困難だらけの男が、突然 甥の書いたファンタジードラマ小説の世界に転生した

@NEKO21K

第1話


 この世界は、本当に退屈で、そして俺と同じ境遇の人間にとっては、何の価値もない場所だ。

 俺は、世間一般が「親」と呼ぶ存在から、ごく普通に生まれ落ちたのだが、大人になったその瞬間、

 それまで当然のように俺の財布へ流れ込んでいた生活費や援助は、

 まるで悪い冗談のように突然途絶えた。生きるための金を、自分の手で稼がなければならなくなった。


 食費に、電気代に、アパートの家賃、そしてまだ返済しきれていない借金の支払い。


 いや、誤解しないでほしい。

 借金をしたのは俺じゃない。


 あれは、俺に押しつけられた、運命づけられた血筋の負債だった。俺の両親は巨大企業を持ち、ビジネス界で騒がれるほど成功していたのに、信じられない話だが、俺が成人した頃に突然倒産した。

 それと同時に病に倒れ、そして死んだ。残されたのは、桁外れの額の借金だけだった。


 あまりの数字に、俺は泣きながら笑った。狂ったように震えながら、笑うしかなかった。


 最悪だ。

 まさに絶望という名の落とし穴だ。


 俺は学業を終えると同時に、死に物狂いで働き始めた。借金を返すために。

 しかし、どれだけ稼いでも足りない。

 銀行の数字は一ミリも減らず、必死で働いて給料が出るたびに分割で返済しても、それは砂漠に水滴を落とすようなもので、何の意味もなかった。


 もう……生きることに疲れ果てた頃、俺は逃げることにした。故郷の、祖母の住む田舎へ。


 借金から逃げ、世間の前にある「正式な」身分を捨て、まるで臆病者のように。

 わずかな貯金だけを握りしめ、それでどうにか生きるつもりで。人間にとって食事は力を保つ最も重要な資源で、

 だからこそ借金よりも優先されるべきだ。


 その頃、俺は25歳になっていた。五年間、企業に人生を捧げたあとだった。


 祖母の家へ辿り着いたが、出迎えてくれたのは祖母でも祖父でもなく、たった一人の姪だけだった。


 彼女は、この家が空いてからずっと、ここで引きこもりを続けていたらしい。つまり、京都の両親とは共に暮らしていないということだ。


「おじさん、なにか食べる?」


 状況とはあまりにも釣り合わないほど丁寧な口調だった。

 しかし、家の中の惨状は目を疑うほどで、

 そこら中にゴミが散らばり、本当に酷い有様だった。少女が住んでいるなら、もっと綺麗であるはずなのに、と。


「いや、今は腹が減ってない」


 俺は笑顔で答えた。だが心の底では、自分の運命の滑稽さを笑うしかなかった。


 翌日、俺は何か新しいことをしてみようと思った。


 何もせずにいるのは、時計の針が刻むたびに魂を削られるような退屈さだからだ。1日、3日、10日、夜の11時30分、俺は思いついた。すべてを救う名案を。


 最近、俺はオンラインで公開されている無数の小説を読み漁っていた。ジャンルもタイトルも数えきれないほど読み尽くし、そして決意した。俺も作品を作る側になる、と。


 つまり、小説家としての人生を始めるということだ。

 だが、文学的な経験は皆無だった。学生時代に好きだったのは体育だけだったのだからな。


 それでも、俺は読者の役に立ち、心を動かす作品を作りたかった。型にはまったストーリーとは違う、想像の世界へ連れていく物語を。


 俺は空想が好きだ。だからこそ、魔法と冒険に満ちた世界を創り、読む者を沈ませたい。


 そう決めてから、俺は何時間もキーボードを叩き、日々を削って書き続けた。

 タイトルを変え、作品を変え、失敗するたびにまた新しい作品を投稿した。忍耐を込めて一晩待ち、起きてすぐ通知を確認した。


 結果は――


 何もなかった。


 通知ゼロ、変化ゼロ。

 ブックマーク、

 いいね、

 コメント、

 閲覧者数、全部1以下。いや、その1でさえ、誤クリックかもしれない。


 俺が、こんな結末を迎えるはずがない。

 これは恥辱だ。

 毎秒、毎分、俺は更新ボタンを押し続けた。何か反応が来ると信じて。しかし、それは無駄だった。無意味だ。

 まるでスプーンで空を飛ぼうとする人間と同じくらい無謀だ。


 アマチュア小説家として一ヶ月を終え、世間に無視され続け、俺はようやく部屋を出た。

 その瞬間、窓から差す太陽の光が目に突き刺さるようだった。


 家の中は、信じがたいほど清潔で、ゴミひとつ落ちていなかった。俺はここへ来てからほとんど部屋を出なかった。

 だからこれは初めての光景だ。

 別に借金取りから逃げているわけじゃないし、引きこもりになったわけでもない。俺は作品を生み出し、実力で金を稼ぐために忙しかっただけだ。

 ……成果は欠片も見えていないけど。


「サキちゃんはどこ?いつもリビングで何時間もPCに張り付いてたはずだろ。まさか更生でもしたのか?」


 そうかもしれない。


 ゴミは消え、

 部屋は整い、

 棚の本はきれいに並び、

 まるで新築のように見えた。


 俺は前へ歩いた。


 飯を食うために、顔を洗うために、富士山の景色を見るために、そして好奇心を満たすために。


 そこは、引きこもり少女の部屋だった。姪のサキは家にいなかった。

 どこにも姿がない。奇跡的に、外に出たのかもしれない。


 俺は障子を引き、軋む木の音を聞きながら中へ入った。目の前の光景に、思わず目を見開いた。


 部屋の8割は本で埋め尽くされていた。アニメのフィギュアも並んでいた。サキは境界線上のオタクなのか。


「あーあ、オジサンが女子の部屋に侵入しちゃったぞ」


 俺は本棚の前に立ち、目に入った本を次々と手に取った。


 政治、経済、思想、哲学、魔術書、ありとあらゆるジャンル。俺はそれらを読み続け、深夜になる頃には一つの棚を読み終えてしまった。

 別の棚には、小説がぎっしりと並んでいた。ファンタジーの作品が何百と詰まっていて、一冊読むたびに俺は世界観の重さと壮大さに圧倒された。


 それは、高い税と危険に支配された世界の物語だった。貧しい貴族の男が処刑される運命にある話。

 家は焼かれ、金は奪われ、残ったのは焼け跡と、一人の執事だけ。


 名はサバス。


 彼は主人公ですらなく、物語のために犠牲になるただのNPCだった。


 ひどく惨めで、胸を刺すほど悲しい。


「……なんだこれ」


 次の巻を取ろうとしたとき、俺は名前を見て凍りついた。


 著者の名――挿絵師の名――そこにはこう書いてあった。


 坂本咲。


 つまり、姪は小説家だったというのか!?ネットで騒がれていたあの作品の作者が、彼女だった。しかも、それは一ヶ月前の話だ。


 さらに机の上には契約書が置かれていた。出版社と、アニメ制作スタジオの契約書だ。作品はアニメ化されるらしい。


 ようやく理解した。サキが家にいない理由。契約先からの招待を受けていたのだ。


 くそ、あんな小娘に負けた。俺は借金を背負ったニート同然で、さらに小説家としても落第者……アマチュアの肩書きすら遠い。


 そんな独り言を呟きながら歩いた瞬間、俺は古い畳に足を取られ、本棚に頭をぶつけた。

 同時に、厚さ数センチの本が詰まった三つの棚が、轟音と共に俺を押し潰した。


「血……!?これは血かよ!」と。


 額から流れる赤い液。身体は動かない。本棚と本の重さに押しつぶされ、まるで地面に釘付けにされたようだ。何トンだ?いや、もっとだ。


「ダメだ……視界が消える……!」


 人間なら当然あるべき反応すらできないまま、俺の意識は、漆黒の闇へと呑み込まれた。









「……」



 激しい暗闇をどうにか打ち倒したその瞬間、気がつけば俺は、まったく見覚えのない場所に立っていた。

 ここはサキちゃんの部屋ではない。本棚が崩れて俺を押し潰したあの地獄でもない。

 ただ、陽光に照らされてきらめき、風に揺れながら踊るように波打つ鮮やかな緑の草原が、果てしなく広がっているだけだ。


 俺はその草の上に倒れ込むように眠っていたらしく、ゆっくりと体を起こして青空を睨みつけるように見上げた。

 死後の意識なんていう安っぽい言葉を否定するために、俺は自然と立ち上がり、

 少し離れた場所にあった水たまりへ歩いていった。きっと昨夜の激しい雨でできたものだろう。


「お、俺……?いや、違う!誰だよこれ!!」


 顔を洗って頭を冷やそうと水面に手を伸ばした瞬間、そこに映った影が俺を凍りつかせた。

 そこにいたのは、農民のような粗末な服を着た子供だった。いや、農民と言っても、どこか中世ヨーロッパの衣装に近い。

 しかも、俺が当然持っているはずの髭も口髭もなくなり、代わりに、黒く大きな瞳をした、

 ボサボサの焦げ茶の髪をした少年――どう見ても八歳くらいのガキが、水面から俺を見返していた。


 正直に言う。

 これは俺ではない。

 俺が子供の頃の姿と比べても、まったく一致しない。


 俺は本能のまま、自分の頬を思い切りつねり上げた。真っ赤になるまで。そして叫んだ。


「こ、これは……間違いない!!!俺は、知らない世界の、知らない誰かに転生してしまった!!!」と。


 声は、ひどく情けない少年の声だった。だが、その震えた声を掻き消すように、風の音の中から、突然男の声が聞こえた。


「アーデン坊ちゃま――!」という叫びが背後から響いた。「どこを探しても見つからなかったのですぞ。また手の届かない場所へ抜け出しておられたとは……」


 振り返ると、そこには年配の執事のような、身なりの整った男が立っていた。彼は真っ直ぐこちらへ歩いてくる。


 返事をしようと口を開いたその瞬間、俺の意志とは無関係に、口が勝手に喋り始めた。


「サバス……心配しすぎる必要はない。僕はもう大人だ。戻る準備はできている……」

そして僅かな間があって、

「たとえ、まったく知らない女を妻として迎えろと言われたとしても、僕は従う。家の資産さえ守られるのなら、あの異常な利息で借金を迫ってくる連中に奪われるくらいなら、俺は婚姻を選ぶ……」


 男は一瞬言葉を失ったように固まり、次の瞬間、子供のふざけた妄言でも聞いたかのように明るく笑った。


 正直、俺にも何を言っているのか理解できていない。ただ、頭の奥底から湧き上がるような何かが、

 その台詞を俺に強制的に喋らせたという感覚だけはあった。


 家へ戻ろうと歩き出そうとしたその時、鋭い痛みが頭を貫いた。数千本の細い針が脳に刺さるような、耐えがたい痛みが。



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