乳母娘《うばむすめ》
夕日ゆうや
俺の痛み
「おー。よちよち。よく飲めましたね~」
マキは幼児をあやすのが得意で、乳母のバイトを始めた。
最初こそ、高校生に任せるのは世間体もあったのだが、今ではその実力からか、みんなから指名が入る。
マキが二件目の住宅にたどりつくと、そこには身長165cmの幼児というにはあまりにもふてぶてしい男が一人……ま、俺のことなんだけどね。
今朝方、ママがベビーシッター頼んだから、お世話になりなさい、と言われた。
引きこもりでデブで才能のかけらもない俺に付き合ってくれる友達もいない。
それどころか家族の中では底辺だ。義妹にすら目を合わせてもらえない。
そんな俺に当てつけるかのようにして乳母を頼んだ。
「ほー。立派な赤ちゃんですね~」
乳母の娘っ子一人で俺をあやすと言い出す。
同級生のマキは俺を見るなり、背中を撫でてくれる。
どうやら俺の乳母に本気でなるらしい。
「やめろ。お前も本意じゃないだろ?」
マキは可愛いし、積極力もある。おまけに家事はできる、勉強もスポーツもできると聞く。
聞いただけで俺が吐き気を催すほどの劣等感に苛まれる。
これ以上は近づかないで欲しい。
「何言っているの。わたしにとっては全てが子どもよ」
慈愛に満ちた笑みを向けてくる。
そんな顔はしないで欲しい。
俺はため息を吐き、ベッドに潜り混む。
「金なら机の上にある。持っていけ」
俺はそう言うと一歩も出ずにマキが帰っていくのを待った。
もう二度と来ないだろうな。
「お前。今日も部屋から出ていないだろう?」
ママはキツい顔で俺をなじってくる。
義妹の
食卓を囲むのも久々だ。
「お父さんが亡くなってから塞ぎ込んで……」
「あんた、かっこ悪いよ」
美々はそう告げると、食器を片付ける。
俺だってこうしたくてしている訳じゃない。
「明日も
ママはそう言い内職を再開する。
家族が冷え込んだのはパパが亡くなってから。
ママもその連れ子だった美々もドンドン暗い表情になっていった。
当然、俺はママとも美々とも血のつながりはない。
そんな俺を置いておくだけでも充分計らっているのだとは思う。
でもある日、俺は外に出るのが怖くなった。
パパが亡くなったのが暴走した車ということもあるのかもしれない。
背中の傷がその悲惨さを物語っている。
相手の車は賠償金と禁固刑に処した。
でもだからといってパパが帰ってくるわけでもない。
俺は世間から見放されたような気持ちになった。
翌朝。
「ユウくん。大丈夫?」
マキがまたやってきた。
乳母を頼んだとは聞いていたが、まさか
俺はジト目を向けると、すぐに部屋に籠もる。
「今日は朗読しましょうね~。眠くなったら寝ていいからね」
マキはそう言い、ドア越しに朗読を始める。
なんてことない。
いじめられていた少年が愛を知り、少女と出会う。そして結ばれる。
そんなありきたりな物語に――俺は感動してしまった。
「ユウくん。起きているかな?」
ドア越しでは俺がどんな状態かも分からないのだろう。
「この物語の主人公ってすごいよね。一人で壁を越えている」
ならなんでそんな話を選んだ。
「ユウくんも、きっといつかはこうなれるよ。誰かのためのヒーローに。だって誰も傷つけていないじゃない。まだスタートラインじゃないよ?」
俺はまだ赤ちゃん。
スタートすらしていない。
「キミになら、ヒーローになれる。お父さんのことも聞いた。でもキミは最後まで相手を責めなかった」
俺は自分のふがいなさを嘆いていて、相手を怒ることもしなかった。
「そんな強くて優しいキミを、わたしが支えたい」
マキは今、どんな顔をしているのだろう。
慈愛に満ちた顔? 悲哀の顔?
分からない。
でもその声が、湿っている気がした。
「また明日も朗読聞いてくれるかな?」
寂しさを感じる声に俺の心臓がうるさくなった。
「じゃあ、またね」
「じゃあ、な」
絞り出すように小さく返事をする。
マキに聞こえていたのかは分からない。
でも玄関のドアを閉める音は優しかった。
乳母娘《うばむすめ》 夕日ゆうや @PT03wing
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