第27話
キッチンに戻った私は、使い終わった土鍋や食器を洗い始めた。
水音がシンクに響く。
真田の部屋での出来事が、まだ鮮明に焼き付いている。
『いい夢だった』。
その一言が、私の心を温かく満たしていた。
お皿を拭き終わり、食器棚に戻そうとした時、玄関のドアが開く音がした。
「ただいまー!」
「ただいま。……いい匂いがするな」
元気な美佐子さんの声と、低く落ち着いた男性の声。
真田のお父さん、修一さんだ。
お二人とも帰ってきたようだ。
「おかえりなさい」
私がキッチンから顔を出すと、美佐子さんが目を輝かせた。
「凜花ちゃん! まだいてくれたのね!」
「あ、はい。お粥を作って、片付けをしていたところで」
「まあ、偉いわぁ! 零はどうだった?」
「薬を飲んで寝ました。お粥も半分くらい食べてくれたので、大丈夫だと思います」
「よかった! さすが凜花ちゃんの愛妻料理ね!」
美佐子さんが手を叩いて喜ぶ。
その隣で、スーツ姿の修一さんが、少し照れくさそうに、でも嬉しそうに私を見ていた。
「久しぶりだね、凜花ちゃん。大きくなった」
「ご無沙汰しております、おじさま。……お忙しいところ、お邪魔してしまって」
「いいんだよ。君が来てくれて、家が明るくなった気がする」
修一さんは眼鏡の位置を直し、優しく微笑んだ。
彼は市議会議員を務めながら、祖父の代から続く施工会社の社長も兼任している多忙な人だ。
厳格そうな見た目だが、中身は真田と同じで、不器用な優しさを持っている。
「そうだ、凜花ちゃん。君のご両親には連絡を入れておいたよ。『今日は遅くなるかもしれないから、真田家で夕食をご馳走になります』ってね」
「えっ? あ、でも……」
私が恐縮すると、美佐子さんが割り込んできた。
「いいじゃない! 久しぶりに三人で食べましょ! 零は寝てるけど、私たちは元気なんだから!」
「そうだよ。君の作ったお粥の匂いで、私までお腹が空いてきてしまった」
修一さんもお腹をさすって笑う。
こんな風に歓迎されて、断れるはずがない。
「……ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」
私が頭を下げると、二人は顔を見合わせて嬉しそうに笑った。
◇
そこからは、賑やかな夕食の準備が始まった。
美佐子さんはブティックのオーナーをしているだけあってセンスが良く、手際も鮮やかだ。
修一さんも、意外なことに料理が得意らしい。
「よし、今日はパエリアにしようか。冷凍のシーフードミックスがあったはずだ」
修一さんがエプロンをつけ、フライパンを取り出す。
議員先生がエプロン姿でフライパンを振る姿は、なかなかレアだ。
「じゃあ私はサラダとスープを作るわね! 凜花ちゃんは、パパのアシスタントお願いできる?」
「はい、わかりました」
私は修一さんの隣に立ち、玉ねぎやパプリカを刻み始めた。
包丁の音がトントンと響く。
キッチンには、ニンニクとオリーブオイルの食欲をそそる香りが漂い始めた。
「凜花ちゃん、包丁使いが上手になったね。昔は危なっかしかったのに」
修一さんが炒め物をしながら言う。
「……昔の話はやめてください。恥ずかしいです」
「ははは。零もそうだが、子供の成長というのは早いものだね」
修一さんは目を細めた。
その横顔に、真田の面影が重なる。
真田も将来、こんな風に素敵な父親になるのだろうか。
そして、その隣にいるのは……私だったらいいな、なんて。
「はい、サラダ完成! ドレッシングも自家製よ!」
美佐子さんが彩り豊かなサラダをボウルに盛り付ける。
テーブルには、出来上がったばかりの熱々のパエリアと、具沢山のコンソメスープ、そしてサラダが並んだ。
豪華なディナーだ。
「じゃあ、いただきましょうか。……零の回復を祈って、乾杯!」
美佐子さんの音頭で、私たちはグラスを合わせた。
食事は美味しかった。
修一さんのパエリアは本格的な味で、サフランの香りが鼻を抜ける。
美佐子さんのサラダも、酸味の効いたドレッシングが絶妙だ。
何より、三人で囲む食卓の温かさが、一番のご馳走だった。
食事が一段落すると、話題は自然と真田のことになった。
「ねえねえ、凜花ちゃん。最近の零はどう? 学校とかで」
美佐子さんが身を乗り出して聞いてくる。
「あの子、家じゃ全く自分の話しないのよ。『普通』とか『別に』とか、そんなのばっかりで」
「そうだな。昔はよく『今日、凜花ちゃんと遊んだ!』って報告してくれたんだが」
修一さんも少し寂しそうにワインを傾ける。
「……そうですね。学校では、成績もトップクラスですし、頼りにされてますよ。A組の委員長さんとかにも」
私は橘さんのことを思い出しながら答えた。
「へえー! やっぱりモテるのねぇ、うちの息子!」
「……まあ、一部の女子には」
「で、凜花ちゃんとはどうなの? 最近、また仲良くしてるって聞いたけど」
核心を突かれた。
私はスープを一口飲み、少し考えた。
どこまで話していいのだろうか。
ミッションのことは伏せるとしても、最近の私たちの関係性は、親から見ても気になるはずだ。
「……実は、週末によく出かけてるんです。水族館とか、映画とか」
「まあ! デートね!」
「……勉強会もしました。この間、上賀茂のお屋敷で」
「知ってる知ってる! 写真送られてきたもの!」
美佐子さんがスマホを取り出し、あの縁側での集合写真を見せてきた。
情報共有が早すぎる。
「楽しそうだね。……零がこんな風に笑ってる顔、久しぶりに見たよ」
修一さんが写真を見つめて呟く。
その声には、深い安堵が滲んでいた。
「中学に入ってからかな。……あいつ、急に塞ぎ込むようになっただろう? 凜花ちゃんとも遊ばなくなって」
ドキリとした。
あの時期のことだ。
「私たちも心配してたんだよ。何かあったのかって聞いても、『勉強が忙しいから』の一点張りで」
「でもね、時々すごく寂しそうな顔をしてたの。……窓の外をぼーっと眺めてたりして」
美佐子さんが続ける。
「あの子なりに、何か悩んでたのかもしれないわね。……許婚のこととか、将来のこととか」
許婚のこと。
その言葉に、私の胸が締め付けられた。
『許婚なんて、うざいだけだ』。
あの言葉は、もしかしたら彼なりの強がりだったのかもしれない。
悩んで、葛藤して、その結果として出てしまった、本心とは裏腹の言葉。
もしそうだとしたら……私は、彼の孤独に気づけなかったことになる。
「でも、今は違うみたいだね」
修一さんが私を見て、力強く言った。
「凜花ちゃんがまた隣にいてくれるおかげで、あいつの表情が明るくなった。……親として、これほど嬉しいことはないよ」
「……私なんて、何もしてません。むしろ、いつも助けられてばかりで」
私が首を振ると、美佐子さんが私の手を握った。
「ううん、そんなことないわ。凜花ちゃんがいるだけで、あの子にとっては救いなのよ。……だって、昔からあの子のヒーローは、凜花ちゃんだったんだから」
ヒーロー。
泣き虫だった彼を守っていた、幼い頃の私。
でも今は、彼が私を守ってくれている。
立場は逆転したけれど、根底にある絆は変わっていないのかもしれない。
私は、ここ最近の出来事を少しだけ話した。
町内会でのこと、勉強会でのこと、雨の日に傘に入れてくれたこと。
話しているうちに、自然と笑顔になっていた自分に気づく。
それを見て、二人は何度も頷き、嬉しそうに聞いてくれた。
◇
楽しい時間はあっという間に過ぎ、時計の針は九時を回っていた。
外は完全に夜だ。
「あら、もうこんな時間! ごめんなさいね、引き止めちゃって」
美佐子さんが時計を見て驚く。
「いえ、こちらこそご馳走様でした。とても美味しかったです」
「パパ、凜花ちゃんを送って行ってあげて。夜道は危ないわ」
「もちろんだ。車を出そう」
修一さんが立ち上がる。
「あ、いいえ! そんな、悪いです! バスで帰りますから!」
「遠慮しないで。大事な『未来のお嫁さん』なんだから、何かあったら大変だもの」
美佐子さんがウィンクする。
未来のお嫁さん。
その言葉に、顔が熱くなる。否定したいけど、満更でもない自分がいるのが恥ずかしい。
玄関まで見送ってもらうと、美佐子さんが言った。
「凜花ちゃん。これからは、また昔みたいにいつでも遊びに来てね。連絡なしでもいいから」
「……はい。ありがとうございます」
「あ、そうだ! いっそ合鍵渡しちゃおうか? そうすればいつでも零の部屋に侵入できるわよ?」
美佐子さんが鍵束をチャラチャラと鳴らす。
侵入って。
「そ、それは結構です! さすがに不法侵入になりますから!」
「ちぇっ、残念。……でも、待ってるからね」
美佐子さんが私を抱きしめる。
その温かさに、胸がいっぱいになった。
真田の家族は、こんなにも私を受け入れてくれている。
それが、何よりも心強かった。
修一さんの運転する車で、自宅まで送ってもらった。
車内でも、真田の子供の頃の話で盛り上がり、笑いが絶えなかった。
家の前で降りると、修一さんが窓を開けて言った。
「凜花ちゃん。……零のこと、これからもよろしく頼むよ。あいつは口下手だが、君のことは大切に思ってるはずだ」
「……はい。私の方こそ、よろしくお願いします」
私は深々と頭を下げた。
車が走り去るのを見送る。
テールランプの赤い光が、夜の闇に溶けていく。
私は門を開け、自宅の玄関に向かった。
足取りが軽い。
自然と鼻歌が出てしまう。
今日のミッションは、予想以上に収穫が大きかった。
真田の看病、両親との再会、そして彼からの『いい夢だった』という言葉。
全てが、私の背中を押してくれるエールのように感じられた。
――『許婚なんて、うざいだけだ』
あの言葉の呪縛は、まだ完全に解けたわけではない。
でも、今日の出来事が、それを少しずつ溶かしてくれている気がする。
焦ることはない。
私は夜空を見上げた。
雲の切れ間から、月が顔を覗かせている。
明日はきっと、晴れるだろう。
そして、元気になった真田に会える。
「お粥、美味かったぞ」なんて言われたら、どう返そうか。
そんなことを考えながら、私は鍵を開け、温かい我が家へと帰っていった。
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https://kakuyomu.jp/works/822139840343249565
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