第18話 【父と娘】あの日の続きへ、白い夢で手を伸ばす


 ――静かだ。


 深い水底に沈んだような白さが、視界のすべてを満たしていた。

 音も風もないのに、空気だけが、ゆっくりと揺れている。


(……また、ここか)


 眠りに落ちた直後に訪れる、“白い夢”特有の浮遊感。

 体の輪郭が薄れ、心だけが、そこに沈んでいくような感覚。


 そのとき。


 ぽん、と。

 空気が軽く弾けるような気配がした。


「誠一さん!

 ドリームリンクの世界へ――ようこそ!!」


 弾む声とともに、白の静寂を割って飛び出してきたのは、

 クーネルだった。


 前足で胸を張り、やけに誇らしげだ。


「今日もありがとうございます!

 いやー! シラベの街の『蜜果スムージー』が、

 どうしても忘れられなくてですね!!」


「忘れられない、って……

 お前、夢にまで出てくるほどか?」


「当然です!!

 あれは“飲み物”ではありません!

 液体化した幸せです!!」


 力説するクーネル。


 そして、思い出したように付け足す。


「ちなみに、現実側で三回おかわりを狙いましたが、

 リアさんに止められましたがね」


(……というより、

 くーちゃんが店の前で粘りすぎて、

 リアに抱えられて退場してた気がする)


 ――白い夢の中に、

 ほんのりと現実の光景が混ざる。


 不思議と、それが“ちゃんと繋がっている証拠”のように思えた。


「じゃあ明日、少しシラベの名産でも食べるか。

 カゲルも加わったし、区切りみたいなもんだ」


 俺がそう呟くと、


「えええっ!?

 楽しみです!

 ではカゲルさんの分まで――私が!」


「いや、それはダメだろ」


 苦笑した、その瞬間だった。


 ――ふっ。


 音が、すっと消えた。


 白さが一段と深まり、

 クーネルの姿が、ゆっくりと霞んでいく。


 胸の奥が、ひとつ強く脈打つ。


 そして――


「……パパ?」


 背中越しに届いた、小さな震え声。


 懐かしすぎて、胸が張り裂けそうだった。


 ゆっくり振り返る。


 白い光の縁取り。

 震える肩。


 白い霧がやわらかく揺れ、視界がゆっくりと形を持ちはじめる。


 そこに――まひるがいた。


「……まひる……!」


 駆け寄ろうと一歩踏み出した瞬間、

 足元に触れた“靄の壁”が、ぐっと胸の奥まで押し返してきた。


 ――また、これか。


 夢の世界に入るたび、いつも邪魔をする透明な壁。

 抱きしめることも、触れることも許されない距離。


「パパ……今日は、大丈夫だった……?」


 まひるが胸元のくーちゃんをぎゅっと抱き、

 不安を隠しきれない声で聞いてきた。


「キューン……」

 くーちゃんも、小さく泣くように鳴く。


 くーちゃんとクーネルのおかげで、

 こんなふうに親子で話ができている――

 そう思うだけで、胸が熱くなる。


「ああ……なんとかな。少しトラブルもあったけどな」


 バツの悪いように告げると、


「えっ……な、なにがあったの!? パパ、話して!」


 まひるが一歩こちらへ出る。

 その必死さが、霧越しでも伝わってくる。


 ――心配してくれる娘なんて。

 いつ以来だろう。


「……実は義賊団に襲われてな。首領のジンって男と戦ったんだ」


 そう言った瞬間、


「ジン!? もしかして――義賊団ヴァーチュ・エッジのジン!?」


 まひるの頬が、ぱっと赤くなった。


「え……知ってるのか?」


「もちろんだよ! 《ヴァーチュ・エッジ》は超かっこいいんだから!」


 ぱあっと咲いた笑顔。

 ああ、まひるはこんな顔で笑う子だったんだな。


(……だけど、さっきまでの心配は、どこへ行った?)


「影狼のジン、宵月のレナ、

 それと名前忘れちゃったけど――影の薄い天才軍師がいて!」


「お、おう……影が薄いのか、そいつは……」


 苦笑しつつも、楽しくて仕方がない。

 こんなふうに話せたのは……何年ぶりだ。


「パパ! なんとね――ジンをクリエイトしたのは私なんだよ!」


「……えっ? まひるが……?」


 心臓が、一瞬だけ跳ねた。


「うん! 私の憧れの人をもとに、ジンをクリエイトしたの!」


 まひるは少し息を整えて、

 まるで大切な宝物を語るみたいに続けた。


「……中2のときね。

 チャラい三人組に絡まれて、無理やり連れていかれそうになったの」


 胸がぎゅっと締めつけられた。


「……まひる……そんなことが……」


「抵抗したけど全然ダメでさ。

 でも――その人が助けてくれたの。黒瀬仁って人」


 白い靄の中で、まひるの声だけがあたたかい。


『お前ら、お嬢ちゃん一人に男で三人がかりかよ?

 筋が通ってねぇにもほどがあるぜ』


「そう言って助けてくれて……名前も言わずに去っていったんだよ」


 まひるは、憧れを抱くように目を伏せた。


(心配してくれるのも、夢中で語るのも……

 全部、懐かしい)


「私、その人を調べたらね、界隈じゃ有名な不良で……

 孤高の一匹狼の、黒瀬仁って人だったの」


「そうか……じゃあ、ジンとは、ちゃんと仲良くしないとな」


 そう言った途端、

 まひるの表情が、ぱっと明るくなる。


 ――ああ、この時間が、ずっと続けば。


 白い床が、誠一の鼓動に合わせてかすかに脈打った。


「……っ?」


 わずかな揺れの次の瞬間、

 床に“細いヒビ”が走った。


「……っ!」


 霧が揺れ始める。

 光の粒がざわつき、世界が静かにきしむ。


「パパっ!!」


「ワンッ!!」


 くーちゃんが鋭く吠える。


 足元の光が砕け、

 白世界が透明な水へと変わるように溶けていく。


 声が、距離が、手が――遠ざかる。


「まひる……! 必ず帰る!!」


 霧の向こうで、

 まひるの伸ばした手が震えた。


「パパぁ――ッ!!」


 光が弾け、

 世界は白い霧へとほどけていく。


 沈む――

 意識が霧に抱かれ、深い底へ落ちていく。


 まひるの声が消えかけた瞬間、

 胸の奥で、懐かしい“家の匂い”がした。


 ――帰る。

 あの日の続きに、もう一度辿りつくために。

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