35の謎解きの先には

セツナ

35の謎解きの先には

 人生なんてクソったれだ。

 上司はなんてほとんど部下の事なんて気にもかけないし、同僚は大体話が合わない奴ばかり。結婚どころか恋人もできない。

 休みの日も仕事の残務処理でほとんど潰れるし、平日に定時で上がれた試しがない。

 あれ……そもそも定時なんてあったっけ。

 ブラック・オブ・ブラックなのが、俺の勤め先だ。

 ――高校教師。

 一般的には安定した仕事だと思われがちだが全くそんな事は無く。

 進路を決めた時に心の中で燃えていた炎は、就職して時間が経つごとにどんどん勢いを失っていった。

 心の中にある価値観の天秤は、教師としての未来についての物事が圧倒的に重く、恋人とか友人関係とかそういった私生活はずっと高い位置で揺れているだけだったのに。

 今となってはその天秤はシーソーのように両端がぶらぶらしている。

 それは今更、私生活の部分が重くなったとかそういう訳ではなく。

 俺の“教師”というものに対する熱意が薄っぺらい紙のように、価値のないものになってきつつあるという事を意味していた。

 けれど、そんな俺のせめてもの救いは自分が担任をしているクラスの生徒たちだろうか。

 俺のクラスの生徒たちは、良くも悪くも素直な子ども達ばかりだ。

 友人たち同士で楽しく話してる奴らもいるし、ほどほどに対立関係もあるし、昔の俺みたいにクラスの端でボーっと周りを眺めているだけの奴もいる。

 テストが始まるとピリピリとした空気が漂い出して、終わった途端に気が抜けて授業中に居眠りをする奴が出てくるのすら愛おしい。

 そんな生徒たちを見ていると、この仕事をしていて良かったと感じる事が多いのだった。

 けれど、そろそろ職場での業務に自分のキャパが追いついていない事や、あまりにも教務主任からの圧が酷い事が重なり、遂に今年度……は無理だろうから来年度にでも退職をさせてもらえないかと相談をしようと考えている。

 けれどどちらにせよ。卒業が間近に迫った2月の下旬。今自分が担任しているクラスの生徒たちの卒業は見送りたい。そればかりが俺の仕事を続けるモチベーションだった。


***


 期末テストも終わり、安心しきった空気が流れている学校内だが、教員室はあわただしかった。

 試験結果の答え合わせは勿論、それに伴い生徒たちが授業の単位が取れるのか、補習が必要なのか、卒業ができるのか。

 そう言ったことで頭を悩ませる時期である。

 俺も例にもれず答案用紙を前に頭を抱えていた。

 クラスで一番頭の弱い三木みきが……あまりにも赤点が多すぎて、補習から逃れられない事が明白。

 はぁ、と深めの溜息を吐く。肺に重く滞留していた息は、吐いてみると案外簡単に空気に溶けていってしまった。

 そんな俺の溜息をとがめるように、離れた場所に座っている主任が一つ咳払いをした。

 こほん。それが本当に自分に向けられたものなのかは分からない。でも、それに過剰反応をしてしまう程には俺は疲れてしまっているようだ。

 少し校内でもうろついて気分転換でもしようかと席を立った瞬間。教員室の扉がノックされた。

 この試験期間中は生徒の教員室への立ち入りは厳禁だ。

 そんな中、下手をすると内申点にすら響きそうな行為をしてきた生徒が扉を開けた。

 扉の向こうには、髪を茶色に染めた男子生徒が立っていた。

 山本やまもと 道絽どうろ。俺の担任する学級の生徒だった。

 一目見ただけで明らかに“不良”だと分かる容姿で、しかも身長も高く視線も鋭い。初対面の人間だったら大人でも委縮してしまうような生徒だ。

 そんな山本を注意しようと近づいた教員越しに俺を見つけて大きく手を振ってきた。


「川崎センセー!」


 まるで狂暴そうに見えるシベリアン・ハスキーが笑った時のように、一瞬でグシャっと崩れた笑顔がまぶしい。

 俺は彼が厳重注意を受ける前に急いで席を立つと、彼に向かって歩いていた教員へ「すみません」と謝罪をして山本に向き直った。


「なんだ山本。話なら外で聞くぞ」


 そう言って彼の背中を軽く押して廊下に出ると、山本は俺に向き直って一通の手紙を手渡してきた。

 それはシンプルな封筒に入っていて、宛先の名前の部分に『川崎かわさき 将吾しょうご先生』と、俺の名前が書かれていた。


「これは?」


 全く心当たりのない手紙。裏面には出し人の名前はない。

 俺が尋ねると山本は「わかんないんすよ」と頭を傾げた。


「なんか、俺に渡してきた武藤は佐々木から渡されたっていうし、佐々木は及川から受け取ったって言ってたっけな」

「なんでそんな事になるんだよ」


 俺の手に届くまでどんだけ旅をしてきたんだ手紙こいつは。


「なんかみんな自分宛の手紙を開けたら、次の人の手紙が入ってるんすよね。現に俺もほら、川崎センセー宛の手紙が入ってたの」


 そう言って山本は俺の目の前で『山本やまもと 道絽どうろ様』と書かれた封筒を振った。


「センセーのもどうせ誰か宛の手紙なんじゃないんすか?」


 山本はそう言いながらも、俺の手に渡った手紙をじっと見ている。よほど中身が気になるのだろうか。

 俺は肩をすくめて封を開ける事にした。

 誰のイタズラかはしらんが、この忙しい時期にこんな事に付き合ってる暇はない。

 さっさと次の人間に手渡してしまおう。

 そうして開封した手紙には予想を裏切るものがあった。

 入っていたのはポストカードでそこにはこう書かれていた。


『読んでくれてありがとう! 4月の着替えと間違い探しだよ』


 という謎の文章と共に、下手なイラストが描かれていた。

 イラストの下に「ぽんぽこ!」と書かれていたので、それがかろうじてタヌキである事がわかる。

 タヌキのイラストの更に下には


『街アリのキルしたクキ』


 と、更に意味不明な文言が書かれている。

 隣で覗き込んでいた山本は気味が悪そうな表情を浮かべていた。


「なんすか、これ」

「わからん」


 なんでこんな意味不明なメッセージが送られてくるのか。

 ただ――


「ただ一つ分かるのは、伊藤いとうノエルの机になんかあるって事か」


 俺がそう言うと、隣の山本は不思議そうに頭を傾げていた。

 こんな子ども騙しな遊びに付き合ってる暇は無いんだが……頭を右手でかくと、隣でまだ頭を傾げてる山本を見た。

 彼は俺の視線に気付いて「まぁよく分かんないっすけど、息抜きにあそばねぇっすか?」と、例のシベリアンハスキーのような表情で笑った。


***


 伊藤の机の上に行くとまた謎の文章があり、そしてその問題を解き次の場所に行くと次の問題……という風に、俺と山本は学校の至る所を歩かされまくった。

 そして、そうしているうちに俺はある事に気付いた。

 問題が30を超えた頃に、そろそろこの遊びも終わるのだろう、と感じた。

 山本は俺の問題を解いてる様を見ながら「ほえー」とぼーっとした顔をしていた。

 問題が35問目を迎えた頃、彼の幼馴染の坂田さかた 絵梨えりが、遠くから走ってきて「先生! こいつ借りるね!」と山本を風のように連れ去っていった。

 俺はそれを手を振って見送ると、最後の問題に向かった。


 最後の問題は、屋上だった。

 屋上の壁に貼ってある紙には『334』と汚い文字で書いてあった。

 きっとこれを書いた奴は、これでも真面目に書いたんだろう。俺なら分かる。そしてこれが最後の問題だ。

 両目から溢れそうになる涙を堪えながら、紙に書かれている問題に向き直る。

 時間を確認するためにもスマホを開く。そして開いたメモ帳の、スマホの入力画面で『334』の数字が示す場所を入力していく。


【した】


 そして俺は、屋上から校庭を静かに見下ろした。

 そこには俺が担当しているクラスの生徒達が立っていた。


 坂田に引っ張られて端っこで頭を傾げたままの山本。

 クラスで一番字が汚く、頭も弱い三木。

 字がとてつもなく上手いくせに絵が壊滅的に下手な伊藤。

 勉強よりも居眠りが好きな佐々木。

 いつも予習も復習も完璧だけど打たれ弱い田中。

 運動神経が良く、どんな球技もそつなくこなす身体のでかい武藤むとう

 優しく大人しいのに、何故か不良と仲のいい及川おいかわ

 他にも一人ひとりの顔が、表情が目に飛び込んでくるたびに、彼ら彼女らとの思い出が蘇ってくる。

 彼らの中心に立っているのは、誰よりも優しく、そしてそのせいで傷つきやすくもある愛川だった。

 彼は年末まで不登校で、少しずつ頑張って保健室登校を続けてきた。

 そして12月。冬休みも間近に控えた2学期の終わり際、彼は突然クラスに登校を再開した。

 それがどんな心境の変化か、何か要因になったのかは俺には分からないし、もしかしたら当人にもはっきりとは言えないのかもしれない。

 それでも彼は再び登校をするようになった。

 それぞれの生徒にいろんな思い出や感情を抱えていた。

 俺が屋上のフェンスから顔を覗かせたのを確認すると、愛川が声を張り上げた。


「川崎先生!」


 これまで俺が見てきた大人しく引っ込み思案な彼からは想像もつかないくらい大きい声。

 声に震えは見えるが、それでも彼にとっては大きな変化だっただろう。


「ありがとうございました!」


 そして愛川は頭を下げた。

 それに続くように、他の生徒も「川崎先生ー!」「せんせー!」「ありがとうー!」「おせわになりました!」とそれぞれ思い思いの言葉を叫びながら俺に手を振った。


 そんな彼らの姿を見て、彼女らの言葉を受け、気付いたら俺は涙を流していた。

 あぁそうか。

 俺にとってはクソッたれな上司も、気の合わない同僚も、どうでも良かったんだ。

 この子達と、これから出会っていく子ども達と過ごす日々が生きがいなのだ。

 そんな当たり前の自分の気持ちや幸せを享受するべきだったのに、それを変に否定してしまったから、俺が自分で自分を大切に出来ないでいたのだ。


 彼らが思い思いに俺へ言葉を投げかけてくれる中、俺は静かに目頭を押さえた。

 ありがとう、ありがとう。

 俺にかけられた声を受けながら、同じように心の中で彼らに同じ言葉を返しながら。

 ありがとう、ありがとう。

 俺の心に何度も、彼らの言葉と俺の気持ちが響き合っていく。

 ――ありがとう、ありがとう。


-END-

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