第18話 逃走、白い影の追跡

住宅街の坂道を、

蒼月凛と白音夕奈は息を切らしながら走っていた。


夜の風が肌に痛いほど冷たく、

街灯の明かりが途切れるたび、

背後の暗闇が追ってくるような錯覚に包まれる。


だが追っているのは錯覚ではない。


──本当に“来ている”。


一定の、

まるで機械が歩くようなリズムで、

淡々と追跡してくる足音が聞こえた。


カツ……カツ……カツ……


早歩きでも走ってもいない。

ただ普通に歩いているだけなのに、

距離がまったく開かない。


「白音さん……っ、やっぱり速さが……おかしい……!」


凛が息を荒げて言うと、

白音は走りながら首を振った。


「速いんじゃ……ないんです……!

あれは“迷わない”んです……!」


「迷わない?」


「はい……蒼月くんの場所を……風でも匂いでもなく、

“まっすぐ辿ってくる”……そんな感じです……っ!」


白音の声は震えていた。


アカリが見せた殺気とも激情とも違う。

九条ユウリの追跡は──

静かで、淡々としていて、

だからこそ“逃げられない”と本能が判断してしまう。


二人は曲がり角を何度も折れ、

人通りのほとんどない裏道へと入った。


白音が凛の腕をつかむ。


「……ここ、人が来ません。

少しだけ……落ち着いて」


凛は壁に手をつき、深呼吸をする。


胸の奥で、例の熱がわずかにうごめく。


(……まずい……

また進化因子が……)


白音は凛の顔を見て、

すぐにその異変に気づいた。


「蒼月くん……また、苦しい……?」


「ちょっとだけ……でも、まだ大丈夫です」


白音は唇を噛み、凛の胸元に手を添えた。


「大丈夫じゃない顔です……

あれの気配が……蒼月くんの身体を刺激してる……」


凛は深く息を吐く。


「でも……白音さんに負担をかけたくないんです。

昨日だって……無理させたし」


白音はほんの一瞬だけ目を伏せた。


そして、

凛の手を迷わず握った。


「──私の無理は、蒼月くんを守るための“意志”です。

蒼月くんが苦しまないほうが……

私にとってずっと大事なんです」


言葉が胸を刺す。

温かいのに痛い。


凛は答えようとしたが、

それよりも早く──白音の表情が強張った。


「来ます……!」


二人は反射的に後ろを見る。


誰もいない。

風も吹いていない。


ただ──

足音だけが近づいてくる。


カツ、カツ、カツ……


凛の全身に鳥肌が立った。


(……音だけが……

まるで“影が歩いてる”みたいだ……)


白音の声は震えていた。


「足音の位置……変わってません。

距離を縮めてるのに、

近づく気配が“ゼロ”なんです……!」


ズシッ、と重心の低い恐怖が胸を押しつぶす。


そして。


暗闇の奥から、

まるで浮かび上がるように白い影が現れた。


九条ユウリ。


表情は変わらず、

呼吸も乱れない。


全てが無機質だった。


白音が立ちはだかるように凛の前に立つ。


「……来ないで……!

あなたを止める術は多くありません……

けど……寄らせはしません!」


ユウリは二人を観察するように首を傾けた。


「匂いが……濃くなってる。

……原初……すぐそこ……」


その淡々とした声が、

アカリの挑発より何倍も怖い。


白音が肩越しに凛へ言う。


「蒼月くん……走れますか?」


「……はい」


「じゃあ、私を信じて……走ってください」


凛は白音の手を取る。

手の温度が伝わる瞬間、

胸の奥の熱が少し静まった。


白音は深く息を吸い、

決意を固めるように強く凛の手を握った。


「行きましょう。

絶対に……離れないで」


二人が駆け出した瞬間──

ユウリは一言つぶやいた。


「……追うよ。

命令……だから」


そして歩みを再開する。


歩くだけ。

ただ歩くだけなのに、

距離は縮まり続ける。


街灯の明かりが揺れ、

二人の影が乱れ、

白い影が静かに迫る。


(……だめだ……

逃げ切れない……

このままじゃ……!)


凛の胸が再び熱を帯びる。


視界が揺れ、

足元がふらついた。


白音がすぐに気づき、

凛を支えるように走る。


「蒼月くん……っ、しっかり……!

進化しちゃ……だめ!」


凛は震える声で答える。


「でも……

これ以上白音さんに……負担……」


白音は首を振った。


「言いましたよね……!

蒼月くんの負担が減るなら……

私は何度でも無理します……!」


凛の喉がつまる。


白音が、こんなに強い言い方をしたのは初めてだった。


その必死さが胸を抉るように痛い。


その瞬間──

背後から気配が近づく。


白い影が、

ゆっくりと歩いてくる。


逃げる二人を、

静かに追い詰める。


凛の心臓が早鐘を打つ。


(逃げられない……

だけど──)


彼は思った。


(白音さんを……守らなければ)


進化因子がうねる。


暴れたいのではない。

“守りたい”感情で熱が膨れ上がる。


白音が凛の手を強く握り返す。


「蒼月くん……

絶対に……離さないで……!」


凛は頷いた。


息が切れても、

膝が笑っても、

胸が焼けても、

走るしかなかった。


二人の影が長く伸び、

白い影はすぐ後ろに迫っていた。


ユウリが呟く。


「……もうすぐ……追いつく」


その声には感情がなかった。


だからこそ、凛は悟った。


──次に捕まったら終わりだ。

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