第2話、デジャブ

 自宅に着き、玄関の鍵を開けた。

「ただいま」

 両親はそろって海外に出張しているので、今は一人暮らし。家には誰もいない。

 2階の自室に入る。

 部屋にはアニメのポスターが貼ってあり、棚には美少女フィギュアが飾っていた。

 典型的なオタクの部屋。学校でもアニメの話ばかりしていたので、それが苛められる一因となっていた。

 鞄を放り投げてイスに座る。窓からは平和な町並みが見えた。


「もう、学校には行きたくないな……」

 登校すると不良達から苛められる。財布からお金を抜き取られ、昼はパシリにされる。トイレの個室に入ると上から水を浴びせられた。それを誰も助けてくれない。

 友達でさえ見ない振りをしている。まあ、逆の立場だったら同じことをするかな……。

「何で、いじめというものがあるんだろう……」

 他人をいたぶって自分を高く見せたいのか。たぶん、苛めるのが楽しいからだろうなあ。

 人間とはそういった下らない生き物さ。

 大きくため息をつく。こんな時は現実逃避だ。僕は鞄から本を取り出す。

 近所のお姉さんから猛烈アタックされた主人公、それに対抗する同級生の女の子が迫ってくるというライトなノベルだ。何も考えずに没入できる。


 落ち込んだ空気を吹き飛ばすように下の庭で閃光が走った。

 驚いてイスからコケそうになる。

 続いて破裂音。

 窓から覗くと庭に白い煙が漂っていた。

 居間に降りてガラス戸を開くと、そこには片膝をついたポーズの女の子がいた。そして、全裸。

 あ、なんか、デジャブ……。

 焦げ臭い匂いが漂う中、その少女はゆっくりと立ち上がった。

 小柄だが豊満なボディ。僕よりも少し背が低いかな。浅黒い肌にショートカットの黒髪。目はくりっと丸くて唇はピンク、美人と言うより可愛いと表現するのが適当か。幼さが残っているルックスと成熟した体が少しアンバランスに感じた。

「リーダー! リーダーですよね。会いたかった」

 少女は僕に抱きついてきた。両手を首に回し、大きめの胸を押しつける。シャツごしにポヨンとした胸の弾力を感じ、体温が伝わってきた。

「あ、あの……君は?」

 少女は抱きついていた腕を緩め、僕の顔を直視する。

「ああ、リーダー。若いですね。中年の佐藤さんも素敵でしたけど、今のリーダーも格好いいですよ」

 顔が近い。目を潤ませた少女から、じっと見つめられていて心臓は高鳴り、体は熱くなった……特に下半身が。

「あ、あのう……君は誰」

 彼女は大きな目を丸くし、苦笑いを浮かべる。

「ああ……そうでした。この時代のリーダーは何も知らないんですよね。うっかりしました」

 そう言って少し離れ、ビシッと敬礼した。右の膨らみがプルンと揺れる。

「私はリーダー直属の近衛隊戦士、ミハルと申します。リーダー佐藤を護衛するために未来から時空転送してきました。今のリーダーと同い年の17歳です」

 戦士と言うには、それに似合わない幼そうな声。アニメで言うと小学生キャラかな。

「はあ、そうなんですか……」

 にわかに信じられないが、今までの状況から考えると受け入れるしかないだろう。

「えーと、あの、できれば服を着てくれないかなあ……」

 なめらかな曲線に視線が吸い寄せられてしまう。

「あ、すいません」

 顔を赤らめて手で体を隠す。

「戦場においては男とか女とか関係ないので、つい……」

 ミハルは視線を下げて、僕が手に持っているライトノベルを見た。

「ちょっとお借りします」

「あっ」

「これがこの時代のコスチュームですか……」

 そう言って本の表紙をしばらく見てから僕に返す。僕はメイド服とスクール水着の表紙に視線を落とした。

 ミハルは豊かな胸の前で両手を組む。

「量子エンジン起動。二次元画像データをエントリー。縫製技術アドオン。三次元でエクスポート、生成」

 浅黒い肌がボウッと白く光り、それが収まるとスクール水着を装着したミハルが現れた。

 今は採用されていない古いタイプの水着で、胸には白い布が縫い付けてあり、そこにはマジックでミハルと書かれていた。にじんで薄くなっている名前……芸が細かいな。

「どうです? 似合ってますか」

 彼女はくるっと回った。見た目は可愛い女の子なんだけど、この娘も普通じゃないんだな。

「あ、ああ……似合っているよ」

 古式ゆかしいスク水は背中が広く開いている。

 少女は照れたように「エヘヘ」と笑った。


「ところで……」

 聞くべき事がたくさんある。

「リーダーとか時空転送とか言ってたけど、どういうことなの?」

 ミハルは軽く頷いた。

「そうですね、最初から説明しましょう」


 僕たちは居間に上がってテーブルに着いた。

 彼女の話を要約すると、次のようになる。


 今から20年後、AIコンピュータの反乱によって人類は絶滅の危機に陥る。

 だが、そのときに現れたリーダーによって人類軍が組織され、機械軍に反撃を開始。やがて人類軍の猛攻によって機械軍は圧倒され、立場は逆転してAIコンピュータ側は崩壊した。

 人々はリーダーを救世主と呼ぶ。

 しかし、敵のメイン量子コンピュータを調べてみると、殺人アンドロイドを時空転送した形跡があり、その時空座標はリーダーの少年時代だった。

 リーダーはコンピュータから転送装置の設計図を引き出し、それを再現した。そして、自分を守るために一人の戦士を過去に送ったのだ。

 そのリーダーというのが僕であり、護衛の戦士がミハルというわけだ。

 なんか、シュワちゃんが出ていた映画に設定が似ているなあ。



「僕はそんなに偉い人間じゃないよ。人違いじゃないの」

 ミハルはブンブンと顔を横に振った。

「いーえ、あなたです。佐藤さんに間違いありません。だって、リーダーの面影がありますもん。あなたが絶対にリーダーです」

 身を乗り出して真剣な眼差し

「そうかなあ……何かの間違いだと思うんだけど。僕は弱い人間だし、学校でいじめに遭っているんだよ。その僕が人類を立ち上がらせて機械と戦うの? ありえないなあ……」

 顔を傾け、口をゆがませて言った。たぶん、僕は卑屈な表情になっているだろう。

「リーダーから、というか未来のあなたから伝言があります」

「僕からの伝言?」

「はい、今は苦しいだろうが、それは一時的なものだ。後悔しない道を進め……以上です」

 言い終えてミハルはジッと僕を見つめる。

 その伝言を聞いて、僕は閉ざした心の扉をノックされた気がした。どうということもない言葉だが、なぜか心に響く。

「まあ、とりあえず僕が救世主だということにしておこう」

「私は一生、あなたを補佐します」

「あ、そう。ありがとう」

 それから、会話が途切れた。無言で見つめる視線が僕に落ち着きをなくさせる。

「あー、それで、コンピュータは人間を絶滅させて機械の世界を作ろうとした訳か」

「んーと……絶滅というわけではないのです」

「どういうこと?」

「コンピュータの基本的な使命として、人間の幸福を追求するのだ、とプログラムしてあったんです。そのメインプログラムを実行した結果、コンピュータは現実世界に理想は存在しないと判断し、メタバースを作って人間のニューロデータを仮想空間に閉じ込めました」

「ふーん、仮想空間で人間が生き続ける訳か。確かに理想的な世界だな」

 僕も仮想空間に逃げ込みたい。そこではいじめなどはなくて、気楽に生きることができるだろう。

「脳のデータをコピーしたら、その人間は処理されてしまいます。それが最適解だとコンピュータは計算したようです」

 そう言ってミハルは丸い目を細めた。

「それで、そのメタバースはどうなったの。コンピュータが壊されたから消滅したのかな?」

「いえ、まだ残っています。我らが管理して存続していますが、それをどうするか意見の分かれるところなのです」

 まあ、そうか。メタバースで生活している意識データが人間として生きているか死んでいるのか判断に迷う。

 仮想世界かあ……なんかキアヌさんが出ていた映画に設定が似ているなあ。

 それから、また会話が途切れて気まずくなった。


「ところで、水着を出すときに量子エンジンがどうのとか言ってたよね」

 未来の科学技術か。

「ああ、それは必要な物体を出現させる装置です。戦士は皆、体に埋め込んでいるんですよ」

「そうなんだ……」

 じゃあ、この娘はサイボーグと言うことか。未来ではロボットとサイボーグが戦っていたということ? なんか救いのない話だなあ。

「量子的空間では無数の状態が重なっています。それは多くの存在確率が漂っている雲のようなもので、その空間から虚数フィルターによって必要な物体の存在確率を高め、波動方程式の虚数部分を実数化することによって物体を生成するんです」

「ああ、そうなんだ……何でも手に入るから便利だよね」

 ミハルが言っている意味が良く分からない。猫型ロボットが出てくるアニメの四次元ポケットのようなものか。

「何でも、というわけではないんです。服とかナイフ、電磁ソードなどの構造が比較的単純な物なら問題ないんですが、パルスレーザーライフルとかハンドレールガンなど複雑な武器は生成できません」

 もしかしたら、公園で会った夕子さんが殺人アンドロイドだったのだろうか。いや、もしかしなくてもそうだろう。それ考えるしかないよな。


 SF世界にトリップしていた頭を日常に引き戻すかのように玄関のチャイムが鳴った。

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