第3話 ここを通りたければ俺を倒してから行きな
その男は、いつも同じ場所に立っていた。
町外れの古びたトンネルの前。
季節が変わっても、天気が荒れても、彼はそこにいた。
「ここを通りたければ、俺を倒してから行きな」
それが、彼の決まり文句だった。
最初は、誰もが驚いた。
だが、彼は誰かを殴るわけでも、追いかけるわけでもない。
ただ、そう言って立ちはだかるだけ。
「なんだあの人……」
「変な人ね」
「関わらない方がいいよ」
町の人々は、彼を避けるようになった。
やがて、トンネルは“変人のいる道”として有名になり、誰も通らなくなった。
*
ある日、僕はそのトンネルの前に立っていた。
学校帰り、近道をしようとしただけだった。
でも、そこに、彼はいた。
「ここを通りたければ、俺を倒してから行きな」
噂は本当だった。
背は高く、無精ひげにボサボサの髪。
でも、目だけは真剣だった。
「……倒すって、どうやって?」
「なんでもいい。言葉でも、ジャンケンでも、なぞなぞでも。お前が勝てば、通してやる」
「じゃあ……ジャンケンで」
「いいだろう。いくぞ、最初はグー、ジャンケン――」
僕はチョキを出した。
彼はグーだった。
「俺の勝ちだな。今日は通れない」
「え、マジで?」
「ルールはルールだ。明日また来い」
仕方なく、遠回りして帰った。
*
次の日も、その次の日も、僕は通った。
ジャンケンで負けたり、なぞなぞで勝ったり。
ときには、しりとりで勝負したこともあった。
「しりとりで“ん”がついたら負けだぞ」
「わかってるよ!」
彼は強かった。
でも、手を抜いてくれることもあった。
勝てば、トンネルを通してくれた。
「なんで、こんなことしてるの?」
ある日、僕が聞くと、彼は空を見上げて言った。
「昔な、俺は何も選ばずに生きてきた。流されるまま、逃げるまま。気づいたら、何も残ってなかった」
「……」
「だから、せめてここで、誰かの“選択”の前に立ちたかったんだ。通るか、引き返すか。戦うか、逃げるか。選ぶって、すごく大事なことだからな」
僕は黙ってうなずいた。
*
季節が変わり、僕は高校を卒業した。
進路に迷っていた。
大学に行くか、働くか。
夢もない。自信もない。
でも、気づいたら、あのトンネルの前に来ていた。
彼は、やっぱりそこにいた。
「ここを通りたければ、俺を倒してから行きな」
僕は笑った。
「今日は、ジャンケンじゃないよ」
「ほう、なら何で勝負する?」
「俺の“決意”で勝つ。俺、大学に行くよ。やりたいことはまだないけど、探してみる。逃げないって、決めたんだ」
彼は、しばらく黙っていた。
そして、ゆっくりと道を開けた。
「……勝ちだ。通っていい」
「ありがとう」
僕はトンネルをくぐった。
向こう側には、まぶしい光が広がっていた。
振り返ると、彼はもういなかった。
まるで、最初からいなかったかのように。
でも、あの言葉だけは、耳に残っていた。
「ここを通りたければ、俺を倒してから行きな」
それは、誰かに向けた言葉じゃなく、
きっと、自分自身に向けた言葉だったのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます