第7話 301号室

僕が301号室の前を

通りかかった丁度その時、

ドアが開いて中からサングラスをかけた

兄の清明が出てきた。

「遅かったな」

清明はドアを施錠しながらそう言った。

「う、うん・・。

 ちょっと友達と遊んでたんだ」

「そうか」

「に、兄ちゃんは、

 これからどこかに行くの?」

「バイトだ」

「あっ、今日は金曜日だね」

清明はウェーブのかかった

長めの髪をかき上げると

僕の頭を軽くポンッと叩いてから

階段を下りていった。


この春高校3年生になった清明は

週末だけ葛城町のホストクラブで

アルバイトを始めた。

当然、

未成年である以上

アルコールは飲めないので

仕事は給仕と雑用係だったが、

問題はそこではなかった。

清明はテレビに出てくるアイドル並みに

整った顔立ちをしていて、

モデルのようにスタイルも良かったが、

絶望的に愛想がなく、

殊更女性に対してはそれが顕著だった。

さらにもう1つ。

清明は今でこそ落ち着いていたが、

昔は荒れていて、

日々喧嘩に明け暮れていた。

『悪魔の子』『狂犬』『死神』 

など陰で囁かれていた綽名は様々だった。

無慈悲で残酷。

そして。

凶暴で残虐。

相手を徹底的に痛めつけることから、

実際に何人か殺したことがある

という噂まで流れたこともあった。


兄のアルバイトのことは皆には内緒で、

家族の中では僕しか知らないことだった。

「アルバイトの件が

 爺にバレると五月蠅いからな」

アルバイトを始めた当初、

兄は僕にそう話していた。

怖いもの知らずの兄が

唯一頭の上がらない存在が

祖父の麒麟だった。


麒麟は滅多に401号室から

出てくることはなかった。

母が生きていた頃は、

母が401号室まで食事を運んでいたが、

今では清明がその役目を引き継いでいる。

清明がそれほどまでに

麒麟に従順なのは訳がある。

話は清明が中学3年生の頃まで遡る。



ある日の夕方。

僕が遊びから帰ってくると、

『テングビル』の前に

白いベンツがとまっているのが見えた。

そして。

そのベンツの前で

清明が3人の黒服の大人に囲まれていた。

不穏な空気を感じ取った僕が

こっそりと近づくと、

黒服の1人が

清明に話しかける声が聞こえた。

「お前。

 この辺じゃ

 『時限爆弾』

 って呼ばれてるらしいな。

 でもな。

 ガキが大人に逆らっちゃいけねえ。

 教育してやるから

 事務所まで来てもらおうか」

清明は面倒臭そうにポケットから

煙草を出すと火を点けた。

それからゆっくりと煙を吐き出した。

清明はそのまま白いベンツに乗せられた。

そして。

すぐにベンツは走り出した。

僕の目の前を通り過ぎる時、

一瞬だけ窓から中が見えた。

後部座席に座っていた清明の口許には

薄っすらと笑みが浮かんでいた。

僕はしばらくその場に立ち尽くして

ベンツの走り去った方を眺めていた。

その時。

何の前触れもなく祖父の麒麟が

ビルから出てきた。


麒麟はゆったりとした浴衣を着て、

草履を履いていた。

そして腰まで伸びた真っ白な髪を

首の後ろで1つに結んでいた。

長い平行眉も口髭も顎髭も

すべてが雪のように白かった。

やや吊り上がった奥二重の目。

高い鷲鼻に伏月型の薄い唇。

年輪が刻み込まれた皺だらけの顔は

如月とは違って激情的だった。

ひょろりとした長身で

腰がやや曲がっていた。

浴衣から覗く首や手足は

骨と皮だけだった。


僕は祖父の顔を見て若干の恐怖を感じた。

なぜなら。

数年前に見た時と麒麟の顔が

まったく変わっていなかったからだ。

しかし。

子供と違って歳を取った人間の変化は

微々たるもので、

当時の僕にその違いが見抜けたかどうかは

疑問が残る。

「どこに行くの?」

僕が訊ねると

「清明もまだまだ子供じゃからの。

 それに。

 子供の喧嘩に相手の親が出てきたのなら

 こちらもそうするしかあるまいて」

麒麟はそう言って

「ふぁふぁふぁ」と笑った。

太陽は西の空に沈もうとしていた。


その日。

日付が変わる少し前に

麒麟が清明を連れて戻ってきた。

麒麟の後ろで

項垂れたまま小さく震えている清明の姿を

僕は3階のベランダからこっそり見ていた。


後でわかったことだが。

この件は数日前の揉め事に

端を発していた。

その日の昼過ぎ。

領家町にあるカフェ『Double Jeopardy』で

学校をさぼった清明が

紅茶を飲みながら本を読んでいると、

近くのテーブル席に

ガラの悪い2人の若い男達がやってきた。

1人はスキンヘッドの髭面。

もう1人は半袖のシャツから

和彫りが覗いていた。

男達は宿禰市に本家を置く

『3代目山主會』の若衆だった。

彼らはテーブルに着くなり

大声で話し始めた。

静かな店内が一瞬にして

場末の居酒屋へと変わった。

「店を間違えてるぞ」

清明は本に目を落としたままそう言った。

男達が清明の方をぎろりと睨み付けた。

「あんっ?」

「何か言ったか?ガキ」

男達が声を荒げた。

「ここじゃ迷惑だから表に出ろよ」

清明は本を閉じると

小さく溜息を吐いてから立ち上がった。


子供の喧嘩に親が口を出すのは

やくざの世界でも変わらない。

いや。

やくざには面子がある分、

それがより顕著になるのかもしれない。

組の若い者が素人のそれも中学生に

喧嘩を売った挙句、

返り討ちにされたとあっては

面子が丸潰れだからだ。


どちらにせよ。

この一件が片付いて以来、

荒れていた清明は

すっかり大人しくなった。

本人は

「もういい歳だからな」

と大人びた台詞を吐いていたが、

その原因が祖父の麒麟にあることは

容易に想像できた。

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