TS触手は悪女の使い魔〜男に戻るため復讐を手伝います〜
毒蛇@カクヨム
第1章 触手と悪女の契約
プロローグ
──初めての外だった。
空は曇天模様が広がり、濡れた土と血の匂いがする。
ぬかるんだ地面を素足で踏みしめる。
せっかくの外なのに『僕』はこの身体の中から眺めることしかできない。喋れず、動けず、いつも通り傍観者として見守ることしかできなかった。
視線が勝手に動く。そこには、モンスターに襲われている一人の女性と少女がいた。
ワンピースを着た女性がモンスターの攻撃を捌いている。血に濡れた紫紺の髪を振り乱しながら、鬼気迫る形相で戦っていた。
「これでは……!」
護衛の死体から拾った短剣で赤黒い触手を捌き、焦燥を滲ませた声を漏らしている。
その背後にいる少女は女性の子供なのだろう。
蜂蜜を溶かしたような金髪に、紫紺の瞳は泣くことを堪えるように揺れている。雪のように白い肌は、返り血か女性の血によるもので汚れていた。
「──ふっ!」
少女を守る女性は強かった。
全方位から襲い掛かる赤黒い触手や、突撃してくるモンスターを短剣で捌き、躱し、反撃によってモンスターを減らしていく。
その合間も少しずつ傷を負い、血を流す。
背後の少女を庇う所為で逃げることができないのだ。そもそも逃がさないとばかりにモンスターたちは距離を取った上で触手を振るい、少女の方を積極的に攻撃していた。
モンスターたちに矜持はない。
小鬼やスライム、狼、オーガと呼ばれたモンスターたち。改造されて殆ど原型の残っていない身体から生える赤黒い触手が女性に傷を与えていく。
雨が強くなってきた。抗う母子に、この身体は無常に歩み寄って行く。
一瞬、女性と目が合った。
激情を宿した視線に射られてドキッとした。このような状況でもただ見ていることしかできない『僕』に怒っているような気がしてならなかった。
──諦めてなるものか。
そんな力強い眼差しが『僕』の何かを震えさせる。
(……これでいいのか?)
この身体はこれまでも様々なモンスターを殺してきた。人の姿をしたものも。
嫌悪も抵抗も、やがて消えて、慣れた。どうせ叫んでも届かないのだから。
でも、この時だけは、あの眼差しに射貫かれてからは違った。
死んでほしくないと。誰かを守りたいと思ったのは初めてかもしれない。
「お母様!」
「いいから逃げなさい、ヴィクトリア!!」
女性が叫んだ少女の名前に心臓が跳ねた気がした。
(……ヴィクトリア)
悪役令嬢ヴィクトリア。その名前が記憶を刺激する。だが、それを深く思い出す前にモンスターたちが遊びを止めたかのように、一斉に彼女たちに襲い掛かる。
(……動け)
自分の身体に強く念じた。呼びかけた。
(頼む。動いてくれ──!!)
今までとは違う。ただ叫んで喚くのとは違う。
誰かを守りたいと、祈るように思いを込めたと思う。
【意識リンク:接続中】【主制御人格:覚醒中】
【自動運動:停止】
突然、視界に変化が生じた。カシャ、という音と共に何かの文字列が表示されたが気にしていられなかった。
モンスターたちの赤黒い触手から彼女たちを庇うように僕は前進した。
「──ぁ」
初めて自分の意思でこの身体を動かせた。
風を切り、雨粒を弾き、泥でぬかるんだ地面を踏み締め、彼女たちの前に出る。
ズドォォオオン!!!
全身を殴打する赤い触手や青黒い粘液や斬撃や殴打を浴びせられた僕は──思ったよりも痛くなかったことに気づいた。それよりも動けたことに驚く。
【特殊任務:中止】
【損傷発生:軽微】
【再生プロトコル:完了済み】
まただ。謎の表示に不安を煽るアラート音。
青白い光が霧のように視界に広がり、文字や数字に変わる。その度にカシャ、とかジリリ、というアラート音が幾度も頭の中で鳴る。
(……いけるか?)
止まった僕に、最初に襲い掛かるのは小鬼だ。赤黒い触手に全身を塗れた小鬼が振るう触手に手を伸ばし──掴む。
先ほどよりも意識が明瞭で、触手を掴んだ手の平の感触を鮮明に感じる。
よく見ると僕の手は白く小さかった。
ただ、触手を握り潰して引っ張り、近づいてきた小鬼を殴り飛ばす力は人間の物ではない。
素早く動く赤黒いスライムを素足で踏み潰し、他のモンスターの身体から放たれる多数の赤黒い触手に向き合う。
圧倒的に数で不利な状況だ。だが、それを覆す武器がこの身体にあるのを知っている。
(……出てこい!)
呼びかけると背中に熱い熱が奔る。
【触手:戦闘展開中】【残り稼働時間:40分】
ずるりと伸びた黒い触手が青白い光を帯びて周囲を照らす。
それに怯むように、モンスターたちは一歩退く。
(これじゃあ、どっちがモンスターなんだろうな)
そんなことを思いながら直感で敵の触手を斬り裂く。
触手をぶんぶんと振り回し、強そうな敵モンスターを頭から股まで斬り裂く。飛びついてくる相手の胴体を横に裂き、肩からも触手を出して纏めて突き刺す。
身体が軽く、そして熱い。
背中や肩から人間には無い物が出ているのに、頭は機械のように冴えていた。
『E11251415118! 何をしている! 標的を間違えるな!』
……? なんだ? 誰の声だ?
ふと、どこからか知らない人の声が聞こえた。その途端に身体が重くなった。
【停止コマンド:実行中】
頭の中に広がる鈍痛がうっとうしかった。身体も急に重くなって脚を止める。
その隙を狙って強そうなモンスターに衝突された。
【触手姿勢制御】
吹き飛んだ身体を受け止めるように触手が地面に刺さり上手く着地する。
何の意識もしていないのに、触手が勝手に動いて僕を助けてくれた。
「……ありがと」
くるりと回転しながら触手に告げて驚く。
……声は少し低くも可愛らしいものだった。
雨は冷たく、火照た肌に付着した体液や泥を洗い落としていく。
こんな風に戦ったことなどない。動いたのだって、この人生で初めてだ。
だが、不思議と考えた通りに身体は動き、考えの粗い部分は体内から生じた触手がサポートしてくれる。おかげで戦闘が成り立っていた。
(けど、ダメだ。頭が痛い)
それも時間経過でより頭痛が酷くなってきた。頭が締め付けられるようだ。
【触手学習予測:1%】
【教会通信遮断】
「……あ」
何かが起きたのか、霧のような数字が表示されると頭痛が消えた。
僕の背丈並に巨大な拳をぶつけてくるモンスターを今度は腕で受け止めると、大量の黒い触手に青白い模様が閃光のように光の尾を引く。
遅れて血しぶきがぬかるんだ地面を汚す。
そのまま僕は縦横無尽に駆け回り、モンスターたちを狩っていく。
その合間に、女性が少女を──ヴィクトリアを連れて走って逃げるのが見えた。
僕を無視して攻撃しようとするモンスターもいたが背中から触手を突き刺して血の雨を降らせると追うのを止めた。
その途中、少女が一瞬だけ振り返った。
僕は微笑み、軽く手を振った。
「──元気でね」
雨は勢いを増して突き刺さるように降ってくる。
風が唸る。雷鳴が轟き、一瞬視界が白く染まる。
周囲には倒木とぐちゃぐちゃになった地面と、モンスターの残骸が雨に溶けるように消えていく。
【触手:停止】
気がつくとクリアになった視界が雨で濡れる。
黒い触手が音もなく体内に戻るのを感じながら、なんとなく自らの胸元に手を当てる。小さい身体は柔らかく熱い。同時に柔らかな胸元の膨らみに息を呑む。
その時、地面を裂くような轟音と共に白い光が頭上に広がった。
「……僕って、こんな顔だったんだ」
雪のように白い肌に肩まで伸びた灰色の髪。黒い簡素なワンピース。
水溜まりに映ったのは、見たこともない美しい生き物──それが、僕だった。
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