第4話、決心
「では、リーダー。これから一緒に人類を救うために頑張りましょう」
ミハルが満面の笑顔で言った。
「ああ、それなんだけどさあ……」
だらけた僕の声によってミハルの表情に影が差す。
「人間なんて滅びたほうがいいと僕は思うよ」
「えっ」
「さっきも言ったけど、僕は学校で虐められているんだ。靴は隠されるし、カツアゲされる。昼はパンを買いに行かされるし、この間なんか女の子が見ている前でパンツを脱がされたんだ」
自分で言ってトラウマが増幅してきた。僕は思い切りテーブルを叩く。ミハルはビクンとふるえて一歩下がった。
「人間なんてクズだ! ゴミだ! 弱いものをいたぶって喜んでいる下等生物だよ。その証拠に戦争はなくならないし、人種差別や迫害もなくならない。メタバースに隔離されてコンピュータに管理されたほうが人類にとっても幸福なことなんだよ。いじめがない、病気もない、戦争もない仮想空間、それが不完全な生物にとって理想的な環境だ。そうさ、コンピュータの計算は正しかったんだよ」
僕の目つきは険しかったのだろう。ミハルは泣きそうな顔をしていた。
「リーダーになれというんなら、とりあえず言うとおりにするけど、僕は真剣にやるつもりはないね」
突っぱねるとミハルは目を伏せ、こぶしをキュッと握って僕を見た。
「リーダー、そんな悲しいことを言わないでください」
ミハルが近寄ってくる。
「私は、あなたを信じて戦ってきたんです。優しくて勇敢なリーダー。司令官なのに前線で戦うリーダー。私はリーダーの背中を見て命がけで戦ってきました。あなたのためなら死んでもかまわない。すべてを投げ出してもリーダーのお役に立ちたい。そうやって生きてきたんです」
目には涙が浮かんでいた。
僕の胸に熱いものが膨らんできて何も言えない。
ミハルが僕の右手をつかみ、はだけている胸に押し当てた。
「どう、温かいでしょ……人間は温かいものなんです」
掌に伝わるミハルの体温。彼女の肌は、しっとりとして柔らかい。それは特別で神々しいとさえ感じた。
「確かに人間は、どうしようもなくて残酷な面もあるかもしれない。でも、温かいものもあるんです。リーダーが今、嫌な思いをしていることは分かります。でも、それだけじゃなく、楽しいことも多かったんじゃないですか」
彼女の言葉が胸にしみこむ。
そうだ。今は不幸だが、前は楽しかった。オタク仲間とアニメや声優の話で盛り上がっていたっけ。展示即売会に行ったりメイド喫茶に行ったりして世界が輝いていた。
「貴志、見捨てるには輝くものが少なくないと思うんです、人類には……。何のために人間は生まれたの? 他の動物と違うのはなぜ? 人類は何のために発生して何のために歴史を作ってきたんですか? ……その理由はメタバースには存在しないものだと思います」
ミハルの言葉で胸がいっぱいになり、返事ができない。
「もう一度、リーダーの伝言を伝えます。――今は苦しいだろうが、それは一時的なものだ。後悔しない道を進め」
すがるようにミハルが僕を見つめる。
そうだ。今のままで過ごしていても後悔の人生になるだけ。老人になってから、あの時に冒険していればと悔やんでも取り返しがつかない。失敗しても良いから、とにかく挑戦するべきだ。
僕の心は決まった。後悔しない道は一つしかないだろう。
「分かった。人類の救世主どうのこうのはともかく、君のことを信じて人類のために戦うことにするよ」
ミハルの表情がパアーっと明るくなり、僕に抱きつく。
「分かってくれたんですね、リーダー。これからも私はリーダーのことを守っていきます」
「ということは……一緒に生活するってこと?」
「だって、いつも側にいなくちゃ護衛できないでしょ?」
小首をかしげてミハルは不思議そうな顔をしている。
数か月後に両親が帰ってくる予定だ。どうやって説明しようか。
言い訳を考えているときに、ふと、疑問がおきた。
「そういえば、どこでもドア……じゃなかった、ワームホールに入った夕子さんはどうなったの?」
「さあ、転送座標を設定していなかったので、どこに行ったか分かりません」
「ああ、そうなんだ……」
僕を殺そうとしたロボットなんだけど、なぜか憎めないんだよなあ。
「あいつの転送先は、サハラ砂漠か火星か宇宙の果てか、はたまた次元の裂け目に引き込まれてデータに変換されたか、それとも隣の部屋かもしれません」
少し不安になった。僕はドアを開けて隣の台所を覗く。誰もいないことを確認して大きなため息をついた。
*
暗闇の中、夕子は砂丘に立っていた。
見渡す限りの砂。地平線まで砂が続く。
「やられましたね。思考データが完全なら、このようなミスはしなかったのに……」
熱気のこもった静寂の中、彼女は夜空を見上げる。
「星座確認、座標計算、地理データ参照。……ここはサハラ砂漠の真ん中ですか」
胸の前で手を組む。
「量子エンジン起動、ワームホール生成」
夕子の正面に光る球が発生し、砂上を暗く照らした。しかし、やがてプシュッという音とともに消滅する。
「やはり、高度な生成は起動データが完全でないとダメですね」
バストを強調したメイド服。夕子は胸の下で腕を組んだ。
しばらくして彼女は胸の前で手を結ぶ。
「量子エンジン起動、物質データ変更」
すると彼女の前方で砂塵が舞い、空中に渦を巻く砂は丸いテーブルの形に収束した。
「フェーズ連続実行、反発係数調整」
直径が1メートルほどの台は膝の高さに上昇する。
夕子がテーブルに乗った。それはまるでオタク部屋に飾られるメイドフィギュアのよう。
「フェーズ連続実行、ベクトル生成、目的地は日本の東京都」
テーブルはゆっくりと動き出し、砂の上を加速していく。紺色の破れたスカートを大きく翻して夕子は貴志の元に向かっていった。
タイムトラブル 佐藤コウキ @toyoko718k
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