9-1. 我が主は部下を思いやることのできる優しい方です
「ご苦労だったな」
クソ貴族が感情の籠らない労いの言葉を述べた。
「……」
「どうしたシズカ嬢? 黙っていろと言った覚えは無いが」
「……はい、ありがとうございます。アイツォルク卿」
シズもまた抑揚の無い声でクソ貴族を見ずに言う。
俺達がいるのはクソ貴族ことアイツォルク卿の邸宅、その執務室だ。王都への帰還後すぐに第四小隊と別々に召集命令が届き、クロセドの任務について報告する羽目になった。
シズに同行するのは俺だけ。カイとはクロセドで別れたきりで、リオも女従者と顔を合わせるのを避けるため宿で留守番することになった。正直に言えば俺もアイツォルク卿なんぞに会いたくはなかったが、シズ一人で行かせることに対する負い目が勝り、こうしてまたシズから半歩下がって領主サマのご尊顔を拝見している。
「結構だ。さて次の任務についてだが——」
「あの」
話を続けようとするアイツォルク卿をシズが遮る。
「なんだ? 黙っていたかと思えば今度は話の邪魔か?」
「すみません……。でも、まだ十分じゃないんですか。私達はいつまでこんなことを続けないといけないんですか」
「まだ十分ではないのか、そのとおりだ。いつまで続けるのか、いつまでもだ」
「……は?」
アイツォルク卿の回答に思わず俺の方が声を上げてしまう。
「勘違いするな。私はむしろお前達の働きを高く評価している。今後の功績次第では正式に領主部隊に昇格してやらんでもない」
「なに勝手なことを……」
「勝手だと? お前のような迷人がよくそんなことを言えたものだな。本来ならこの家の敷居を跨ぐことすら許されないというのに」
「生憎と俺だってこんな家に来るのはゴメンだったよ。一人にしたらまたシズが未練がましい誰かさんに求婚されかねないからな」
「ほう?」
溜まった蟠りを吐き出すようにアイツォルク卿を挑発する。本来なら場を弁えてこんな発言はしないが、自分の兵隊を蚊ほども気にしちゃいない奴を前にして平静にはなれなかった。
しかしアイツォルク卿は少しも心を乱す様子はなく、むしろ愉しんでいるようにすら見える。そしてゆっくりと立ち上がり、デスクから離れて俺達に歩み寄った。
「なんだ、やけに噛みついてくるじゃないか。今まではシズカ嬢の付き添い程度でろくに発言もしなかったというのに。シズカ嬢の態度といい、何かあったか?」
「……あんたには関係無い」
「その態度は図星だな。任務に慣れていないお前達のことだ、どうせ隊員を失ったとかその程度のことだろう?」
「その程度だって……? ふざけんじゃ——」
「っ‼︎」
頭に血がのぼって足を踏み出した瞬間、シズがアイツォルク卿の頬を思い切り叩いた。その音は執務室に響き渡り、外で待機していたササキ氏が部屋に駆け込んでくるほどだった。
徐々に音の余韻が消えていく。上背のあるアイツォルク卿は頬に赤く痕を残したままシズを見下している。シズは肩で息をしているが、後ろからその顔を窺い知ることはできない。
「いい加減にして……ください……!」
鼻を啜る音とに混じってか細い声が聞こえる。
「下がれササキ」
アイツォルク卿は打擲の痛みなど感じていないかのように淡々と自分の従者に告げた。ササキ氏が部屋から出ていくと、アイツォルク卿が自らの頬へと手を当てる。
「頬を打たれたのは久しぶりだ。シズカ嬢、覚悟はできているんだろうな?」
「……」
「返事は無しか。もういい、行け。お前の処分は追って伝える」
「……失礼します」
シズは俯いたまま部屋を出て行き、俺もアイツォルク卿を睨んでからそれに続いた。
執務室の前にはササキ氏が待機していた。
「多くは聞きますまい。お二人とも、応接室で休まれた方がよろしいかと」
「そこで次の任務の話もするってわけですか?」
ササキ氏の言葉に被せるように言い放ち、執務室の扉に目を向ける。
「領主サマは兵隊の気持ちが分からないみたいですね。任務、任務、任務。まるで使い捨ての駒……いや元からそうなんでしょう。領主同士の関係がどんなものか知りませんけど、そのために過酷な仕事を押し付けられるのは俺達なんだ。せめて駒の気持ちぐらい汲んで欲しいもんですね」
「我が主は部下を思いやることのできる優しい方です」
「その部下に遊撃隊は入っているんですかね」
自嘲混じりの問いに、ササキ氏は答えない。
***
任務等級……最上位。
完了条件……龍の討伐及び街の奪還。
編成部隊……第五、第六、第七小隊及び遊撃隊。
遠征開始……一ヶ月後。
「遠征地域……ハリア」
宿に戻った俺達から資料を渡されたリオは、噛み締めるように自らの故郷の名を口にした。
「まさかこんなに早く機会が巡ってくるなんてね」
「リオさん、機会というのは……?」
「ああ、そうだね。ここまで来たからには二人にも説明しなきゃいけないかな」
居住まいを正してリオは俺達と向き合う。
「わたしが遊撃隊に参加した本当の理由は、家族の仇を取ることなんだ。……ハリアにのさばる、あの龍を」
「仇……。でも、ご家族は王都に避難されたって」
「ごめんねシズちゃん、あれは嘘さ。みんなに余計な気を遣わせたくなくて」
俯いたリオの髪の間から耳飾りが光る。
「王都にいたわたしはハリアが壊滅したことを人づてに聞いた。そして、王都への避難民が到着するとそこに家族がいないか必死で探した。……駄目だったよ。それどころか避難民の中にいた遠縁のおばさんに、わたしの家が襲来した龍の着地点だったと聞かされたんだ。もちろんそれで家族が死んだと決まったわけじゃない。遅れて王都に来る可能性もあるし、他の街に避難しているかもしれない。わたしは待った。でも、家族は現れなかった」
そう言って、リオは力なく首を振る。
「そのうちに王都での生活も厳しくなってきた。言ってなかったかもしれないけど、当時のわたしは学生だったんだ。両親からの学資金が途絶えてしまって、借りていた下宿の家賃の支払いも重かった。そもそも心配で勉強にも手が付かなくなっていたし、結局は学校を辞めることになったのさ」
「じゃあ、旅をしていたっていうのは……」
「お察しのとおり、王都に住む意味が無くなったからだよ。それにいつまでも王都にいたって仕方がない。もしかしたら家族はまだ生きていて、何らかの事情でわたしに連絡できないだけかも。そう思って自分から探しに行くことにしたんだ」
その先は聞かなくても分かる。リオの家族は……。
「見つからなかったけどね、やっぱり」
「そんな……」
「旅もあまりいいものじゃなかった。命の危険に晒されることもあったし、実際に命を落とした知り合いもいた。自分の境遇を嘆くことばかりさ。だから考えるようになったんだ。わたしがこんな目に遭っている元凶を、いつか殺してやるって」
顔を上げたリオの瞳は焦茶を帯びて強く透き通っている。
「そんな時、噂を二つ聞いたんだ」
「二つ? 片方は俺達のことか?」
「そのとおり、アイツォルクの領主部隊に面白い人たちが加入したってね。そこから先のことは前に話したとおりだよ。もう一つは……」
リオは持っていた任務の資料を掲げた。
「領主会でハリアの話が出たということ。これまでハリアに関する話題はみんな言及を避けていたんだ。龍に奪われてすぐ王様の勅命で統括軍が奪還戦を行ったけど、大量の死者を出して失敗に終わっていたから」
「ハリアの話を出した奴ってのはまさか……」
「そこまではわたしも聞いてないよ。でも近々王様が代わるって噂もあるぐらいだし、もしかしたら権力争いの過程でアイツォルク卿あたりが話したのかもね」
十分にあり得る、あのクソ貴族なら。
「もしまたハリアの奪還戦が行われるんだったら、わたしもそれに加わりたい。でも派兵されるのは領主部隊に限定されるだろうし、これから入隊するのは時間がかかりすぎる。だから賭けることにしたんだ……シズちゃんたちの遊撃隊に」
「そう、だったんですね」
「ごめんね、今まで黙ってて」
リオはそう言って深々と頭を下げてくる。前髪に遮られてその表情は見えないが、リオの意思は確かに伝わってきた。
しかし、シズの顔は晴れない。
「……本当のことを話していただいてありがとうございます。家族の仇を討つことは、リオさんにとって必ず成し遂げないといけないことなんですよね。でも私は怖くて……リオさんにまで何かあったらと思うと」
「それは……気を付ける。たくさん気を付けるから」
謝ったつもりが慰める形になったリオは困り顔でシズの肩を抱いた。その姿は窓から差し込む斜陽に照らされて、思わず胸が締め付けられる。
「正直、俺もリオには残ってもらいたい。だけどリオがそこまで言うなら止めても無駄だよな」
「うん、わたしは何があってもシラセくんたちと一緒に行く」
「……分かった。でも約束してくれ、危なくなったらすぐに逃げるって。最悪俺を身代わりにしてもらっても構わない。いや、俺が進んで身代わりになるぞ」
「ははは、そうならないように用心するよ」
リオは笑うが俺にとっては笑い事ではない。身代わりなんてものはその場にいなければ意味を持たない。用心しなければならないのは俺の方だ。
ただ、それでも不安はつきまとう。その一番の原因は戦力にある。実際、ヒサラを失いカイと別れた俺達では、第四小隊の生き残りと一緒でなければクロセドから王都に帰還することすら難しかった。
出発までに神聖術の使い手だけでも見つけようとしたが、紹介所で声をかけても首を縦に振ってくれる人間は見つからない。興味は持ってくれるものの、次の任務がハリア奪還戦と聞くと途端に顔色を変える。それだけでこの任務がいかに無謀なものかが分かった。
ただ、本当はそれだけではないのかもしれない。受け入れる俺達が仲間をまた失ってしまうことを無意識のうちに恐れているのだとしたら。断られた後につくため息は落胆か安堵か。
ただの独占欲だろ? シズとリオ、両手に花だもんな。
「……違う」
邪な考えを振り払って、俺は二人と共に王都を発った。
***
「第四小隊からの情報によれば、龍は港に面した政庁舎に陣取っているとのこと。隠れる場所のない海路から行くのは得策ではありませんし、そもそも飛行能力のある龍を相手に正面からの突撃は無謀です」
ハリアから少し離れた場所にある人気の無い村落、その公会堂に各小隊の幹部を集めたササキ氏はそう切り出した。
今回の任務は複数の小隊が参加する。各小隊の地位は遊撃隊を除いて平等なので、どこかの小隊長が指揮を取れば余計な軋轢を生む。そのためササキ氏が陣頭指揮を取ることになったというわけだ。聞けばササキ氏も昔は第一小隊のトップを務めていたらしい。
集まっている第五から第七までの幹部はいずれも個性的な面々ばかり。筋骨隆々な男もいれば、俺よりも若そうな優男も眼帯をした中年の女性もいる。軍隊と言えば年功序列で、シズが隊長を務める遊撃隊がイレギュラーだと思っていただけに驚く。
「それで、その無謀な突撃に代わる策っていうのが造船所への誘導ってことかい?」
眼帯の中年女性——ササキ氏から第五小隊長と紹介された——は落ち着き払った口調で聞く。
「そのとおりです。ハリアの造船所は地面を谷型に掘り込んだ構造をしていますので、そちらに龍を誘導し左右からまずは翼を叩く」
ササキ氏は答えながら、壁に貼り出した紙に図を書き記していった。
「龍の飛行能力を削がない限りは何も始まりません。つまりこの誘導が成功するか失敗するかに任務の趨勢がかかっています。そして担当していただくのは……」
「当然、私達ですよね」
「左様」
ササキ氏の視線に対してシズは目を閉じて答えた。
「遊撃隊に誘導を担当していただくのは、この任務に参加する方々を考えてのことです。どこか一つの小隊が危険を背負うことは避けたい。複数の小隊から一人ずつ担当する人間を選出すれば連携に支障が生じる。少人数で任務を全うできるのは遊撃隊しかいない、というのが我が主の結論です」
ササキ氏は言い訳がましく説明を述べる。そして小隊の幹部連中はそれに対して異議を唱えない。当然だ、遊撃隊が厄介事を引き受けてくれるのだから。
「龍の右翼は第五小隊、左翼は第六小隊に担当していただきます。その後の流れとしては……」
続けられる説明が耳を素通りする。俺の関心はただ一つ、リオとシズを守ること。それが出来れば龍の誘導もその後の進行も関係ない。最悪、他の小隊が全滅しようがどうでもいい。
「作戦内容は配布した資料にも記載しています。明日の作戦開始までには各自小隊への情報共有をお忘れなく」
ササキ氏の礼によって会議は幕を閉じる。
キャンプに戻ると、リオは焚き火に小枝をぽつぽつと投じていた。
「お帰り。作戦会議はどうだった?」
「最悪だよ。今すぐ荷物をまとめて帰りたい」
「そうですね。私も正直なところ、帰りたいです」
「「え」」
俺とリオは同時に声を漏らしてシズに注目する。
「あれ……おかしかったですか?」
「そういうわけじゃないんだが。シズがそんな弱音を吐くなんて意外だっただけで」
「そうそう。シズちゃんだったら『大変ですけど頑張りましょう』って返すかと思ったね」
「確かに以前の私ならそう言ったかもしれません。でも、お二人を危険に晒すことになるのに頑張る必要があるのかと考えるようになったんです」
「そっちの方が健全だよ。それで、二人が帰りたくなるような内容って一体どんなものかな?」
「そうですね……」
シズは会議の内容をリオに説明し始めた。
リオは最初こそ頷きながら話を聞いていたが、遊撃隊の役割の段になって首を傾げ、説明が終わる頃には頭に手を当てていた。
「いやー、これは確かに帰りたくなる気持ちも分かるなあ……」
「ごめんなさい、私の立場が弱いばかりに……」
「シズちゃんが謝ることはないよ。それにしても器の小さい男だね、アイツォルク卿っていうのは。ミカからは顔の良い堅物って聞いていたんだけど」
「最初からシズに対する当たりは強かったんだよ。たぶん振られたことを根に持っているんだろうな。とは言えぶっ叩かれた腹いせにしては度が過ぎる」
「それか元々遊撃隊の役割は決まっていたのかもね。ササキさんの話も筋は通っているし」
会話の合間を縫うようにリオの焚べた小枝が乾いた音を鳴らす。
「……龍の誘導なんですが、私だけでやろうと思います」
「あー、その台詞はシズっぽい」
「だね。頑張りましょうよりしっくりくる」
「え?」
肩をすくめる俺とリオをシズは困惑した顔で交互に眺めた。
「これでシズに全てを押し付けたら俺があのクソ貴族と同じになっちまう。むしろ誘導するのは俺だけで十分だ。二人は造船所で待っていてくれ」
「それこそ私も嫌です。そんな、シラセさんに押し付けるようなこと」
「わたしも反対だね。除け者にするなんて酷いじゃないか」
「でもリオは……」
「大丈夫、気を付けるから。王都を出る時にも言ったよ」
理不尽な役割を聞いてもリオの気持ちは変わらないようで、その姿勢にもどかしさを感じる。
リオは結奈じゃない。リオは、結奈じゃない。
自分に何度言い聞かせても、余裕ぶった態度を取ってみても、婚約者を死地へと送り込んでしまうような気がしてならない。そして、それは脳裏にチラつくあの光景に繋がる。
——あぁ……かみさま……。
「おーい、シラセくん」
血溜まりの中の結奈。腹にナイフの刺さった俺。霞む視界に木々のざわめきだけが耳に残るあの感触は、夢幻と片づけられないほどにリアルだった。
——つか帰っても居場所無いって。俺らもう死んでるし。
「シラセさん?」
クロセドでダウラ補佐役の言ったこと。俺は死んでこの世界に来た。結奈も死んでこの世界にいる? でも結奈と同じ顔をしたリオにはこの世界で生まれ育った記憶がある。
あれ? そういえば前にシズが迷人について何か言っていた気が——
「えいっ」
「痛っ!?」
いきなり肩に衝撃が走った。顔を向ければリオがジトッとした目で俺を見ている。焚火を挟んで正面に座るシズも苦笑いしていた。
「シラセくん、いきなり考え事を始めないでもらいたいね」
「あ、悪い……」
「とにかく、わたしは逃げも隠れもしないから。シズちゃんも自分だけが犠牲になるようなことは言わないで」
「ご、ごめんなさい」
結局なし崩しに三人で龍の誘導を行う流れになってしまう。
どうやったらシズとリオを極力危ない目に合わせないようにするか、そればかり考えてしまい、先ほど浮かんだ疑問のことを俺は忘れたままだった。
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