第9話 厳戒態勢
カッコーン。
雅やかな日本庭園に鹿おどしの音が優雅に響き渡る。和服姿の少年が二人。年配の女性に向かって両手をついて頭を垂れた。
「お稽古、ありがとうございました」
「はい。お二人とも久しぶりでしたけれど、お上手でいらっしゃいました。」
柔らかな声色。落ち着いたグレーの着物には小雪が上品に染められている。
「学さんが中学校に上られて、ご多忙に……コン、コン。ごめんなさいね。ちょっと喉が……」
女性が軽く咳き込んだ瞬間、和室の襖がスパンと開けられた。
「な、ふごごご……」
上品なご婦人はお茶の師範。本日三度目の咳き込みをしたとたん、屈強な3人の男にがんじがらめにされ、口には、いや、顔には特殊なマスクがつけられて、あっという間に敷地外に連れ出されてしまった。
12月に入った尾崎家は年末年始に備えての準備が始まった。二人はお年始に幾つかのお茶会に呼ばれているので、今日はそのための稽古に勤しんでいたのだ。
「あーあ。流石に三度も咳き込めばね」
「歳をとって、喉が渇きがちだったかもしれないけれど。見過ごせないね」
「「 全ては花華のため」」
二人は後ろに控える男に悪びれもなく言った。
「守さんの事務所の秘書に謝罪文を送らせておいて。一応僕らのお茶の師範だし」
「あの人の所作は洗練されているからね。まだ縁を繋ぎたいから。丁寧に頼むと伝えて」
そう。風邪の疑いがある人は尾崎・八木原邸に入れる訳にはいかない。
今年は特別な12月。
尾崎・八木原家、両家の天使、花華が初めて家で過ごす12月だ。
今までの師走は、春亜の繁忙期と言った程度の認識で、面倒なパーティに度々呼ばれる、あまり楽しい季節ではなかった。だが、今年は違う。天使が実在し、我が家に舞い降りたのだ。俗世間のように祝いたいではないか。(昨年は生死の境を彷徨っていて、イベントをもつ雰囲気でなかった反動も大いにある)
ということで、まずはクリスマス。
キリスト教信者ではなくとも、盛大に祝いたい気分の一家は、一丸となって花華と一緒のハッピークリスマスに突き進んでいた。
金持ちの全力である。ちょっと想像をしていただきたい。
主役は花華。彼女が喜ぶことが全て。だが、発達の遅い1歳8ヶ月の娘が主張する願いはまだない。ならばどうする? 花華馬鹿一家は考えた。
両家が取り組んだのはサンタクロースの選定であった。恰幅がよく、程よくしわがれたお爺さん。庭師の重造がイメージに合致した。彼は12月に入った途端、隔離生活に入る。
虚弱体質の花華との接触が予想されるのだ。万が一にもインフルエンザなどの感染症を持ち込む訳にはいかない。うがい手洗いの徹底。食事は栄養を考えて栄養士監修のもとに支給される。八木原邸の客間が与えられ、エアーブロウで菌や埃を吹き飛ばし、除菌ミストを浴びて入室。感染症各種の検査は日替わりで実施。睡眠の深さやリズムが測れるモニターも装着。
クリスマス一週間前までは通常通りの仕事を許されているが、それ以降は外出が禁止され、部屋で過ごすことになっている。窮屈な生活を強いられるが、八木原邸の客間に隣接してジムや温泉、シアタールームなど各種施設があり、退屈は紛らわせる。何より無事にサンタ役が真っ当できればボーナスがでるとあって爺心はウキウキである。
次にツリーと花華の部屋の飾り付けだ。軟禁生活に入る前、重造は花華の部屋の前庭に程よい大きさのツリーを設置した。2階の部屋から程よく見栄えるツリー。赤や緑、金銀のオーナメント。昼に美しく、夜は控えめに幻想的に瞬く仕掛け。
花華の部屋の飾りは腕白に育っている双子の手が届かない範囲で。家政婦や語学教師らがこだわって華やかに飾りつける。当然、一つ一つに入念な消毒。万が一に飾りが落ちても花華に危険が及ばないものを。
春亜は花華のためにクリスマス音楽を編集し、芸術的なクリスマスカードも作成する。当日は復帰ディナーショーで不在にすることに胸を痛めつつ、それにはやむ追えぬ事情があるのだが、ひっそりと涙を落とした。
料理の素材は自社農場のこだわりの産物で、近々の料理コンテストの優勝者を呼ぶ。当然この料理人らもサンタ役と同じく屋敷に軟禁される。
そして大切なのはプレゼントである。誰が花華にプレゼントをあげるのか? もちろん全員である。だが、まだ自我がはっきりしない乳児。何をあげるかが難しい。
皆、迷う。皆、迷う。そして迷走。
金はある。だけど本当に与えたいのは健康な身体。それは無理なのだから。悩む。皆、悩む。そして結局は碌でもないものに落ち着いていくのだけれど、それはまたいつか。
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