第6話 牙城、蠢動
薄暗い部屋だった。
照明は灯っているが、光はどれも青白く、
壁にかかった無数のコードがかすかな唸りを上げている。
情報管理室──
巨大なモニターに映し出されているのは、
屋上で倒れ伏した
「……これが、昨日の敗北か」
淡々とした声が響く。
画面を見つめる男──
“逆適応”の異能を持つ幹部、鴉目イツキが腕を組んだまま目を細めた。
黒い髪を無造作に束ね、瞳だけが爛々と光るその顔には、
人間らしい表情がほとんどない。
しかしその視線には、一点だけ強い興味が宿っていた。
「蒼月凛……原初能力者、か」
隣に立つ研究班の男が答える。
「ええ。戦うほど強くなる“原初(オリジン)”。
数値は従来の能力者とは比較になりません。
生体反応も異常すぎて、解析が追い付かないほどです」
イツキはゆっくりと画面を切り替えた。
映るのは凛が戦っている映像──
敵の動きを読み切り、最小動作で圧倒し、
筋繊維が変容し、視界が極端に広がった瞬間。
その異様な進化速度に、研究班の男は戦慄を覚えていた。
「……まるで“適応”の化身だな。
進化の方向が一瞬で最適化されていく……!」
イツキは口の端をわずかに上げた。
「なるほど。
俺の《逆適応(カウンター・シフト)》とは相性が悪い……。
いや、むしろ最高の研究材料か」
そこに、
重い金属扉が開く音が響いた。
「お楽しみのところ悪いが、報告を聞こうか」
低い声。
空気が一瞬で引き締まる。
現れたのは牙城の総統──
獅堂オメガ。
獣のような眼光と、無駄のない肉体。
ただ歩くだけで、その場の空気が沈む。
研究班の者たちは思わず姿勢を正した。
イツキだけは動じず、
画面の“原初”を見たまま答えた。
「報告は簡単です。
昨日の狩猟者部隊は……ほぼ全滅」
オメガは笑わない。
怒りもしない。
ただ静かに言った。
「原因は?」
「原初の進化因子。
戦闘中に進化し、彼らの予測を超えた動きをした。
──それだけです」
オメガは瞼を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
「原初は……やはり、素晴らしい。
進化こそが生命の本質だ。
だがその本質を制御する者こそ、“王”なのだよ」
イツキが軽く眉を上げた。
「制御……できると?」
オメガはモニターに映る凛と、その隣にいる少女を指した。
白音夕奈──姫巫女。
「彼女だ。
“原初抑制者(サプレッサー)”。
血で原初を制御し、平静へ引き戻す能力を持つ……
我々にとって、原初と同等に必要不可欠な存在だ」
イツキが画面の白音を睨むように見つめた。
「原初を抑える存在……
厄介だな。
あの少女ごと手に入れなければ意味がない」
オメガはゆっくり頷く。
「そうだ。
原初も姫巫女も──まとめてこちらに迎える」
その瞬間、奥の壁に背を預けていた一人の女が、
くすくすと笑い声を漏らした。
鮮やかな紅の髪。
片目を隠すような長い前髪。
コートの裾に無造作に付けられた血の跡。
朱音アカリ。
戦闘狂。
“戦いの快楽”だけで生きている危険な女。
彼女は興奮したように唇を濡らし、
しなやかに首を傾げた。
「ねえ、総統。
あの《原初》……めちゃくちゃ綺麗だったわ。
ああいう進化の仕方、たまんない」
研究班の男が震える。
「……アカリさん、あなた映像だけで──」
「うん。
身体の動かし方、視線のブレ、攻撃時の筋繊維の収縮……
全部、美しい。
もっと近くで見たい……じゃなくて、戦いたい」
イツキが冷淡な声で言う。
「お前が行けば、原初は死ぬぞ」
アカリは舌を鳴らした。
「死なせないわよ。
ギリギリのとこまで追い詰めて……
最後に甘噛みするくらいでやめとく」
「それが死なせないと言えるか」
「言えるわよ。
ほら、彼──暴走寸前の顔がすごく良かった」
アカリは映像に映る凛が暴走しかけた瞬間を見つめながら、
指先で口元を押さえた。
「もっと見たい……もっと壊れそうな顔……
ねえ、総統。私に任せて?」
オメガはゆっくりと彼女を見た。
「アカリ。
お前の役目は“興味本位”ではない。
原初をこちらへ連れ帰ることだ」
「わかってるわよ。
でも、戦わないとつまらないじゃん?」
オメガは口角をわずかに上げた。
「好きにしろ。
ただし、死なせるな」
アカリは恍惚とした笑みで頷いた。
「じゃあ……遠慮なく。
最強の“おもちゃ”を迎えに行ってくるわ」
イツキはその様子を冷たく見つめた。
(朱音アカリ……
こいつもまた、別の意味で化け物だ)
だがオメガの視線はすでに、
別の画面へ向かっていた。
蒼月凛。
白音夕奈。
その二人が並んで歩いている学校構内の映像。
「進化する原初、抑制する姫巫女……
二つ揃って初めて価値がある」
オメガは低く囁く。
「この世界を変えるのは我々だ。
その鍵が──あの少年だ」
牙城本部の薄闇の中で、
その声は静かに響き渡った。
そして──
刺客、朱音アカリは動き出した。
次の襲撃は、もう止められない。
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