完璧美少女に成長した幼馴染が、平凡な私を今も最強で世界一だと信じて疑わない

慶多寅

第1話 「話題の新入生」

高校2年生の新学期、初日の朝8:00ちょっと前。

4月になってまだ3日しか経っていないから、さすがに朝はまだ寒い。


今年17歳になる各務涼音[かがみ すずね]は、通学路にしている商店街をてくてくと歩きながら、手を擦り合わせて暖を取った。ふと横を見ると、登校途中にいつも前を通るブティックがあって、まだ開店前のショーウィンドウは、暗い店内のお陰でちょっとした鏡のようになっている。


そのガラスに映っているのは、ブレザータイプの制服を着ている、なんとも冴えない容姿の平凡な女の子だった。


脱色などしたことがない黒髪は、先端が肩につかないくらいのセミロングで前髪もすこし長めだから、もっさりとした印象に見える。凉音本人としては、出来れば不細工ではないと主張したい容姿は、恐らくレベルとしては並の下といったところだろう。背丈も頭の中身も、ついでに歩くと少しだけ揺れる胸の大きさも、ほぼほぼ平均より少し下。これまでモテたことはないけれど、現時点ではという注釈付きならばクラスで酷いイジメも受けてはいないという、要するに涼音は、石を投げれば当たるような、『取り立てて特徴のない、平凡な女子高校生』だ。


そんな平凡な涼音が通うのは、これまた平凡な都立高校の平凡な普通科クラスだ。平凡という単語が並び過ぎて、思わずゲシュタルト崩壊を起こしそうだが、本人は至ってのんびりといつもの通学路を歩いて校門の近くまで来た。すると、この時間にしてはやけに騒々しくて人影も多く、それどころか校門に掲げてある学校の看板の前で写真を撮っている家族連れなどもいる。


一瞬 目を丸くしてしまったが、校門の横に立っている『入学式』という看板を見て、今日が凉音達のような新2年生には始業式で、新1年生達には入学式なのだと思い出した。つまり、凉音もいつの間にか入学してから一年が経ってしまったという訳で、時間の経つのは意外と早いもので、なんだかスマホでゲームをしたり動画を見ているうちに終わってしまった気がする。そんなことを思いながら、新入生の保護者が撮っている写真の背景に入ったりしないよう、凉音は背中を丸めて早足になった。そのまま、コソコソと校門をくぐって校舎に入ると、階段を上がって校舎2階の教室まで歩く。


今日は、SHR無しで9:00から始業式なのと、そもそも春休み明けの初日の8:15過ぎという時間帯のせいもあって、まだ校舎内にも生徒の数は少ない。新しい2-Bの教室に着いた凉音は、ドアを開けつつ呑気な声で挨拶する。


「おはよー」


なんともだらけて締まりがない口調だが、原因は、昨夜とりたてて理由もなく、だらだらとスマホを見て無駄な夜更かしをしてしまったせいだ。新学期初日としてはあまり褒められたものではないが、涼音が通っている高校はクラスがA組からD組までの4つで、2年への進級に際してはクラス変えがない。違いと言えば、校舎の1階教室から2階教室へのエスカレーター式のレベルアップだけという訳で、基本的に見知ったクラスメイトが変わらないのだから、進級したからと言って緊張しろというのが無理かもしれない。


「うーす」

「はよー」

「おはよーさん」


廊下と同じく、教室にいる生徒もまばらだった。涼音の気の抜けた挨拶に、スマホから顔も上げずに数人のクラスメイトから適当な挨拶が返って来る。見れば、40名のクラスメイトのうち、登校して来ているのは半分に満たないくらいの人数だ。


そのまま教室に足を踏み入れると、校庭側の窓に引いてあるカーテンがふわっと舞った。朝の爽やかな日差しと土っぽい空気が教室に流れ込んでたから、凉音は揺れるセミロングの黒髪を優雅に押さえた。


「席は、自由席……じゃ、ないみたいだけど」


凉音が教室の前を見ると、黒板には「出席番号順に着席のこと」と書かれていた。凄まじく汚い字だから、書いたのは1年生から変わらない担任教師に違いあるまい。すると、ぼーっと黒板を見ている凉音の背後から、明るい声が掛けられる。


「おすず、おはよー」


振り向けば、少し色が抜けて茶色っぽいショートカットの、日焼けした少女が、涼音のあだ名を呼んでひらひらと右手を振ってくれている。凉音と同じブレザータイプの制服だが、キチンとネクタイを締めている凉音と違って、ジャケットを脱いで襟のボタンを外していて、ネクタイもゆるゆるだ。


眩しいその笑顔は、先に登校していた友人の桐ケ谷紗季[きりがや さき]だった。苗字が「各務」と「桐ケ谷」だから、出席番号順だと「か」と「き」で席が前後になることが多い紗季は、中1の最初の体育の授業で準備体操のペアとなって以来の涼音の親友だ。あの時のペアの組み分けが、出席番号順で良かったと、涼音はしみじみと思う。


「紗季ちゃん、おはよー。今日も朝練だったの?」


近づいた紗季の前髪がしっとりとしていて、机の横にはバックと体操着袋がぶら下がっているのが見える。紗季は、中学で出会った時には既に陸上部に入って100m走に情熱的に打ち込んでいて、涼音も何回か時間を作って応援に行ったことがあるが、大会で走る紗季はなかなか格好良かった記憶がある。


「10本くらいだけどねー」


照れたように笑う、紗季の白い歯が綺麗だ。昨日、スマホのメッセージでやり取りした時に聞いたところ、春休み中もほぼ毎日、女子陸上部の練習で学校に来ていたらしい。紗季は100mをメインにしているから、恐らく今朝も100メートルを10回走ったということらしい。紗季は、たいてい朝練で8:00前には学校に来ているそうだから、まだ眠気の覚めない凉音にしてみれば、感心するしかない。


「さすがだね、紗季ちゃん。お疲れ様」


軽く微笑みながら、涼音は紗季の1つ前の席の椅子の背に手をかけて、学校指定のスクールバックを机の横のフックに引っ掛けた。涼音は帰宅部だし、今日は始業式だけだから、バックの中身は母の菜月[なつき]お手製の弁当だけだ。胸元に入れていたスマホを机の上に置いてから椅子に腰掛けてみると、新しい教室の椅子は1年の時に使っていたものと同じメーカーのはずなのに、妙に座り心地が悪い。まあ、座り続けている内に、きっとお尻の方がイスの形に慣れてしまうのだろうけれども。


すると、「おはよう、各務さん」とクラスメイトの男子が声を掛けてくる。凉音が顔を上げると、端正な顔立ちの葛城翔真[かつらぎ しょうま]が机の横に立っていた。翔真は、各務と葛城という“か行”繋がりで涼音のクラス日直のペアだ。クラス替えがないため、涼音と翔真のペアはめでたく(?)2年目に突入している。


凉音が「おはよう」と挨拶を返すと、ブレザータイプの制服のネクタイをしっかり締めている翔真が、頬を染めながら口を開く。


「きょ、きょ、今日は良い天気だね」


後ろの席の紗季が、頬杖をついたまま不満そうなジト目で翔真を睨むが、それに気づかない凉音は、あっけらかんと翔真に答えた。


「そうだね、しばらく天気が良い日が続くらしいよ」

「そ、そういえばさ、こ、今年も同じクラスだね、各務さん」

「え? クラス換えが無いから、みんな同じだよね?」


天然な凉音にそう返されてしまうと、翔真はそれ以上何も言えなくなる。尚も話題を探して頭を捻っている翔真を、凉音は怪訝そうに見つめた。すると、そんな2人のやり取りを眺めながら、そこはかとなく安心したような微笑みを浮かべた紗季が「そういえば、おすず」と凉音の制服の背中をツンツンと突いた。


「朝練の時、うちのミキちゃん先輩に聞いたんだけどさー」


座ったまま椅子を前に動かした紗季が、涼音にちょっと内緒話をするように顔を寄せる。朝練の後で軽くシャワーを浴びたのだろう、ふわっと石鹸系のボディソープの匂いが漂い、その素朴で爽やかな香りがなんとも紗季に似合っているように感じた。


会話を取られてしまった翔真が「それじゃ、また」と自分の席に戻っていき、その背中に向かって勝ち誇ったような微笑みを浮かべた紗季は、ついさっきの朝練の時に仕入れたばかりの噂話をさっそく披露する。


「今年の新入生で、入試で500点取った子がいるんだってさ」

「500点……?」


涼音の通う公立高校の入試は、英語・数学・国語・理科・社会の5教科で、500点ということは、すなわち全教科100点満点パーフェクトということだ。さすがに正確に覚えていないが、涼音の入学試験は自己採点で370点を切っていた気がする。1年ちょっと前の自分の惨憺たる成績を思い出して、涼音は目を白黒させた。


「凄いねー その子。入学して来る高校間違ったんじゃないのかな?」


既に説明した通り、涼音達が通っているのは本当に平凡な普通高校なので、基本的には地域の中学を卒業した学生のほとんどがエスカレーター式に進学してくる高校だ。こういってはなんだが、入試で全教科パーフェクトを取れるくらいなら、こんな高校に来なくても、例えば隣町には伝統ある中高大一貫のお嬢様学園だってあるのだ。そう思った凉音が何気なく


「そんな子なら、隣町のあの学園だって、余裕だったんじゃな──」


そう言ってしまった瞬間、『しまった』と息を呑む。さっきまで、凉音と親密に話せることでウキウキした表情をしていた紗季の顔が、一瞬で泣きそうな表情になった。


凉音の脳裏に、そのお嬢様学園の制服に身を包んで微笑む少女の映像が浮かぶ。恐らく、紗季の脳裏にも同じような映像が浮かんでいるに違いない。


4年前に袂を分かってしまい、もう二度と会えない少女。2人にとって心の底から愛しくて、思い出すだけで胸が張り裂けそうになってしまう彼女のことを、凉音は口にしないように必死に避けていたはずだったのに、寝惚けていて油断をしてしまったのだ。紙のように真っ白な顔になった凉音を、唇を噛んだまま見つめた紗季は、ちょっとの間、暗い顔で俯いた。


だが、なんとか空気を変えようと、意識して明るい表情を装った紗季は、日焼けした顔を更に凉音に近づけながら、ちょっとだけ声のトーンを上げる。


「……し、しかも、そ、そのさ、その新入生、なんか、すっごい美少女らしいよ」


ここは、さっきの言葉を無かったことにしようとしている紗季の方が正しいから、凉音も精一杯、興味があるような口ぶりを装って、笑顔を貼り付けた。


「へ、へー、頭が良いうえに可愛いなんて、さ、最強だねぇ」


自分でも演技が下手だとは思いながら、凉音はにこにこと呑気そうに微笑む。


もちろん、4年前の事情を知っている人からすれば、凉音の方がよっぽど被害者で紗季の方が加害者だから気を使う必要はないと言うかも知れないが、凉音はそれに賛同するつもりはない。紗季は凉音の友人で、それも大切な親友なのだから、紗季の古傷を抉るようなことをうっかり口にしてしまった凉音の方が悪いのだ。

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