8-3. くれぐれもご注意を
リオの言うとおり、広間で時間を潰しているとフィルレ氏を先頭にシズとヒサラが帰ってきた。三人とも大きな袋を両手に抱えている。
「シラセさん、こんなところでどうしたんですか?」
「お迎えに上がったんですよ、お嬢様」
「ふふっ、ありがとうございます。またリオさんに揶揄われたんですね」
恭しくお辞儀をすると、シズは立ち止まらずに素通りしていく。
「シズ姉もシラセさんの扱いが雑になってきたわね」
「シラセ様、お迎え誠に感謝いたします」
続くヒサラとフィルレ氏も横を通っていき、俺は何も無い空間に頭を下げる格好になる。肩を落としつつ振り向くと、三人は礼拝のために通路へと消えるところだった。
「なかなか大変なお立場ですな」
「うおっ!?」
隣から突然聞こえた声に俺はまたもや飛び上がった。今度の声は艶やかさのかけらもない。
「……ウォルターさん、驚かせないでください」
「ほっほっほ、これは失敬。シラセ殿が冷たくあしらわれているのを目にしたもので。いやはや私と同じく損な役回りを任されているのですね」
「損? ウォルターさんがですか?」
「左様。正確には私と言うよりも私ども第四小隊ですが。諜報活動というものはなかなか骨が折れるのですよ。それにその情報をもとに武力行使をするのは私どもではなく他の部隊です。自分でカタをつけられない分、歯痒い点も多い」
「なんというか、申し訳ないっすね」
それを聞いて頭を掻く。俺達はまさにこれから第四小隊の得た情報をもとに任務を行うのだ。
「あと、俺の扱いも冗談半分だと思うので気にしないでください」
「仲がよろしくて結構ですな。任務の方も期待していますぞ」
俺との会話が終わると、ウォルター隊長は礼拝から戻ってきたフィルレ氏に外の様子を聞き始めた。隊長に副隊長とくれば、あの二人にも独特の信頼関係があるのかもしれない。
「なにぼーっとしてるの?」
後ろから声をかけられて、普段どおりのその声色に今度は安心しつつ振り向く。
「ヒサラか」
「あたしにも労いの言葉ぐらいかけて欲しいわね。リオさんの代わりにシズ姉に連れ出されたのはあたしなんだから」
「それはお疲れ様。外の様子はどうだ? さっきのシズを見た限りだと、特に変わったことは起きてなさそうだったが」
「シズ姉はあれで案外慣れるのは早いから。外の様子に関して言えば特に何も無かったわ。それこそ普通すぎるくらいにね。フィルレさんも気さくに街の人から声をかけられてたし」
「そうか。しかしよく外出を許してもらったな。こういう任務の前なんて、なるべく姿を見せない方がいいと思っていたんだが」
「こういう任務だからこそ隠れてるよりも堂々と顔を見せた方がいいんだってさ。街の人が味方になってくれるわけじゃないけど、見つかった時にも警戒は薄れるらしいし。それに世間話から分かることも多いみたい」
優しそうな喫茶店のマスターが実は裏では要人暗殺を生業とするスパイだった、みたいなことは漫画やドラマでもよくある話だ。
「あたし達もフィルレさんと一緒に挨拶したぐらいで、別に自由行動ができたわけじゃないしね。まあシズ姉としては街を見て回りたかったんだろうけど」
目を輝かせながらフラフラするシズと、袖を引っ張って連れ戻そうとするヒサラの姿がありありと思い浮かぶ。苦笑する俺にヒサラはため息をついた。
「次はシラセさんが一緒に行ってよね。あたしは始まるまで引き篭もってる方がいいから」
「分かったよ。……こんなことを聞いてどうかと思うんだが、それは戻ってきた後の礼拝も関係しているのか?」
「……」
ヒサラは俺を見て、それから奥の間へと続く通路に目を移した。
「関係してないと言えば嘘になるわ。村を追い出されてから神ってのに祈ったことなんて無かったし。いくら黒示教の感染を防止するためとはいえ、あたしにとっては……毒で毒を洗ってるようなものよ」
最後の一言は、ともすれば聞き逃してしまいそうなほど小さかった。
「……カイのやつ、もっと強くして欲しいってお願いしたらしいぞ」
「あの馬鹿らしいわね」
なんとか捻り出した俺の冗談に、ヒサラは仕方なさげに表情を緩めた。
***
部屋に戻るヒサラを見送っていると、入れ違いでシズが広間に顔を出した。
「ヒサラを探しにきたのか? あいつならさっき部屋に帰っていったが」
「ヒサちゃんとはそこですれ違いました。私はちょっとウォルター隊長と話がしたくて」
そう言ってシズは広間をぐるっと見回す。
「……いらっしゃいませんね」
「ウォルターさんは外に出ていったぞ。フィルレさんと喋っていたから何か新しい情報を掴んだのかもな」
今いるのはフィルレ氏と隊員、それに俺とシズの四人だけだ。この広間は入り口と直結しており、必ず隊長か副隊長が待機することになっている。
「何か聞きたいことがあったのか?」
「ええ、黒示教の影響についてです」
「影響というと生活習慣の話か? 見る限り日常生活に影響はほとんど無いと思うんだが」
「そうではなくて……。黒示教から解放された際に、それまでの行為は街の人にどんな形で残るのか気になるんです」
それを聞いて聖堂跡での出来事が頭に浮かぶ。神教徒の男女を黒示教に〝教化〟された住民が罵り、その処刑を囃し立てる。任務が完了して黒示教の影響から脱した時、その住民は何を思うのか。
「ウォルターさんが戻ってくるのを待つか」
壁際にあった椅子に腰掛けて、シズにもテーブルを挟んで置いてある空席を手で促す。
「いいんですか? シラセさんだって部屋に戻られるんじゃ……」
「戻ってもカイが暇々言うのに耐えるだけだからな。気が抜けないようにしたいんだよ」
「ありがとうございます。カイくんは凄いですね、こんな時でもいつもどおりなんて」
シズが椅子に腰掛けると、当然だが向かい合う形になった。真正面から見たシズは灯りに照らされてその輪郭を際立たせている。
「シズだって普段と変わらないじゃないか。と言うか俺以外のみんなだな、リオもヒサラも」
「シラセさんだって同じですよ。私は頑張って普段と同じように振る舞っているだけです。緊張を抱え込んだまま過ごしたら、いつか溢れてしまうので」
テーブルに目を落とすシズの影がゆらゆらとぼやける。それは広間に流れた風に灯りが揺らめいたからで、見ればまた別の隊員が帰還していた。隊員はそれまで話し込んでいたフィルレ氏らの輪に加わり、広間は少し騒がしくなる。
「でもクロセドを見て回りたいのは本心だろ? ヒサラが言っていたぞ」
「そっ、それは……」
「図星だな?」
「うう……ヒサちゃんの言うとおりです」
シズは観念したように身を縮めた。
「じゃあ別に振る舞っているわけじゃなくて、ちゃんと普段どおりなんだよ。やっぱりシズは図太い……ってこれもヒサラが呟いていたな」
「ヒサちゃんはなんでもお見通しですね。まるでお母様みたいです」
「それだと母親が年下になるぞ。まあでもシズやカイを叱るヒサラの姿は確かにそれっぽい」
「ヒサちゃんがお母様ならシラセさんはお父様ですね」
「俺も一緒に子ども役を希望するよ。となるとリオは……」
「シラセさんの恋人とか?」
「なっ!?」
意表を突かれたせいで声が大きくなってしまう。訝しげにフィルレ氏らがこちらを向く。
「ふふっ、冗談ですよ」
シズは先ほどのしゅんとした姿が嘘のように笑っていた。
……いや笑顔が怖い。内心は笑っていない気がする。
「冗談でも勘弁してくれ。ただでさえ完全に納得したわけじゃないんだ。気に障ったなら謝る、悪かった」
「謝るって、何をです?」
ああこれ厄介なやつだ。みなまで改悛しないと駄目な感じの。
「えーっと、それはだな……」
その後もウォルター隊長が戻ってくることを心の中で祈りながら、笑顔のシズに弁明と謝罪を続けることになった。
***
緊張しようとしまいと、暇だろうとなかろうと、三日の待機期間はゆっくりと過ぎていく。
エサンでの任務と違って今回は到着後すぐ開始するわけではない。それは心にゆとりを与えると同時に考える時間も増えることを意味する。
いくら任務とはいえ、生身の人間を殺すことに対する抵抗感は相当なものだ。そしてそれは仲間にも当てはまる。カナタの死生観が俺の世界と違うからといって、人の命を奪うことに何も感じないはずがない。
「正直なところ分からないね。判断が鈍らないよう自分に言い聞かせてはいるけど」
「オレは昔からそんなもんだと思ってるぜ。つっても同じ咎人を斬るなら後味わりーけど」
「辿ってきた境遇が違うからなんとも言えないわ。死にたくないから殺すし、それは神教でも黒示教でも同じことよ」
「私は……まだ割り切れません。でも割り切れないまま皆さんを危険に晒すのは嫌です」
この三日間で四人から聞いた答えには正解も不正解もない。ヒサラの言うとおり、カナタの人間同士でも境遇により思想が異なるのは当たり前だ。
それでも俺はシズの答えに近いと思った。仲間のために躊躇せず相手を屠るのは軍隊でもチームスポーツでも変わらない。偶然が重なって生まれた旅連れにこんな情を感じるようになるなんて、面白いこともあるとつくづく思う。
青臭い感慨が時間の経過とともに増す緊張と混ざり合って、まるで均衡が取れたかのように不思議な落ち着きが生まれた頃。
任務開始の合図が響く。
***
「聖堂跡に出たらそのまま群衆を迂回して新聖堂の裏手に回ってください。そこでまた我々の仲間と合流できます」
先頭を早足で行くフィルレ氏は振り返らずに言った。
そのまま通路の突き当たりまでくると、背を伸ばして天井に手を当てる。すると天井の一角がずるずると横に動いて上に続く梯子が現れた。
「地上まではすぐです。元は物置だった一角に出るので周囲には誰もいないと思いますが、くれぐれもご注意を。自分も別の道から向かいます」
「ありがとうございます。フィルレさんもお気をつけて」
シズが謝意を伝えると同時にカイが梯子を登り始める。それに続いてヒサラとシズ、リオ、最後に俺という順番で地上を目指す。全員が黒い外套を身に纏っているせいでぱっと見は区別がつかない。
「誰もいねー。出るぞ」
しばらくざらざらとした梯子を登り続けていると、頭上からカイの声が響いた。
吹き付ける風の冷たさに首を縮こませながら、一人ずつ順番に外へと出ていく。最後尾の俺は周囲を確認するより先に地下室への通路を雪で覆い隠した。それが終わるとようやく辺りに気を配ることができる。
そこはフィルレ氏が言ったとおり打ち壊された聖堂の跡だった。
聖堂跡は正面から見るよりも中からの方がその惨状を知ることができた。そもそも物置は壁が取り払われて周囲の部屋と同化している。尖塔があったと思しき場所には瓦礫が山積し、雪に覆われたせいでその意匠すら窺い知ることができない。かろうじて残る柱頭とそこに彫られた立像の背中越しに、この三日間で初めて雲ひとつない星空が広がっていた。
しかし星影に見惚れている時間は無い。梯子を登った時と同じ布陣のまま、崩れそうな壁に隠れながら新聖堂へと向かう。
途中、新聖堂の前に集まる群衆の姿を遠目に見ることができた。陽は落ち凍てつく寒さの中でそこだけは洋燈の灯りが煌々と光り、人々は騒ぎ立てている。
新聖堂の横手には当然ながら黒示教徒が警戒していたが、その配置もすでにこちらに共有されている。松明をシズの水術で消し、暗がりからカイが一気に詰め寄って締め落とす。首尾よく裏手まで辿り着くと、そこには建設用の足場が解体途中のまま残っていた。その陰から手筈どおり第四小隊の隊員が姿を現す。
「これ、崩れないよな……?」
二階まで続くその足場を見上げながら不安を胸に呟く。新聖堂への侵入経路は当然ながら正面入り口を避けることになる。そこで選ばれたのが裏手にある二階の窓だった。静かに、だが迅速に足場から窓を伝い新聖堂の中に入る。
「なんだここ……」
侵入した部屋の内装は外観と同様に一面が黒みを帯びてのっぺりとしていた。意匠もなくただただ表面を磨き上げただけのそこは、まるで俺の世界にある無機質なオフィスのようだ。
灯りは無く窓から差し込む月の光だけが部屋を照らす。目の前にはうっすらと扉が見えた。あれを開ければ、もう戻れない。
「っ……く……」
不意に隣にいたリオが嗚咽を漏らした。すぐにシズがしゃがみ込んで顔色を伺う。
「大丈夫ですか、リオさん……」
「だ、だいじょうぶ。ちょっと緊張しただけだから……」
リオは自分の体を抱き、何度か深呼吸を繰り返した。
「……うん、抑えられた。心配かけてごめん」
「本当に大丈夫? 無理ならここで待ってた方がいいと思うけど……」
「ありがとうヒサラちゃん。置き去りになっちゃうかもしれないし、わたしも行くよ」
弱々しく笑うリオのことは心配だが、時間をかけることはできず本人の意向を尊重することになった。異様な雰囲気の中、自らの手で人の命を奪いに行くのだから無理もない。
「気ィー抜くなよ。行くぞ」
カイがゆっくり扉を開け、人気が無いことを確認して外に出る。俺達も一人ずつカイに続く。
部屋を出て左手はすぐに壁になっていた。俺は頭の中で事前に見せてもらったこの場所の見取り図を広げた。俺達が侵入したのは新聖堂の正面入り口から見て左奥の角部屋だ。なので右手にまっすぐ行けば中央広間を見下ろす回廊に辿り着くはず。
ここから先は例え小声であっても会話はできない。この三日間で覚えた付け焼き刃のジェスチャーを駆使しながら回廊まで続く暗路を進む。事前の情報では建物の中に信徒はいないと言われているが、通り過ぎる部屋の扉からいつ何が襲ってくるか分からない恐怖は考えていた以上のものだった。僅かな足音が、衣擦れが、吐息が、心臓を跳ねさせる。
緊張と恐怖心に声をあげそうになる瀬戸際になって、俺達は回廊へと足を踏み入れた。
それは回廊と言いつつ、大きな柱が四、五本あるだけで残りは手すりを備え付けた質素な造りをしていた。一階広間とシームレスに繋がるその光景は、天井から降り注ぐ青白い光と相まってまるで学校の体育館を思わせる。それはますます宗教的とは言い難く、むしろ宗教を馬鹿にしているようにも受け取れてしまう。
回廊の構造に気を取られていると急に袖を掴まれた。見れば唇を尖らせたヒサラが顎で回廊の先を示している。そちらにはすでにカイとシズ、それにリオが向かっていた。
通路から飛び出そうとしたところでヒサラに押し止められる。同時に広間に扉の開く音が響き、慌てて床に屈み込む。頭の位置が下がったせいで一階の様子は確認できない。ヒサラと一緒に息を殺しながら音だけに集中する。
扉の閉じる音。床を叩く革靴の音。不規則に拍子を刻むのは複数人いる証拠だ。会話する声。これは残念ながら小さくて内容を聞き取れない。
靴音が止まる。鈍い金属音。おそらく祭壇の前にいる。さらさらとした音。どこかで聞いたことがある。紙の擦れる音か。
男の低く嗄れた声が聞こえ始めた。それは俺の世界の神社で聞く祝詞のような、ゆったりとしたペースで進んでいく。
それを聞いてヒサラがシズ達に合図を送る。回廊の向こう、柱の影に隠れていた三人は合図に気付いた。リオが短剣を抜き、シズが魔術の詠唱を開始する。立ち位置がずれたせいでヒサラが魔術による奇襲をかけられないこと以外は予定どおりだ。万が一シズの魔術が外れてもカイが飛び出し、俺とリオもそれに続く。
大丈夫だ、何も問題無い……本当に?
思考は回廊から放たれた赤い光によって遮られた。シズの行使した焔術はまるで流れ星のように一階広間に向かう。
「フッッ!」
炎が何かを燃やす音と続く男の悲鳴とともに、今度はカイが木刀を持って回廊の手すりを蹴った。その姿を追いかけて俺とヒサラも通路から飛び出す。
俺が手すりを掴むのと、カイが燃える二つの人影を斬り伏せたのは同時だった。
「カイ‼︎」
二階から飛び降りた衝撃に身を縮こませながら近寄ると、カイは床に倒れた二つの亡骸からローブを剥ぎ取った。
シズの焔術はローブを燃やすだけで、中の人間にトドメを刺したのはカイの斬撃だった。袈裟斬りにされた亡骸はどちらも男。片方は髭面の中年でもう片方は顔の白い若年に見える。それは第四小隊の情報にあったティーク教主とダウラ補佐役の特徴に一致するが、
「コイツら本当に標的で合ってんのか? いくらなんでもあっけなさすぎねーか」
「奇襲が上手くいったと思いたいな。街の人達が元に戻っているか確認するのが——」
俺の声を遮るように広間にまた扉の音が反響する。
……まさか。
「まーそうなるわな」
カイが落ち着き払った口調で呟き、視線を扉の先へと向ける。
そこには数え切れないほどのクロセドの住民がいた。老若男女問わず血走った目で俺達を睨んでいる。ただそれ以上に俺の目はあるものに釘付けになった。
それは、住民の一人が引きずるようにして持っていた。土気色に朱いまだらを帯びた物体。
「フィルレ……さん……?」
俺達を第四小隊の本部まで案内し、先ほど新聖堂へと送り出した副隊長。
フィルレ氏の、無惨な生首だった。
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