巡礼者たち

山本Q太郎@LaLaLabooks

巡礼者たち

「ありがとうヒューストン。皆と働けて光栄だった。宇宙飛行士は子供の頃から夢だった。今だって夢の中にいるんだ。ISS(国際宇宙ステーション)のクルーには感謝しかないと伝えてくれ。地上で待っている家族にはいつも側にいると、永遠の愛を誓うと伝えてほしい」

「ダニー諦めちゃダメだ。位置情報は追跡できてる。救助を送るから冷静に、とにかく酸素を節約してくれ。すぐに助ける」

「了解した。いいニュースを待っている」

 俺がホームランボールみたいに放り出されたのは宇宙空間。ISSのバッテリーモジュールを交換中に衝撃を受けて気がつけば吹き飛ばされていた。船外活動服に損傷はないが推進ガスは水平を取るのに使ってしまった。酸素はとっくに空。頭痛がひどく目が霞む。医者じゃなくてもわかる。酸欠の初期症状だ。

「……ダニー、……こえるか。……ダニー、聞こえてた……応答を……」

 応答できない。どれくらいの速度で飛ばされているんだ? 目の前には五回目の日の出。何度見ても美しい。我々は太陽に生かされている。まさに恵みの光。奇跡としか思えない。最後の景色としては申し分ない。


 岩をひっかく不快な擦過音が鳴っている。視界はボヤけ上と下が入れ替わる。洗濯機にでも放り込まれたみたいだ。体は痺れて指一本動かない。死後の世界か、それともまだ宇宙を彷徨っているのか。

 目が覚めると見慣れた風景。ここは……ジョンソン宇宙センターで訓練中に通った八号練の医務室だ。ベッドに寝かされている。ISSから弾き飛ばされ宇宙を彷徨っていたんじゃないのか。

「ダニー、大丈夫? ここがわかる? 名前は言える?」

 俺を呼ぶ声がする。確か医療スタッフのキャサリンだ。採血が下手なキャサリン。ああ、もちろん。俺は……

 誰だ? ダニーだ。今キャサリンがそう言ったじゃないか。ダニーだ。ダニー。声に出そうにも口が動かない。

「ああ、ダニーよかった。今、先生を呼んでくるから」と言ってキャサリンは出て行った。先生を待っている間眠ってしまったようだ。

「おおダニー、気が付いたか」

 目を覚ますとドクターマクシミリアンが脈をとっていた。

「ダニー、ここがわかるか」とドクターが言った。返事をしたつもりだが声が出ない。頷いた。

「よかった。信じられん、意識を取り戻すなんて。血圧も正常。どこも悪いところはない。怪我はしていたがこっちで何とかした。君は一週間も眠ったままだった。とにかくよかった」

 体から力が抜ける、まさかあの状況から生きて戻れるとは思わなかった。

「必要なものはあるか?」とドクターは言った。

 たっぷりあったはずだ。地球に戻ったら食べるものリストを作っていた。家族に会いたい。風呂に入りたい。外に出て風を受けて走りたい。

「欲しいものがあったらいってくれ。持って来させる。だがまずは休んだ。念波受容器官はしばらくすれば体細胞に馴染んでくるだろう。順調にいって数週間。早く家に帰りたいだろうが君のためだ」

 外が騒がしくなったと思ったら何かが飛び込んできた。心配して駆けつけてくれた妻と子供たち。遅れてISSのクルーや地上スタッフ達。愛おしい妻と可愛い子供たち。また会えるなんて、一体どんな奇跡が起こったんだ。不安そうに覗き込んでくる妻と子供たちの目は七色に光り触覚はブンブンと唸りをあげている。囁くような唸り声が頭に響く。飛び起きて叫ぶとキャサリンがすぐにきてくれた。悪い夢を見ているようだ。


 ひたすら眠り続けた。体力が回復するにつれあたりの様子に気を配る余裕ができた。静かだと思っていた病室にも忙しそうに働く周囲の賑わいが届いてきた。ドクターによると粘菌の癒着が順調な証だそうだ。子供の世話をする者、収穫祭の届け物を運ぶ者。皆食事も満足に取らずに働いている雰囲気が伝わってくる。今年はどの教区よりも偉大なる我らが主の望みに叶う供物を集められそうだ。そんな高揚感が巣に活気をもたらしているようだった。

 早く勤めを果たさなければ。そのためには一刻も早く怪我を治そう。キャサリンの運んでくれる蜜を舐め眠る。相変わらず嫌な夢は見る。


 何日も悪夢にうなされた。体を焼くような刺々しい地球の大気。悍ましい地上に蔓延る人間たち。何より恐ろしい太陽に怯えなければいけない屈辱。人間の体が覚えている忌まわしい記憶が夢となって現れる。それは大いなる我らの信仰心を試す悪魔の囁きに違いない。

 今は暗く冷たく湿っている菌のベッドに包まれている。心地よい眠り。ダニーと呼ばれた気がした。ダニーって誰だ? 過去にそう呼ばれていた気がする。現れたのはキャサリンだった。

 「調子はどう? 痛みがないなら働いてもいいって先生が言ってたけど痛みはあるかしら」とキャサリンは優しく囁くように唸ってくれた。

 願ってもない。収穫祭を迎え巡礼団の団員選抜が始まる。群れに貢献しなければ巡礼団員には選ばれない。キャサリンにぜひ働きたいと伝えベッドを出る。何をすべきかはわかっている。病室を出て通路を進む。まだ巣での暮らしは短かく、仲間のようにかぎ爪はないのでなかなか思い通りに動けない。忙しなく行き交う仲間の邪魔をしないように道を譲りながらドクターの部屋へと着いた。ドクターの喜びが伝わってくる。新しい試みとして人間の体との融合手術がうまくいったからだ。私自身が研究成果としての供物となる。巡礼団に加われるかもしれない。喜びに全身を包まれる。信仰心の高まりを感じる。検査を終え倉庫に向かった。捧げ物を出発ゲートまで運ばなくてはならない。倉庫には金属の缶やガラスの容器、鉱石など地上で集めた供物が所狭しと浮遊している。倉庫へ訪れる仲間たちへ次々と荷物を手渡してゆく。誰もが新参者の私に対して歓迎の態度を示してくれた。こんな異形の存在なのに。倉庫の荷物を運び出し終わると腕の腱がいくつか切れていたようだった。夢中で働いていたからだろう。あとは自分で持っていく荷物だけが残っていた。ケーブルがバッテリーや調整機器に繋がった両手で持てる大きさの金属の缶だった。上手く手を動かせなかったが、缶を取り金属カバーの留め金を外す。中にはガラス容器に満たされた液体に人間の首が漬けられていた。見覚えがあるような気がした。首はぐったりと浮いていてピクリとも動かない。死んでいたなら被検体としての価値が下がってしまう。ガラスの筒を持ち上げ振ってみると中の首が目を覚ました。思い出した何度も嫌な夢で見た顔だ。首は必死な形相で叫んでいるが声は伝わらない。調整装置の念波翻訳機能を切り替えた。ダイヤルを回すと首の言葉が念波に変換される。

「ああ、神様。ああ、神様。それは俺の体じゃないか! お前ら俺の体に何をした。返せ! 俺の体を元に戻すんだ」

 首はひどく動揺しているようで何時間も喚き続けた。感情が乱れ論理的な思考を発してはいなかった。ともかく生きていてよかった。バイタルデータを確認したが養分は十分に供給されている。改めて金属の缶を被せ保存モードに切り替えると長期保存状態となった。そこへちょうどキャサリンが現れた。

「出発の時間よ」

 ちょうどよかった。なんとか缶を抱えて巡礼団の出発するゲートに向かった。


 ゲートは月の見える巣の側面にある。両手が塞がっているので動きづらかったが狭い穴は合流するたびに大きく広くなり通りやすくなった。ゲートは巣でも一番大きい空間で、すでに数万という仲間たちが折り重なり集まっていた。目の前は月を捉えその先の大熊座へ向けて大きく開かれている。足元にはあの悍ましい地球。まだ少し体に残っている記憶が地球を懐かしがっていたが、すぐに嫌悪感が覆い尽くした。


 ゲートは仲間たちの高揚感に包まれていた。突然荘厳なファンファーレが高らかに鳴り響いた。ゲートで共鳴していた偉大なる我らが主を崇める祈りが狂気的に高まっていった。そこへ静かに祭司長が現れる。

「きぃぃぃぃぃぃい。しじゅかにー。しじゅかに聞きなしゃい。しじゅかにー。いまから殉教者が我らが主のもとへ旅立つんでしゅよー」

 こんな辺境の巣にあって絶大な権限を持つ祭司長の念波が仲間たちを震え上がらせる。

「しょ君は偉大なる我らがしゅにその身をしゃしゃげるために生まれた神の子でしゅ。今こそ使命を果たしゅ時でしゅ」

 祭司長の言葉に皆が奮い立ち喜びの念波が渦巻いた。皆が放った念波でゲートの壁がビリビリと震え埃が舞い上がった。

 先を行く者バクーが躍り出る。

「出発の時間だ! 偉大なる我らが主のもとへ。祝福あれ」と叫ぶと翼を広げエーテルの海に悠々と飛びだしてゆく。次に知恵なき勇者ドゥモー、狡猾さにかけて右に出るものはいないパクーが次々とゲート飛び出してゆく。それぞれ月の光りを反射し輝く純鉱石の大きな塊を抱えている。さすが二つ名を持つ英雄達だ。尊敬と憧れの念波がゲート内を満たす。百二十対の足を持つクィンが仲間に抱えられて飛び立ってゆく。クィンは翼を持たないがその長大な体が備えた無数の脚で驚くほど多くの鉱物を一度に運ぶことができる。再びファンファーレが鳴り仲間たちが殺到し次々に飛び立っていく。後ろから押され前へ前へと流されていく。いよいよ私の番だ。ブツリと背中に二対の鍵爪が突き刺さる。振り返るとドクターががっしりと抱え込んでくれていた。ドクターの渦が光りヴヴヴと振動を発し始める。ドクターの高揚感が一際強く伝わってくる。缶を抱え前を向きなおす。ドクターは翼を広げるとエーテルを捕まえ私とともに宇宙へと飛び立つ。

 先をゆく仲間たちについて編隊を組む。まずは冷たく輝く月の裏側へ。

 ああ、偉大なる我らが主よ。私たちの献身をご覧ください。

 太陽系の聖地ユゴスを抜けリッワからフを経由し偉大なる我らが主の降臨するヴクへと至る八十光年を超え何億という聖地を訪れる巡礼の旅。異教徒を退け供物を捧げる遥かな旅路の始まりだった。

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