第3話 奈落の底
だから、国民は、
「あんなやつがトップだからいけない」
ということで、
「今なら、あいつ以外のソーリなら、最悪でも、今よりはましだろう」
といって、
「何とかソーリを変えてほしい」
と、
「弱小野党に望みを掛けたりしたものだった」
だからこそ、
「今が野党にとってチャンス」
だったはずなのに、野党もたぶん、
「今火中のクリを拾いのは、得策ではない」
ということだろう。
「今の政府は、どうしようもない」
とは分かっていても、いうだけいって、結局、野党内で分裂する結果になったりするのであった。
こうなると、ソーリは、
「病気」
というものを理由に、
「病院に逃げ込んでしまった」
そこで、
「次のソーリ」
ということになるのだが、国民のほとんどは、
「ソーリが変わったから、さすがに、今までほどひどいことはないだろう」
と考えていた。
しかし、実際には、
「あまり名前も売れていないくせに、力がなぜかあるのか、国民を無視したやり方」
というのが目立った。
特に、
「専門家のいうことを参考に、政策を決める」
ということをずっと言い続けているくせに、実際に、方針を発表すると、後から、
「あれは専門家の意見ではない」
ということばかりだったのだ。
つまり、
「やっていることと、いっていることがまったく合わない」
ということであり、
それが、今度は、
「オリンピック強行開催」
ということになった。
世論調査で、
「国民の8割が、反対もしくは延期を希望している」
という結果が出ている。
しかも、
「国民の6割は、中止を希望している」
というのに、
「強行開催」
というのをしたのである。
つまりは、
「ここは、どこの国だ?」
ということになるのだ。
要するに、
「この国は日本だ」
ということで、
「日本の国家主義は?」
ということになると、
「民主主義だ」
ということになる。
「じゃあ。民主主義というのは?」
というと、
「多数決が基本」
ということになり、法律すべてが、この多数決を基本にしている。
ということになる、
少なくとも、
「過半数を割ることが、政策として通れば、その時点で、民主主義ではない」
ということになり、それこそ、
「法治国家の、立憲民主の国」
ということであれば、その時のソーリのやり方は、
「違憲である」
といえるだろう。
本来であれば、
「憲法違反ということで、告訴され、もし、ソーリを辞めた後であっても、追及されるべきことだ」
といえるのではないだろうか。
そうなると、今度は次の選挙では、
「政権内からも、離反者」
というものが出てきた。
というのは、
「あのソーリでは、選挙に勝てない」
ということで、若手議員のように、当落ギリギリの人にとっては、大きな問題で、そういう人たちが団結して上を動かし、長老から、
「次の総裁選には出馬しないでくれ」
と言われ、結局、
「泣く泣く辞退した」
ということであった。
とは言っても、自業自得ということで、このソーリの時も、
「こいつさえ辞めればいい」
ということで、
「これ以上ひどいソーリはいないだろう」
ということになったのだ。
実際に、今度ソーリになった男は、今までの中では、
「期待されるに十分な人」
といってもよかったが、その、
「化けの皮」
というのは、すぐにはがれたのであった。
実際に、早い人は、その
「化けの皮がはがれた瞬間」
というのを、
「組閣の時点」
で分かったことだろう。
実際に国民に対し、
「これまでの疑惑となっていることを、自分が晴らす」
といっておいて、
「疑惑の中心にいた、2代前のソーリの派閥から、たくさんの人を入閣させている」
ということで、
「完全で、明らかな公約違反」
ということである。
さらに、ひどいのは、
「海外で、戦争が起こった」
ということであったが、本来であれば、憲法第9条というものがある日本の立場から考えると、
「日本は、戦争に参加してはいけない」
ということが憲法で決まっているのに、
「他の国が、一方の国に支援する」
ということを決めたことで、本来であれば、
「憲法で決まっている」
ということで断らなければいけないのに、率先して協力し、さらには、
「金も無償で寄付することになった」
ということである。
日本は、
「戦争に巻き込まれないようにしないといけない」
ということであり、そのためには、
「絶対に中立でなければいけない」
ということだ。
それなのに、一国にひいきして、金まで与えるというのは、もう一方の国を、
「敵に回す」
ということになるのだ。
つまりは、
「金を与えるということになれば、中立ではなく、一方の国に対し、同盟に基づいて抗争している」
ということと同じことだ。
そして、
「中立である」
というのであれば、
「絶対に、片方の国をひいきする」
というやり方はしてはいけないということだ。
つまりは、
「一方に加担するということは、もう一方の国に、宣戦を布告した」
というのと同じではないだろうか?
それが国際法上では、微妙なところなのかも知れないが、
「少なくとも、国民が、世界的なパンデミックのあおりを食って、苦しんでいるのに、それを無視して、他の国に援助する」
というのは、どういうことなのか?
ということである。
「家族が倒れて、助けを求めているのに、近くで赤の他人が倒れているということで、家族を無視して、助けに行く」
というのと同じである。
普通、そんなことが、人間として許されることだといえるのだろうか?
しかも、その金は、
「ソーリのポケットマネー」
ではないのだ。
「国家予算から出ている」
というわけで、すなわち、
「国民が、憲法に定められた義務ということで納めさせられている税金」
というものだ。
これではまるで、
「徳川時代における、年貢を横流しする悪代官のようではないか?」
ということだ。
ドラマや講談などでは、
「水戸黄門」
などの、
「正義のヒーロー」
が現れて、
「悪代官を懲らしめる」
という、
「勧善懲悪」
ということになるのだろうが、本来であれば、
「水戸黄門」
であるべき、ソーリというものが、
「悪代官の上前を撥ねる」
というのだから、
「とんでもない世の中」
というものだ。
しかし、もっと悪いのは国民で、最初は、この戦争が、
「侵略された側がかわいそう」
などといっていたが、次第に、国民生活がおかしくなってくると。手のひらを返したように、
「あの時に、ソーリが海外にやった金があれば、少しは違ったのに」
ということで、
最初は、
「勧善懲悪の観点」
から、騙されているとも知らずに、ソーリを応援していたくせに、自分たちの状況が悪くなると、今さら気づいたかのように、ソーリを攻撃するということである。
「最初からわかっていなかった方が悪い」
といってもいいのだが、
「勧善懲悪だった」
というのが、本当に、
「言い訳としての免罪符」
ということで通用するのだろうか?
これが通用するということになれば、
「いくらでも、後付けで言い訳をすれば、それが簡単に免罪符となる」
という前例を作ってしまうということになるのだ。
そのうちに、
「この免罪符」
というものが、
「通用しなくなる時が来る」
というもので、
「実際には来ているのに、それに気づいていないだけ」
という、バブル崩壊時を彷彿させる国に成り下がったということになるのだろう。
とはいえ、
「日本政府のトップ」
というのは、今まで、
「「世界の警察」
ということを唱え、世界の中心に君臨してきた国が、今度は、世界に出ていくことをせず、
「自国ファースト」
というものを唱え始めると、今度は、
「属国扱い」
というものをされてきた国が、どんな目に遭うか?
ということである。
そもそも、戦後、表では、
「全面協力」
と言われながら、影ではどんな目に遭ってきたのかを考えると、日本政府のトップは、その
「傀儡」
といってもいいだろう。
そもそも、
「傀儡国家」
「傀儡政権」
というものを作ることが得意だった、
「かの戦争」
における、
「枢密国」
というものがほとんどではなかったか。
それが、今や自分たちがその方法で、他国からの傀儡とされる。これこそ、
「因果応報」
といえるかも知れない。
その象徴が、
「ソーリ」
である。
今のソーリは、
「海外にしか目を向けていない」
もっといえば、
「日本というものがどうなろうが関係ない」
ということで、保身に走っているとしか思えない。
要するに、
「沈みゆく船には乗っていられない」
ということであろう。
それだけでも、
「すでに、末期症状」
といってもいいかもしれない。
この場合の、
「末期」
というのがどういうことなのかというのは、それこそが、
「歴史が答えを出してくれる」
ということで、今の時点では誰も分からないだろうが、結末だけは分かっているようなものだ。
あくまでも、
「それがいつなのか?」
ということだけであり、早まるかどうかは、今後のソーリによるといってもいいだろう。
ただし、
「すでに手遅れ」
ということで、
「果たして余命はいつまであるというのだろう」
というだけのことである。
とりあえず、そんな国家であることに気づいている人も結構いるだろう。
「せめて、そんな破滅は、自分が死んでからにしてほしいものだ」
と願うばかりである。
世の中が、そんな、
「奈落の底」
に落ちようとしていることを気にしている人もたくさんいたが、それを独自に研究している人がいた。
もちろん、大っぴらにすることはないのだが、仕事が、雑誌記者ということで、仲間には、そういう話を、面白おかしく書くのが専門の人がいた。
「自分は、観光などが中心の記事を書いているので、そのような、社会的なことには興味はない」
と思っていたのだが、実際には、社会部の人たちからは、政治の話や、世界情勢の話を、飲み会などで、よく聞かされたものだ。
「情報交換の場」
ということで、結構、そういう話を聞かされたのと、実際に、その話が、
「信じるに値する」
というもので、どんどん、想像が膨らんでいき、逆に、聞いた方が気になってしかたがないという状況になったという。
彼は、風車出版という出版社に勤める、
「今村」
という記者だった。
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