第31話
蛍鑑賞から戻り、しばらく焚き火を囲んで親たちと談笑した後、それぞれのテントへと引き上げた。
親たちは「若いもんは早う寝なさい」と、自分たちはまだまだ宴会を続ける気満々だったが。
こちらのテントは、ソロ用としては少し大きめの二人用ドームテントだ。
一人で寝るには十分すぎる広さがある。
インフレーターマットを敷き、シュラフを広げる。
LEDランタンの明かりが、テント内をオレンジ色に照らしていた。
「……ふう」
シュラフの上に胡座をかき、一息つく。
長い一日だった。
テントの設営、薪割り、料理、そして蛍。
特に蛍鑑賞での会話は、二人の関係を大きく前進させた気がする。
誤解が解けた。
その安堵感が、心地よい疲労と共に全身に広がっていた。
外からは川のせせらぎと、親たちの楽しそうな笑い声が微かに聞こえてくる。
平和な夜だ。
スマホを取り出し、今日撮った写真を見返そうとした。
その時。
ザッ、ザッ、と砂利を踏む音が近づいてきた。
こちらのテントの方へ向かっている。
親の誰かか? 酔っ払って乱入してくるつもりか?
ジジッ。
フライシートのジッパーが開けられる音がした。
身構える。
「……誰だ?」
返事はない。
代わりに、インナーテントのメッシュ部分に人影が映った。
ジジジ……。
インナーのジッパーがゆっくりと開かれる。
そこに立っていたのは、抱えきれないほどの荷物を持った如月凜花だった。
インフレーターマットとシュラフ、そして枕。
完全装備だ。
「……お前、何してんの?」
呆気に取られて尋ねると、彼女はムッとした顔でテントの中に滑り込んできた。
「追い出されたのよ!」
「は?」
「お父さんとお母さんったら、『狭いからあっち行け』とか言って! あのテント、四人用なのに!」
凜花がプリプリと怒りながら荷物を広げ始める。
親たちの仕業か。
『孫の顔を見るのは早い方がいい』という誠さんの言葉が蘇る。
確信犯だ。完全に二人をくっつけようとしている。
「……で、こっちに来たわけか」
「仕方ないでしょ。野宿するわけにいかないし」
凜花はマットの隣に、自分のマットを敷いた。
二人用テントとはいえ、マットを二枚並べると床はいっぱいいっぱいだ。
隙間なく並んだ二つの寝床。
密室。
距離感がおかしい。
「……狭くないか?」
「文句言わないでよ。家主でしょ」
凜花はシュラフをセットすると、その上にちょこんと座った。
こちらも向き合うように座る。
ランタンの光が、彼女の顔を照らしている。
お風呂上がりなのか、髪が少し濡れていて、石鹸の香りが漂ってくる。
スッピンだが、肌が綺麗だから化粧をしている時と変わらない。むしろ、無防備さが際立ってドキリとする。
「……あんた、まだ起きてたの?」
「ああ。写真整理してた」
「見せて」
凜花が身を乗り出してくる。
膝が触れる。
近い。
「ほら」
スマホを彼女に見せる。
蛍の写真、バーベキューの写真、そして例の「タレ舐め事件」の直後に親が撮ったらしい、二人が真っ赤になっている写真。
「うわっ、最悪! こんなの撮られてたの!?」
凜花が悲鳴を上げる。
「消してよ! 絶対消して!」
「嫌だね。記念に残しておく」
「バカ! 変態!」
彼女がポカポカと叩いてくる。
狭いテントの中での小競り合い。
遠慮がない。
気を使わなくていい。
それが、何よりも心地いい。
「……でも、蛍の写真、綺麗に撮れてるわね」
凜花が画面を覗き込みながら言う。
最新のスマホのナイトモードは優秀だ。暗闇の中の淡い光もしっかり捉えている。
「ああ。……いい思い出になったな」
「うん。……ありがとね、連れてきてくれて」
彼女が素直にお礼を言う。
その瞳が、ランタンの光を反射してキラキラと輝いている。
「……礼を言うのは俺の方だ。付き合ってくれて」
「別に。……楽しかったし」
彼女は照れ隠しに視線を逸らし、シュラフのファスナーをいじり始めた。
しばらくの間、他愛のない話が続いた。
学校のこと、大和や白石のこと、次のテストのこと。
話題は尽きない。
空白の数年間を埋めるように、言葉を交わした。
やがて、夜も更けてきた。
外の親たちの声も聞こえなくなっている。
そろそろ寝る時間だ。
「……消すぞ」
ランタンに手を伸ばすと、凜花が「うん」と頷いた。
カチッ。
スイッチを切る。
テントの中が闇に包まれる。
わずかに差し込む月明かりだけが、輪郭をぼんやりと浮かび上がらせていた。
シュラフに潜り込む。
隣同士。
手を伸ばせば触れられる距離。
衣擦れの音が、静寂の中でやけに大きく響く。
緊張しないと言えば嘘になる。
年頃の男女が一つ屋根の下、いや一つ幕の下だ。
意識するなという方が無理がある。
だが、不思議と嫌な緊張感ではなかった。
安心感に包まれた、穏やかなドキドキ。
「……ねえ」
闇の中から、凜花の声がした。
「ん?」
「……あの日。看病した日」
彼女が話し出す。
「あんた、うなされてたの覚えてる?」
「……ああ。なんか、変な夢見てた気がする」
「『行くな』って。……誰のことだったの?」
ドキリとした。
聞かれてしまった。
あの日、熱に浮かされて口走った言葉。
無意識だったが、誰に向けたものかは明白だ。
「……さあな。忘れた」
とぼけた。
ここで「お前だ」と言うのは、さすがに恥ずかしすぎる。
「ふーん。……まあいいけど」
凜花は追求しなかった。
でも、その声はどこか嬉しそうだった。
「……凜花」
自然と名前を呼んでいた。
今までは「如月」と呼んでいたのに。
「……なに、零」
彼女もまた、こちらの名前を呼んだ。
「真田」ではなく、「零」。
昔の呼び名、「れーくん」とも違う。
今の、対等な二人に相応しい呼び名。
「……なんでもない。おやすみ」
「……変なの。おやすみ」
背中合わせになることもなく、天井を見上げたまま、静かに呼吸を合わせる。
隣に彼女がいる。
その体温を感じる。
それだけで、心満たされる。
いつの間にか、手が動いていた。
シュラフから手を出して、隣を探る。
すると、彼女の手も伸びてきた。
暗闇の中で、指先が触れ合う。
そして、自然と繋がれた。
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https://kakuyomu.jp/works/822139840343249565
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