉だったのだ。

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