海さん(仮名)へのインタビュー

──この度はわざわざ時間を作って下さり本当にありがとうございます。では、早速ですがあなたとc子さんとのご関係を教えて頂けますか。


 はい。私とc子は、あっ、えっとやっぱりc子だと違和感があるので以前の呼び方でいいですか? ありがとうございます。じゃあ、これから先はうたと呼ばせて頂きます。私とうたは子供の頃から一緒で、それから中学三年まで同じクラスでした。以心伝心といいますか、私たちは言葉を交わさなくても互いの考えが分かるような、強い絆を築いていました。あなたの親友は?ともし聞かれたら、私は今でも詩の名前をあげると思います。


 うたは、本当にいい子でした。優しくて、誰よりも綺麗で、休み時間になれば詩の周りにはいつも自然と人が集まっていました。どこの学校にも一人はそんな子がいるじゃないですか? 生まれながらの魅力っていうのかな。自然と人を惹きつける、特別な力。詩はそれを持っていました。詩をもし教室の軸に置くとしたら、本来私なんて周りの子と同じようにふわふわと詩の周りを浮かぶ隕石みたいなものだったように思います。でも、詩は私を一番傍においてくれた。いつもです。休み時間、何かの係りを決める時、登下校、好きな人が出来た時に真っ先に告げる相手。いつもそこには私がいました。うたが、私を選んでくれたから。


 大人になるまでずっと一緒にいれると思っていました。でも、中学三年の冬、詩のご両親は車と車の衝突事故に巻き込まれて亡くなってしまいました。後部座席に乗っていた弟さんも病院に運ばれましたが後に亡くなっています。都内にある日帰りの温泉施設にいくつもりだったようです。本当はそこに詩も同席するはずでしたが、運が良かったのか悪かったのかその日の詩は体調を壊してしまい、それでも弟さんは楽しみにしてたので三人で行ってきてと送り出したそうです。


 それからの詩は、もう目もあてられないくらい辛そうで「私も、私も行けばよかった。そしたら…皆と一緒に死ねたのに」と泣きつかれた時は、あまりの痛みに胸が張り裂けそうになりました。家族を失った詩は、おばあちゃんに引き取られることになりました。幸い実家の近所だったので転校する必要はありませんでしたが、それでも一度崩れ去った日常はすぐには戻りません。むしろ、痛みや悲しみ、そして後悔が、どんどん詩の心を腐食していったように思います。私は必死に支えました。少しでも詩の気が紛れるように、少しでも痛みが癒えるように、無理に笑い、明るく取り繕い、とにかく一分一秒でも長く、詩の傍にいてあげようって。


 でも、私の努力は全て無駄でした。ごめんね。私、もう、頑張ったけど無理だった。一人にしちゃう私を許して。その日、詩に電話でこう言われました。すぐにどこにいるのと問いかけると、山にいると言いました。私はすぐに向かったように思います。でも、気付いた時には私は山ではなく学校にいて、泣き叫んでいました。すみません、この頃のことは私のなかでも記憶が飛び飛びでよく分からないんです。


 確か過呼吸を発症したのもその頃からです。終わった。終わった。詩は、もういない。そんな言葉が頭に気泡みたいに浮かんでは弾けて消えて、私は泣いて、泣いて、泣き続けました。教師には身体を押さえつけられ、それをみていたクラスメイト達は私のことを恐怖の対象としてみつめていました。息が出来ませんでした。涙が、鼻水が、私の叫び声が、それらの全ての事象が私の呼吸を阻害します。暗く、つめたく、なっていきました。そして私はその世界に身を置きました。


 心を引き裂かれたからでしょうか。今度は家の前に立っていました。平凡な、木造の一軒家です。ドアノブをひくと、ぎぎっと嫌な音が鳴り、廊下は真っ暗でした。先の方では橙色のひかりとゆらゆらと揺れ動く白いカーテンがみえました。何故かその時の私は陽の光を疎ましく思い、二階に上がりました。両側に手すりがあったのでそれに手を添えて、ゆっくりゆっくり登りました。手すりになにかがついていると気づいたのは、登りきってからです。薄明かりに照らされて、私の右の手のひらは何故か真っ赤に染まっていました。渡り廊下があって奥に扉が開いている部屋がありました。私はそこに足を進めます。そして、部屋のなかが視界を埋め尽くした瞬間、私は目を見開きました。ベッドの上に、真っ赤な色に染まった制服姿の詩がいたのです。


──えっ、どういう、ことですか?


 ええ、驚きますよね。私もあまりの衝撃に少しの間声が出なくなりました。部屋のなかには小窓があって、そこから差し込む陽の光を詩はぼんやりと眺めていました。私はすぐに駆け寄り、詩の身体を抱き締めました。強く、強く。詩の身体も、開きっぱなしの窓から流れてくる風も、氷のように冷たかった。でも、そんな事はどうでも良かったのです

良かっ、た、良かった。そう溢しながら、私は泣き続けました。詩はそんな私の頬に手を添えてそっと涙を拭ってくれました。


 詩はそのあと、ぽつりと呟きました。私さ、やっと分かった気がする。この世界で存在している意味が。当時の私は感情の波が大きくうねりをあげていて、おまけに泣きすぎたせいで頭のなかではじんじんと熱を帯びていました。だから、詩の放った言葉は意識半分で聞いていました。意味を探ろうともしていなかったのです。ねえ、◯◯。さっきさ、地面にぶつかる寸前空から黒い雪が降ってるのがみえたの。うん。すっごく、きれいだった。うん。私たちの会話は、そんな風に続いたように思います。


──すみません。先程から少し話が飛びすぎて状況をうまく整理することが出来ないのですが、詩さんは黒い雪がみえると言ったんですか?


 はい。他にもそれに似たような事を言っていました。あれはそう、詩が詩じゃなくなった少し後のことでした。


──ちょっと意味が……。


 私たちは少しの間話していましたが、何を話したのかよく覚えていないんです。私も動揺していたのか記憶が曖昧で。ただ、一つ覚えているのはその瞬間、詩は詩じゃなくなりました。ああ、具体的にですか。そうですよね。詩が途端にふっと顔を持ち上げたんです。天井をみているようでした。それからゆっくりと瞼が降りてきて、目を閉じた。一秒、二秒、三秒。たぶん、それくらいだったと思います。次に目を開けた時には、詩は自分のことを天使だと言っていました。


──てん、し、ですか?


 ええ、天使です。それが何を意味しているのか、何故そんなことを口にしたのか、私には分かりませんでしたがこれだけは言える。あの瞬間から、詩は詩じゃなくなりました。口調も、仕草も、表情も、まるで別人でしたから。話は然程続かなくて静寂が降りかけた時、ふいに詩が言葉を放ちました。


 なるほど、魂の双子か。


 切り裂かれた喉から絞り出しているような、低くくぐもった声でした。どう考えても詩の声ではありません。そして、その声はまるで頭になだれ込んでくるようでした。想いが、ちいさな断片として私のなかに入ってきて、そして徐々に輪郭を伴っていくような、そうして私はやっと詩がなにを伝えようとしているのか胸の奥底で分かるような、そんな感じでした


 それから程なくして、私に背を向け扉を抜けようとする詩の腕を私はとっさに掴み、どこにいくのと問いかけました。すると、詩は薄っすらと微笑み、大丈夫。きっとまた会えると言いました。その瞬間は、間違いなく詩でした。だから私は腕を離しました。不思議ですよね。寸前までもう二度と会えないかもしれないと思っていた詩が実際に目の前に現れ、また会えると約束してくれたなら、何故か私はそれでもいいと納得してしまったんです。私は去っていく詩の背中を見送りました。部屋の小窓から、家を出たばかりの詩と目が合います。声を少しだけ張り上げて、こんな事をいっていました別々の糸を手繰り寄せ続けた先で、この言葉が私とお前とを繋いでくれる。覚えておくといい。


 私は言葉を発しませんでした。この日を最後に、まさか六年も会えなくなるとは思いませんでしたが、ただ詩が言ったようにいつかまた会えるだろうという確信めいたものがあったからです。私と詩の瞳は、二階と一階で高低差はあったものの磁力のようなもので結ばれていたように思います。詩の唇が微かに開いたのがみえました。それと同時に、私の唇もゆるやかに開きます。雪が降ると、あなたは咲く。詩がそう口にした時、私も無意識に同じ言葉を口にしていました。それが、私と詩が交わした最後の会話です。

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