光の居場所

king of living water

第1話


私はひかり、34歳。地方の小さな教会が運営するカフェでボランティアとして働き、日々祈りと居場所づくりを目指している。朝の風は冷たく、窓越しの光がこの日を始めるサインのように私を包む。




店内にはコーヒーの香りと賛美歌の音が混じり、椅子は静かに並べ替えられている。私の仕事は、コーヒーを淹れること以上に、誰かの話を聞くこと。そしてその人が心の居場所を感じられるよう、小さな祈りを差し込むこと。人を喜ばせる才能はあると自負している。けれど心の奥には、愛されない不安と孤独が絡みついて離れない。そんな私の胸の内を、誰かに見せる日はまだ来ない。




扉が静かに開き、ボランティアの一人が近づいてくる。「おはよう、ひかりさん。今日も賛美歌の練習はあるの?」




「うん。午後にはミニ礼拝を開く予定。準備は順調よ。」私は答えながら、カップの縁を拭き磨く。鏡のように光る表面に自分の姿が映るたび、心の影がほんの少し揺れる。




私は日記のようにビデオ日録をカフェの端で回している。自分の言葉を誰かが後で聴いてくれるかもしれないからだ。過去の傷を誰かに語ることはまだ重く、だから言葉を選び、映像という窓を開け、心の一部を淡く映し出す。映像は私の心の地図。誰かに伝わるかどうかは別として、私自身が自分を見つめ直す手がかりになる。




扉の音に反応して振り向くと、教会の階段を降りてくる少女がいた。ミナ。移民の家庭の子どもで、海と風の匂いを瞳の奥に宿している。彼女の言葉はまだ不器用だが、ここなら安心して話せると微笑んだ。




「こんにちは、ひかりさん。今日は友達と来ました。話してもいいですか。」




私は緊張を胸に頷く。「もちろん。どうぞ、カフェの席へ。」




ミナと私は席を探しつつ、静かな会話を始める。その横で、角の机に置かれた時計が一拍ごとに刻む音が場の静けさを際立たせた。私は彼女の瞳を覗き込み、遠い海の話に耳を傾けながら、同時に自分の内側の影を確かめる。




その時、牧師の田中直樹牧師が部屋の奥から現れる。長い影を落とす静寂を破らない穏やかな声で言う。「ひかりさん、今日の準備は順調かね。財政の話は後で。まずはミナの話を聞こう。」




私は一呼吸置いてうなずく。ミナの友達についての話を促すように、彼女の横顔をそっと見やる。ミナは少し緊張しながらも、話を続ける決意を胸にゆっくりと口を開いた。




「私、学校でいろいろ言われたことがあって……でもここに来ると、話せる場所がある気がする。今日は友達のリナと一緒に来ました。リナも、ここで少し休ませてもらえたらって言ってる。」




ひかりは息を整え、彼女の瞳をまっすぐに受け止める。私たちが作りたい居場所は、ただのカフェの居心地だけではなく、言葉にできない痛みをそっと受け止める場所でもあるはずだ。私は優しく微笑み、穏やかな声で話しかける。




「ミナさん、リナさん、ここは話せる場所。無理せず、少しずつでいい。私たちはあなたたちの居場所づくりを一緒に考えるよ。財政の話は後で、今は二人が安心して話せる場を作ろう。」




ミナの肩の力が少し抜け、リナも小さくうなずいた。二人はテーブルに並ぶコップの音を響かせながら、学校や家庭のこと、夢や不安を少しずつ語り始める。私は彼女たちの話を丁寧に聴き、必要と感じるときだけ、 小さな祈りをそっと窓辺に差し込む。映像の窓には、私の心の地図が、少しずつ新しい道筋を描き出していく。




部屋の奥の窓から外の光が差し込み、ミナの瞳が波の色に揺れる。田中牧師は静かに頷き、話の流れを見守るようにそっと距離を置く。私の胸の中にある不安は、ここで少しだけ寄り添ってくれる人の存在で、静かな温もりへと変わっていくようだった。




「今日はここで少し様子を見るだけでもいい。必要なら、また来てくれればいい。私たちは待っているよ。」




ミナは大きく頷き、リナも安心したように微笑んだ。カフェには再び穏やかな静寂が戻り、私の胸の影はもう少しだけ薄くなる。私はカップを丁寧に磨き直し、記録しておいた日記の一ページに新しい章を刻んだ。




財政の話はまた後で。まずは、ここに来た人たちの居場所を、私たちがどうやって守り、育てていくか——それが今、私に与えられた課題だった。




(続く)

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