追窮!追究!追求!

葉緑体

第1話

貯金は底を尽きた。

文字通りの一文無し。

明日からは路上生活の仲間入りだ。

始まりは高校二年の冬休み。

あの日おもむろに手に取った小説が俺の人生の全てを狂わせた。

脳に直接電極をぶち込まれたような衝撃だった。

___面白い。

活字から背を向けるようにして生きてきたそれまでの十七年は一瞬にして消えていった。

___面白い!!

お世辞でも自己陶酔でもなんでもなかった。

ただ掌で繰り広げられる物語に身を投げ出すほど没頭した。

これまでのすべては空虚でこの瞬間から自分の人生は始まったのだと思った。

それから俺は生活の全てを読書に傾注した。

駄作も名作も取り込めるものは取り込めるだけ吸収して文字の世界に没頭した。

そのうちインプットだけでは飽き足らず自ら文章を書いて賞に応募するようにもなった。

初めの頃こそは箸にも棒にもかからない有様だったのに繰り返すうちにスキルも身につき、ついには小さな小説賞で大賞をとるほどに成長した。

そして選考委員の出版社から華々しいデビューを飾り、まさに順風満帆な人生を送り出した。

しかしそんな人生は一年と持たずに転落する。

所詮俺は一発屋だった。

賞をとった小説はヒットとは言えないものの、まあ売れた。

しかしそれ以降から発表した作品はどんどん売れなくなっていった。

そのうち収入もどんどん右肩下がりに減って行き、生活費が払えなくなるまでには時間もかからなかった。

借金を次々と重ねた。

必死で潰えていく希望を繋いだ。

それにも限界が来た。

生活費の振込用紙とともに督促状が混じるようになったのは半年前のことだ。

そして強面のヤクザのような面々が家の周りを彷徨っているところを目撃したのは先日のことだった。

その光景を思い返せすだけで足先から悪寒が走る。

どう考えても、こんな暮らしはもう続けられない。

俺は支払わずに貯め続けた督促状の束を握りしめる。

込められた意味は重いのに、物体そのものは片手で丸め込めてしまえるほどに軽い。

決行は今夜だ。

どうか来世では売れっ子作家になれますように。

そう祈って計画の準備を進める。

そして月が輝く満月の夜。

俺は予め借りておいた車を出して、アパートから逃げるように出ていった。




生命体がタンパク質の集まりでできている、と知った時の興奮は言葉では言い尽くせない。

複雑怪奇な事象をまるで内包しているかのように見せる人間の正体は遺伝子の塩基配列に規定されたアミノ酸の集合体だったのだ!

そう気づいてからの私は無敵だった。

どれほど辛く苦しい状況でも耐え忍ぶことができるようになった。

大学入試も院試も就職もお手のもの。

ついぞ憧れ続けた生体反応を研究する医薬品メーカーの研究所に就職した。

それから継続して研究を続け、はや5年が経つ。

初めの頃に携わったプロジェクトは元々いい所まで進行されていたこともあって、半年ほど前に完遂した。

今は次なるステップに向けての準備が細々と重ねられる、いわゆるちょっとした休止期間の状態。

こういった時間はあまりないので適切な過ごし方も分からないまま持て余している。

おもむろにデスクの上にあった科学誌を手に取った。

パラパラとページをめくる。

様々な分野の論文が色鮮やかな図録とともに分かりやすく添えられている。

自分の分野に近いものは無いかと見ていると興味の引かれる記事を見つけた。

それはとある被子植物の研究に関わるものだった。

なんでもその植物に含まれる有機化合物が新種のものである可能性が高いそうで、上手く解明出来れば薬に転用できると記事には記載されていた。

私は植物分野に明るくないが、医薬品研究を行っている立場上、新種の有機化合物には非常に興味をそそられた。

しかし科学誌には詳しい内容までは記載されておらず、また研究の過程にあるため論文なども公表されていないようだった。

どうにか縁を見つけて化合物について詳しい話を伺えないだろうか。

研究者としての好奇心が疼く。

誌面の後半部には記事の掲載を行った研究者と研究機関の連絡先が載ってあった。

もちろん目当ての研究室名も記載されている。

細かく確認をすると、とある大学の研究室のものであるようだった。

早速アポを取ろうとデスクの端にある受話器に手を伸ばした。

数コールもすると応える声があった。

若い声だ。

きっと研究室の学生によるものだろう。

要件を手短に伝えると学生は教授に繋ぐと言って電話を代わった。

教授は物腰やわらかそうな老齢の男性で快い返事をくれた。

私は次の週末に話をするという約束を取り付け、電話を切った。

しかし妙な約束だった。

まさか集合場所が人里離れた山奥だとは。





「何ッ!?犯人がわかっただと!?」

「もったいぶらずにさっさと教えなさいよ!」

「まあまあ、少々落ち着いてください。これから世紀の推理ショーが始まるんですからね。来る事件解明、カタルシスのために期待を高めてもらわないと」

いきり立つ二人の男女を相手に探偵は飄々とした態度で答える。

探偵に用意された今度の舞台は洋館での殺人ミステリーであった。

六人の男女が集うこの館であろうことか残忍な殺人事件が起きたのだ。

洋館の浴室で宿泊者の一人が溺死していたのだ!

動機が推察できないことと拘束された跡があることから被害者の死因は自殺ではなく他殺であると断定された。

現場は密室だった。

容疑者は四人。

そして全員にアリバイがある。

ミステリ小説さながらのできすぎた展開だ。

「そもそも、検死がなされる前に死因を断定するのは間違っていると思いませんか?絞殺である可能性もありますし、撲殺である可能性もあります」

「何を言ってるんだ!溺死だと言ったのは君ではあるまいか!!」

「そうよ!それに、外傷は見られないと貴方が言ったんじゃないのよ。絞められた跡だって腕だけと言うんだし、撲殺なら血の一滴くらい落ちているはずよ!」

「落ち着いてください。探偵さんの話を最後まで聞きましょう」

品の良さげな男の声が響く。

彼も容疑者の一人であるが猟奇的な殺人というのが背負う柔らかなオーラにどうにも似つかない、穏やかな成人男性だ。

「ありがとうございます。僕はここにひとつの可能性を提示します。この瓶を見てください」

「「それって……!!!」」

「はい。裏の焼却炉に捨てられていました。この瓶が事件の重要な鍵を握っている、と僕は断定します。そうです。被害者は溺死ではなく、毒殺。この瓶に入った毒によって殺害されたのです!!」

「そんなッ!!まさか……」

「犯人から何らかの方法でこの毒を飲まされ、殺害された被害者は犯人の手によって浴槽に運ばれました。そしてまるで被害者が自殺したかのように浴槽に沈めたのです。溺死にしては発見された時の体制が不自然です。恐らくほとんどの確率で毒殺と考えて良いでしょう」

「そして、この瓶のラベルを見てください。うっすらとですが文字が読めるでしょう。”南漢大学理学部”、と。そうです。この大学は……」

「”彼”が所属している大学ではないか!!」

「待って!”彼”は今どこにいるの……?」

「恐らく。探偵さんの推理を察し、どさくさに紛れ、逃げたのでしょう」

「外は通信機器の通じない、深い夜の森の中。犯人が逃げきるのか、捕まるのかはどうやら。僕の腕次第ですね」

探偵はニヤリと笑って夜闇に駆け出した。






車を止める。

ここは市街地を遠く離れた山間部にある樹海だ。

闇の中で佇む巨大な木々はその形も相まって、不気味に映る。

売れないしがない小説家である俺はあろうことが樹海での自殺を選んだ。

最期まで小説家らしい偉業を何も遂げられなかった。

数々の名作をこの世に生み出した文豪たちの中には自死を選んだ者が多くいる。

俺とは真逆の人生のはずなのになぜその道を選んだのか。

文豪たちとは真逆の立場にいながらも浅ましく最期だけを模倣しようとする出来損ないの小説家には理解できそうもなかった。

予め買い込んでおいた縄を木の幹に掛ける。

途中で枝に指がひっかかかって、薄らと血が手に伝った。

慌てて傷口を手当しようとして指を口に含んだとき、どうせ死ぬのにとどうしようもない笑いが漏れた。

本能はどうやら生きていたがっているらしい。

だがこの先、どう考えても生きていくことは出来ないのでそれは選べない。

自嘲じみた笑みを浮かべる。

するとどうだろう。憑き物を落としたかのように気分がいい。

ずっと重い枷を背負っていた身体が羽のように軽い。

上機嫌に一度も試したことがないのに手馴れた手つきで縄を幹に結びつけていき、ついに自殺のための装置が完成した。

脚立の上に上がり、縄でできた輪を首に通す。

完成した輪はとても綺麗で位置が違えば天使のヘイローのようだった。

堕天していくように宙へと浮こう。

ゆっくりとその一歩を踏み出した。

瞬間。

明るい光が閃いた。

あたりはまるで真昼のように眩しく照らされ、長い時間ここにいたのではないかと錯覚させられる。

「何なんだ……?」

あまりの眩しさに目が眩んで咄嗟に手で覆うと手首を何者かに掴まれた。

「見つけましたよ……」






「確かこの辺りだったような……」

例の植物の件で問い合わせた教授は待ち合わせを辺鄙な森の奥に指定してきた。

交通費を負担してくれるとの事だったので了承したが私の本音としては避けたいところだった。

何しろ森の夜は長く、暗い。

科学者として従事してはいるものの、恐怖が無くなるわけではない。

こういった暗闇に若干の不安を感じるのは致し方ないことなのだ。

しばらく待っていると向こうの方から懐中電灯の光がやってくるのが見えた。

きっと例の教授だろう。

光はどんどん近づいてくる。

そして私の姿をみるなりこう言った。

「犯人、いたわよ!!」





洋館から飛び出して周囲を捜索する。

きっと犯人はそう遠くへは言っていないはず。

探偵は直感していた。

草木をかき分け進んでゆくと、あらぬ方向からガサゴソと音がした。

静かに息を潜める。

犯人は武器を携帯していない。

それならばこちらに分がある。

懐に手をやる。

ヒヤリとした金属の気配。

探偵業に荒事はつきものだ。

探偵はいざと言う時に備えて銃を携帯していた。

音の出た方向を見る。

するとだんだんと暗さに慣れた目に思いもよらぬ光景が写った。

脚立、そしてそれに経つ人影、縄の影。

しまった、犯人は自殺しようとしている。

人を殺めておいて咎めもなしに自殺とはたとえどんな事情があれども許されざる行為である。

探偵は犯人を刺激しないように、されど素早く距離を詰めた。

いつでも確保できる間合いに入る。

これなら飛び込まれる前に助けることが出来る。

そして持ち前の懐中電灯で当たりを照らし、犯人の注意を逸らした。

呆気にとられて無防備になった犯人の腕を掴む。

「見つけましたよ……罪は償ってもらいます」

縄を首から取っ払い、突き飛ばすように犯人を脚立から下ろさせる。

「罪……?」

下ろした懐中電灯の灯りが煌々と犯人の顔を照らす。

そして気づいた。

この人は。

すると西の方から声がかかる。

夫人の声だ。

「いたわよ!!犯人!!ほらっ!早くついて来なさい!!」

向こうから夫人の持つライトが近づいてくる。

そして茂みから男を連れた夫人、そして先程夫人といきり立っていた中年の男が登場する。

「あら?その方は?」

夫人は探偵のそばに倒れた犯人、否、男を見て尋ねる。

「大変です。どうやら僕たちは犯人を……」

「犯人を?」

夫人と中年の男の声が重なる。

「取り逃してしまったようです……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

追窮!追究!追求! 葉緑体 @nkmrzyn0504

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画