Ep.2 - 特訓 -


 日の出の少し前、目が覚めた。

 静かにカーテンを開けて、あたりを見回す。

 まだ外は暗い。


 畑作業や商人のような人たちが少し見える程度で、緑色に染まった大地が広がっている。

 村は、まだ寝ていた。


 部屋の中がまだ月明りに照らされている頃に、俺の1日はスタートする。

 立て掛けた木刀を手に取り、2階ほどの高さを窓から飛び降りる。

 もちろん、飛び降りると言っても柱やら縁を掴みながら、ゆっくりだ。

 ヒーロー登場、なんてジャンプすれば、両足骨折確定だろう。

 初っ端ケガなんてのは流石に、笑い話にならない。

 

 もちろん玄関から行くこともできるが、夜勤で見回りをしている傭兵以外は、まだ寝静まってる頃だ。

 なるべく音を立てずに出た方がいいだろう。

 俺と違ってプロ集団なわけだし、そこは配慮というか。

 変に迷惑をかけないほうがいい。

 


 イーファちゃんらと話をしてから、決めたことがある。

 それは、毎朝と夜の鍛錬だ。

 傭兵団拠点の裏の方には、裏庭のような場所が設けられている。

 傭兵たちの訓練場として使われているようで、人形や踏み込み練習のような台が設置されている。

 

 そんなスペースを、誰もいない朝晩にこっそり使わせてもらっている。

 もちろん、団長の許可を取った上でだ。

 勝手に使ったら何かしらの罪に問われたりしそうだし。

 一応ね、一応。

 気をつけるに越したことはない。

 

 イーファちゃんに聞いたところ、傭兵がここに来るのは、早くても日が出てからと言っていた。

 今はまだ夜中だから、1時間弱は余裕があるだろう。

 長くはないけど、運動不足の身体にはちょうどいい。

 日の出までに、無心で自分の特訓を済ませる。


 まずは体をほぐすための体操、頭の中でラジオ体操を流しながら動かす。

 次に、軽く走って体を温める。

 その2つを終わらせてから、やっと剣の特訓に入る。

 特にこれと言ったプランはない。


 とにかく、木刀を振って、筋肉痛にならない程度まで体を慣らしていく。

 縦振り、横振り、そして斜めに。

 腰を起点に動かして、振り切る。

 フルスイングでホームランを狙うイメージで取り組んでいる。


 やり方は合ってるかわからない。

 誰かに聞けたらいいけど、まだまだ技術について聞けるような交友関係が構築できていない。

 交流は急務として、しばらくは自主練だ。

 

 対人特訓ができないのは不安だが、まだ初めたてだし成り立たないだろう。

 それに、傭兵団の人に頼むのも気が引ける。

 命をかけて戦っている人に、素人が頼むのはなにか矜持を傷つけそうな気がしてならない。

 

 とにかく、朝は一日の体力を使い切らない程度に体を動かす意識でやっている。

 まだ20歳そこらだけど、体力は下降気味だ。

 スポーツをやっていたわけでもないし、動きは悪い。

 昼は家事炊事の手伝いがあるから、そのときに動けなくなったら仕方がない。


 現在初めて1週間程度だけど、抑えていても運動不足の体には堪えている。

 筋肉痛が常時残っている感覚なので、結構つらい。

 足や腕もいつもより上がらない。

 休息をまともに取っていないし、本来良くないやり方なのは十分理解している。

 ちょっとした焦りだ。

 目に見える結果が出るまでは、本当に動けなくなるまで無理をして挑む覚悟でやる。


 

 それに、今の俺は井の中の蛙状態だ。

 魔王を倒すためには、村の外に出ることは必須。

 いわゆる、冒険者としての生活を過ごすことになっていくと思う。

 その中で武器だったり、仲間を増やして行くのがセオリーか。

 何をするにしても、裏付けになる実力を育てないといけない。

 

 外にはどんな敵がいるかわからない。

 そんな状態で、魔王討伐を掲げてもなにも説得力がないんだ。


 今の俺はこの世界での、生き抜く力すらない。

 実力をつけて、とにかく与えられた役目をこなす努力は急務だ。

 

 剣の技があるわけでもなく、魔法も使えるわけじゃない。

 行けるだろうか。

 そんな不安は、つきまとう。

 仕方がないことと受け入れるのは、簡単ではない。

 だけど、何をすると正解かがわからない以上、がむしゃらに努力するしか今はない。

 


 せめて剣を振れる、せめて魔法を使えるように。

 誰かを守れるくらいには、強くなることを目指そう。

 セオリー通りなら魔王討伐なんて、人間一人でできる芸当じゃない。

 実力だけじゃなくて、人望とかそのへんもなんとかしないといけない。

 ⋯人と話すのが得意じゃない俺にとっては、最難関かもしれない。

 道程は長いなあ。

 


 「あ、イツキさん⋯」


 色々なことに頭を悩ませていると、洗濯かごを抱えたイーファちゃんが声をかけてきた。

 若干足取りがふらついているように見える。

 目元もふにゃふにゃしてるし、朝には弱いタイプなんだろう。

 俺のそんな視線を感じ取ったのか、大きく首を振って寝癖を直した。


 「朝早くからお疲れ様です。ここ最近ずっと頑張ってますね!」


 「ああ、うん。こうでもしないと、体がなまっちゃうしね。」


 このルーティンを始めてから、朝方によくイーファちゃんと顔を合わせることが多い。

 ここに来てから1週間、彼女とはほどほどに話せるようにはなったように思う。


 初対面でこそお互いうまく話せなくて大変だった。

 だけど、最近は慣れてきたからか、だいぶ話せるようになってきた。

 彼女は引っ込み思案なイメージだったけど、緊張が解けてくるとおしゃべりになった。

 最初は緊張するけど、慣れれば話せるようになるタイプみたいだ。

 俺も同性に対してはそうだけど、異性は経験が少なすぎてまだ慣れていない。

 前は、女子と話すなんてとんでもないレアイベだったし、今の環境は新鮮だ。


「記憶がないのに、頑張ってて羨ましいです。

 私って、結構怠けちゃうタイプだから⋯。」


「そんな、努力できるっていうかしなきゃって感じだし。

 俺もそんなタイプじゃないよ。 でも、色々思い出さなきゃいけないし、もしかしたらこれで思い出せるかもなって。だから頑張らないとってね。」


「すごいですね⋯。

 あ、そういえば。 いつも剣の練習をメインに取り組んでますけど、魔法とかはやってますか?

 いや、身体が覚えてるとかなら、全然いいんですけど。」


 洗濯物をパタパタと広げ干しながら、横目に尋ねてくる。


 「取り組んではみたけど⋯全然わかんなくてさ。

 覚えてないのか、感覚が掴めなくて⋯。」



 ここに来てから、ずっと剣の練習をしていた。

 並行して魔法の特訓もしてみたのだが、いまいち感覚が掴めない。

 詠唱が必須なのかもしれない。

 そうなると、その詠唱分を覚えないといけない。

 一応ぱっと出せたりしないかとも思ったけど、そもそも感覚がわからず。

 

 剣はともかく、魔法に関しては何もかもがわからず何も得られていなかった。

 だからもう剣一本でもと思って、魔法の練習をあまりしていない。


「最低、剣を扱えるようにならないとなって思ってさ。」


「ようは、魔法の使い方がよくわからないってことですか?」


「そうだね、恥ずかしい話ではあるけど⋯」


「いえ、剣士の場合は魔法が使えないのは当たり前ですよ!

 ただ、記憶がない以上、どちらもできるように練習しておくほうが無難だと思います。」


「そうなの?」


「はい! もし記憶が無くなる前は魔法使いだったら、使った拍子に思い出すかもしれませんしね。

 そうじゃなくとも、最近は魔法剣士っていうのも多いです。

 方向性に迷ってるなら、一旦覚えておいても損はないです!」


 やや興奮気味に見える。

 本業が魔法使いだからだろうか、押しが強い。

 

「ん⋯なるほど。 魔法は⋯どうやって使うの?」


「詠唱とか無詠唱とか、色々ありますけど⋯。

 そうですね⋯一度、私が使うので見ててください。」


 洗濯かごを端のほうに置くと、手のひらを地面に向けてなにかつぶやき始めた。

 すると、何もない空間から突然、杖が姿を現した。


 「おお、すごい⋯。 便利だね⋯。」


 「収納魔法っていうやつです!

 持ち物を魔法で作った空間に保管する、初級魔法⋯いわゆる、初歩的な魔法です!」


 収納魔法。

 収納の広さは本人の魔力量というものに比例するらしい。

 並の剣士なら剣数本程度、魔法使いなら結構なんでも入れられるらしい。


 「イツキさんには見せたいものがあるんです!⋯見ていてくださいね。」


 そう言うと、彼女は杖を大木の方に向けて、何かをつぶやき始めた。

 その声と同時に、あたりの草木が騒ぎ出す。

 ブワッと身体が持ち上がるような感覚を覚えた。


 「⋯雄大な自然の源より、我に風の力を与え給え───」


 そこで、声は途切れる。

 ごくわずか、一瞬だけ音がなくなる。


 草木がぶわっと叫んだ。

 静寂を切るように風が囁く。

 それとほぼ同時に、目の前の大木がさらに大きく揺れた。

 木の肌には無数の葉っぱが襲っており、その表面を傷つけていた。

 肌には、まるで斧で叩いたような切り跡がいくつも出来ていた。


 そして、数秒経ってやっと収まる。

 ふうっと一呼吸置くと、イーファちゃんはこちらに笑顔で振り向いてきた。


 「これが、魔法です!」


 その時の俺は、口をあんぐりと開けていたかもしれない。

 自分の考えていた魔法よりも、圧倒的に迫力があった。


 てっきり俺は、ロールプレイングゲームのようなものだと。

 軽く撃って、いい感じに当たって──。

 その考えは、俺がコントローラーとしてゲームを楽しんでいるに過ぎなかったことを示唆していた。

 

 現実に見ると、こんなに迫力があるんだ。

 人為的に作られた突風が、幾千もの木の葉を操り、自在に動かす。

 一例に過ぎないのだろうけど、それでも固唾をのんだ。

 ゲームの魔法に迫力がないのは、本物の魔法を見たことがないからだ。

 全然関係ないことで、勝手に納得している自分がいた。


 

 それと同時に、この世界の過酷さの片鱗を見た気がした。

 まだ中学生くらいの年齢の子が、いくら傭兵とはいえ簡単に魔法を使って見せている。

 魔法使いと名乗るのであれば、この程度は当たり前ということなんだろう。

 齢15歳の少女は、多分昔から魔法を使っているいるからこその実力だと推測した。

 となると、俺は習得するのにどれほどの時間がかかるのだろうか。

 若いうちから当たり前に使っているのと、第二次性徴をとうに過ぎた成人。

 当然、成長曲線も後者はゆるくなっているだろう。

 

 言い方は良くないけど、村娘でこの迫力。

 俺は、超えられるのか。

 間近で肌に感じているからこそ、こう思った。



 「⋯すごいね、イーファちゃんは。」


 気づけば、手に握っている木刀は地を這っていた。


 「⋯イツキさん?」


 彼女の濁りのない視線が俺に刺さる。

 今の俺は、不安に満ちていた。

 勝手に物語の主人公に自分を当てはめて、なんとか保っていた自信。

 誰も知っている人がいないという、アウェーの状況。

 そんな不安を、なんとか選ばれしものだというポジティブな部分を強調して払拭しようとしていた。

 でも、間近でこんなすごいものを見せられたら、誰だって自信をなくすだろう。

 


 ふと、手のひらを見つめる。

 木刀の持ち手にこすれた肌は、皮が向けて荒れている。

 手汗をかくたびに、染みる。


「イツキさ⋯って、その手。」


「ああ、うん。 ちょっと荒れちゃってね。」


「⋯大丈夫ですか? 結構、染みますよね。」


「ううん、全然。 まだまだ頑張らないとだし。」


「頑張ってるんですね、イツキさん。」


 ふとした褒め言葉が、耳に響く。


「だって、こんなに手がぼろぼろになるなんて、1日に何時間も握っていないとならないし。

 ずーっと、自分なりに何かを見つけようとしているんですよね?」


「そう⋯なのかな。」


「その手が何よりの証拠ですよ。

 頑張っている人の手って感じで、私は好きですよ?」


 「⋯」

 

 

 ───彼女の努力がどれほどかはわからない。

 少なくとも俺以上だし、経験値も多いだろう。

 価値観も違うし、考えている基準も違う。


 でも、それでも。

 世間知らずも甚だしい、何も出来ない俺のちぐはぐな努力に対して。

 そう肯定してくれること、それが何よりも、嬉しかった。

 

 ⋯学ぶことに年齢は関係ない。

 彼女のように頑張れば、俺でも見込みはあるだろうか。

 少なくとも、その価値を見出すことは、できるかもしれない。

 


 「⋯あのさ、もしよければ、なんだけど。

 時間のある時でいいから、魔法を教えて欲しいんだ。」


 一瞬、沈黙が流れる。

 彼女は、洗濯かごを抱えなおした。


 「⋯わかりました! ちょうど、1週間くらい依頼もなさそうですし。

 せっかくならみっちり特訓しちゃいましょう、ね!」



 得意な魔法分野だからなのか、彼女の目はなんとなく輝いて見えた。

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