第14話 影武者の時代と愛季の脅威(1579年)

 1. 弘前へ、伊達政宗への道

​ 神崎亮平は、六羽川の戦いで魔弾を使い切った後、回収したニキータの銃の部品と、わずかな現代の正規弾を携え、伊達氏の元へ戻る準備を進めていた。津軽為信の独立は確固たるものとなったが、彼の心は次の時代の覇者、伊達政宗を指導するという目標に向かっていた。

​ 彼は、為信に**「暫く奥州で修行する」と告げ、自身の現代の知識と組織運営の技術**を為信の側近に託した。神崎が築いた津軽の基盤は、すでに彼が去った後も自律的に機能するほど強固になっていた。

​(政宗の元へ行き、天下統一という大きな流れに乗る。それが、俺がこの時代を生き抜く最善の策だ)

​神崎は、奥州街道を南下する途中、歴史が1579年へと進んでいることを知った。本能寺の変まであと3年。戦国の世は、最終決戦の様相を呈し始めていた。

 2. 安東愛季の脅威と津軽包囲網

​ 神崎が津軽を離れた頃、津軽為信にとって最大の脅威が、出羽国の**安東愛季あんどうちかすえ**によってもたらされていた。

​ 安東愛季は、かつて南部氏に屈した安東氏の当主であり、強大な水軍力と外交力を持つ実力者だった。彼は、南部氏から独立した津軽為信を**「逆賊」と見なし、津軽を再び安東氏の支配下に置くべく、大規模な包囲網**を敷いていた。

​ 1579年、安東愛季は南部氏と結び、陸奥湾から津軽海峡にかけて水軍を送り込み、津軽氏の生命線である港湾貿易を断ちにかかった。津軽為信は、独立以来最大の危機を迎えていた。

 3. 津軽為信と「影武者」の誕生

​ この緊迫した状況下で、津軽為信は、神崎が残した**「秘密の組織論」と「情報戦の重要性」**を最大限に活用した。

​ 為信は、自身の居城である大浦城に籠城し、決して表に出ようとしなかった。その間、城内のごく一部の人間だけが知る秘密が実行されていた。

​ それが、津軽為信の「影武者」の採用であった。

​為信は、自分と容姿が似た若い武士を見つけ出し、神崎から教わった**「情報攪乱」**の戦術として、彼を表舞台に立たせることにした。

 影武者の役割

​ 安東愛季や南部氏の暗殺部隊のターゲットを逸らすこと。

​ 為信の居場所を錯覚させ、敵に混乱を生じさせること。

​ 為信本人が安全な場所で戦略立案に集中できる時間を稼ぐこと。

 ​この影武者は、為信の甲冑を身に着け、時に城壁の上で兵士を鼓舞し、時には最前線に近い場所で視察を行った。しかし、彼の行動は常に慎重で、神崎が教えた**「最小限の力で最大限の効果を出す」**という原則に従っていた。

 ​安東愛季の斥候は、この影武者の姿を報告し、愛季は**「津軽為信は怯えているが、まだ戦意を失っていない」**と誤った判断を下した。

 4. 龍の工房からの報告

​ 神崎は、伊達領に入った直後、伊達輝宗の命により、彼の**「龍の工房」**に呼び戻されていた。

​片倉小十郎は、神崎に津軽の危機を伝えた。

​「神崎殿。安東愛季が津軽を包囲している。貴殿は津軽の独立に手を貸した。このままでは、伊達の北辺が乱れる」

​ 神崎は、津軽の混乱と影武者の報を聞き、為信が自分の教えをうまく使っていることに感心した。

​「為信め、なかなかやるな。しかし、安東愛季は強敵だ。水軍と外交を両輪で使う。影武者だけでは限界がある」

​ 神崎の自動拳銃には、まだ現代の正規弾が残っている。伊達氏との取引上、彼は安東愛季の排除に動くべきだ。

​「片倉殿。俺を、安東愛季の元へ送ってくれ。黄金ではなく、**『死の外交』**を仕掛ける」

​ 神崎は、伊達氏の客将として、安東愛季という大きな壁に立ち向かうことを決意した。彼の持つ未来の力と傭兵の知恵が、奥州の運命を再び変えようとしていた。

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