第29話
テントの設営が終わる頃には、太陽は頭上高く昇り、じりじりとした日差しが河原の石を熱していた。
汗をかいた体に、川面を渡る風が心地いい。
さて、腹ごしらえの時間だ。
「よし、昼飯にするか。簡単に済ませよう」
父、修一がアウトドアチェアに腰掛けながら提案する。
彼の手には、すでにプルトップを開けた缶ビールが握られていた。
早すぎる。
「あなた、まだお昼よ?」
母、美佐子が呆れ顔で言うが、彼女の手にもしっかり缶チューハイがある。
似た者夫婦だ。
「まあまあ、今日は無礼講ということで。乾杯!」
誠さんも笑顔でビールを掲げる。静江さんも白ワインを開けている。
大人たちは早々に宴会モードだ。
運転は明日の朝までしないから問題ないとはいえ、自由すぎる。
そんな親たちを横目に昼食の準備を始めた。
メニューはホットサンドだ。
シングルバーナーをセットし、凜花が食材を用意する。
「ハムとチーズ、あとトマトね」
凜花が手際よくパンに具材を挟んでいく。
ホットサンドメーカーを火にかけ、予熱する。
「挟んで」
「はいよ」
パンをセットし、プレスする。
ジュウ、という音と共に香ばしい匂いが漂う。
数分後、きつね色に焼けたホットサンドが出来上がった。
「出来たぞ。熱いから気をつけろよ」
「うん。……美味しそう」
親たちにも配り、自分たちの分を持って川沿いの岩場に座った。
サクサクのパンの中から、熱々のチーズがとろりと溢れ出す。
「……ん、美味い」
「うん、最高」
外で食べる飯は、なぜこんなに美味いのだろうか。
シンプルな具材なのに、高級フレンチにも負けない満足感がある。
「……ねえ、真田」
凜花がパンを齧りながら、川のせせらぎに目を細めた。
「こういうの、久しぶりだね」
「そうだな。昔はよく、両方の家族で海とか行ってたけど」
「覚えてる? 小学生の時のキャンプ。……あんた、川で溺れかけて、お父さんに助けてもらったやつ」
凜花がクスクスと笑う。
またその話か。
「あれは溺れたんじゃない。潜水能力の限界を試してたんだ」
「嘘つき。鼻水垂らして泣いてたくせに」
「……記憶にございません」
とぼけると、彼女は楽しそうに肩を揺らした。
昔の話をして笑い合える。
その距離感が、今はとても心地いい。
昼食後、薪割りをすることにした。
夜の焚き火用だ。
管理棟で買ってきた薪の束と、手斧を用意する。
「お、やるか零。怪我するなよ」
酔っ払った父が声をかけてくる。
「大丈夫だ。昔、爺ちゃんに教わったからな」
薪を切り株の上に置き、手斧を振り下ろした。
パカーン!
乾いた音と共に、薪が綺麗に二つに割れる。
気持ちいい。
「へえ、上手いじゃない」
凜花が感心したように見ている。
「コツがあるんだよ。力任せじゃなくて、斧の重さを利用するんだ」
得意げに解説しながら、次々と薪を割っていく。
日頃のストレスを発散するかのように。
「……私もやってみたい」
凜花が興味津々で近づいてくる。
「危ないぞ。結構重いし」
「平気よ。私だって運動神経は悪くないもの」
彼女は聞かない。
仕方なく、手斧を渡した。
「いいか、足を開いて、しっかり狙いを定めて……」
彼女の後ろに回り、手本を見せるように構えを教える。
自然と体が密着する。
彼女の髪の匂いが鼻をくすぐる。
「……近い」
凜花が小声で言う。
「教えるためだ。……ほら、振り下ろせ」
彼女が恐る恐る斧を振り下ろす。
カツッ。
薪に少し食い込んだだけで、割れなかった。
「あー、もう!」
「最初はそんなもんだ。もっと腰を入れて……」
あーだこーだと言いながら、薪割りを続けた。
親たちが「ヒューヒュー!」と冷やかしてくるのは、聞こえないふりをした。
◇
日が傾き始め、空がオレンジ色に染まる頃。
夕食の準備に取り掛かった。
メインはバーベキューとダッチオーブン料理だ。
「零くんと凜花ちゃんは、ご飯炊きをお願いできる?」
静江さんが飯盒を渡してくる。
「任せてください。飯盒炊飯は得意です」
自信満々に請け負った。
凜花と一緒に米を研ぎ、適量の水を入れる。
そして、先ほど割った薪を使って焚き火台に火を起こす。
「火加減が大事なのよね?」
凜花が真剣な顔で飯盒を見つめる。
「ああ。『初めチョロチョロ中パッパ』だ。……今は強火でいい」
薪をくべ、火力を調整する。
パチパチと薪が爆ぜる音。
揺らめく炎が、二人の顔を赤く照らした。
その間に、親たちは豪勢な料理を作っていた。
修一さんと誠さんがバーベキューコンロで分厚いステーキ肉を焼き、美佐子さんと静江さんがダッチオーブンでローストチキンを仕込んでいる。
なんて贅沢なキャンプだ。
「よし、ご飯も炊けたぞ。蒸らしの時間だ」
飯盒を火から下ろし、逆さまにして置いた。
しばらくして蓋を開けると、艶々としたご飯の香りが立ち上る。
完璧だ。お焦げも程よくできている。
「うわぁ、美味しそう!」
凜花が歓声を上げる。
「さあ、みんなで食べましょう!」
美佐子さんの号令で、宴が始まった。
ランタンの灯りの下、豪華な料理が並ぶ。
ステーキ、ローストチキン、焼き野菜、そして炊きたてのご飯。
「乾杯!」
再びグラスが合わさる。
こちらと凜花はウーロン茶だ。
肉を口に放り込む。
炭火の香ばしさと、溢れる肉汁。
最高だ。
「零くんのご飯、美味しいわねぇ。炊き加減が絶妙よ」
静江さんが褒めてくれる。
「ありがとうございます。凜花が水加減を見てくれたおかげです」
「あら、共同作業ね。ご馳走様」
静江さんが意味深に笑う。
凜花はというと、ローストチキンにかぶりついていた。
ワイルドだ。
でも、その食べっぷりが気持ちいい。
彼女は口元にタレがついているのも気にせず、夢中で食べている。
「……ついてるぞ」
指摘する前に、体が動いていた。
無言で手を伸ばし、彼女の口の端についたタレを、親指でスッと拭う。
そして、そのまま自分の口に運び、舐め取った。
「……っ!?」
凜花が石像のように固まった。
持っていたチキンを取り落としそうになる。
目が見開かれ、顔が一瞬で沸騰したように赤くなる。
……あ。
やってしまった。
これは、勉強会の時の比じゃない。
親たちの前で、しかも舐めるなんて。
何を考えているんだ。いや、何も考えていなかった。無意識だ。
数秒の沈黙。
そして、爆発的な歓声。
「キャーーーーッ!! 見た!? 今の見た!?」
美佐子さんが悲鳴を上げて修一さんを叩く。
「おやおや、情熱的だねぇ、零くん」
誠さんがニヤニヤしながらワインを揺らす。
「見せつけてくれちゃってー! もう、私たちお邪魔虫?」
静江さんが顔を覆う振りをする。
咳払いをして、必死に平静を装った。
「……タレが、もったいなかったから」
苦しすぎる言い訳だ。
凜花は俯いて震えている。怒っているのか、恥ずかしがっているのか。
テーブルの下で、こちらの足を思いっきり踏みつけてきた。
……痛い。でも、文句は言えない。
「もう、そんなにラブラブなら、やっぱり一緒のテントにする?」
美佐子さんが酔った勢いで言ってくる。
「若いうちは勢いも大事だぞー?」
修一さんも乗っかる。
「し、しません! 絶対しませんから!」
凜花が叫んで立ち上がった。
その勢いで椅子が倒れそうになる。
「……まあまあ。からかうのはそれくらいにしてあげなさい」
誠さんが助け舟を出してくれた。
さすが大学教授、理性的だ。
と思ったら、「でもまあ、孫の顔を見るのは早い方がいいかな」とボソリと付け加えた。
……全員敵か。
◇
夕食が終わり、片付けを済ませると、あたりは完全に夜の闇に包まれていた。
焚き火の炎だけが、ゆらゆらと揺れている。
親たちは焚き火を囲んで、酒を片手にまったりと語らっている。
昔の思い出話、子供たちの将来の話、健康診断の結果の話。
平和な光景だ。
腕時計を見る。
午後八時。
そろそろ、蛍が飛び始める時間だ。
「……そろそろ、行くか」
凜花に声をかけると、彼女はコクリと頷いた。
彼女も時計を気にしていたらしい。
「お父さん、お母さん。ちょっと散歩に行ってくる」
言うと、親たちは一斉にこちらを見た。
「あら、蛍ね? いってらっしゃい」
「気をつけてな。暗いから」
「ムード満点ねぇ。……邪魔しないように、私たちはここで飲んでるわ」
親たちは気を利かせてくれたようだ。
ありがたい。
「……うん。行こう」
凜花が立ち上がる。
手には懐中電灯を持っている。
親たちの冷やかしを背に受けながら、キャンプサイトを後にした。
目指すは、キャンプ場から少し離れた沢の上流。
そこには、人工の光が届かない、蛍の楽園があるはずだ。
足元は暗い。
懐中電灯を照らし、凜花の手を引いた。
自然と繋がれた手。
その温もりが、夜のひんやりとした空気の中で、唯一の確かな熱源だった。
これから見る光景が、彼女にとって忘れられない思い出になるように。
そう願いながら、一歩一歩、闇の中へと進んでいく。
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https://kakuyomu.jp/works/822139840343249565
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