北浅間村物語 エピソード2 「夜に蠢く邪悪な生き物」

源間 ショウ

第1話 インバウンド需要と観光事業

 2024年は丈一郎にとって希有な一年となった。北浅間村の別荘地を中心に幾つかの事件に巻き込まれ、最後は傷害・誘拐と民間人の監禁・拘束事件が同時に発生し、事件解決後少し時が経った後に関係者による傷害事件が発生した。丈一郎は友人の弟である警部補を支援し、最初の事件では最低限の被害で収める事の役に立ったが、それに続く事件の発生を食い止めることが出来ずに苦すぎる経験をするのだった。補足すると、一連の悪徳不動産屋の被害者であった上東市の名門一族が、その恨みを晴らすために、傷害・誘拐と監禁・拘束及び爆発物による器物破損事件の加害者となったのだ。その際に犯人側の一族の男が爆死した。さらに数ヶ月後にその悪徳不動産の社長と営業部長が襲われ大怪我を負うが、その犯人が北浅間村で旅館を運営する上東市の名門一族の末裔で、爆死した男の弟でもある若者だった事が関係者にさらに追い討ちをかけるような衝撃を与えた。彼は運命の糸に引かれるように悪徳不動産会社幹部へ血の掟『』に従い復讐をするという傷害事件を起こした。事件の経緯と事情が明らかになり、動機が明白となった時には、むしろ彼に同情する声の方が大きかったのも事実だ。

 一方、これらの事件の中での卓越した行動力と功績により牧野警部補は警部に昇格し、丈一郎は県警察本部より『特別感謝状』をもらった。丈一郎は十一月以降も月に一度は別荘を訪れることを続けていたが、年末は自宅のある埼玉県某市で家族とともに過ごし、無事に年を越し賑やかな新年を迎えた。友人の牧野巌もこの春には、それらの事件の一番の犠牲者とも言える幼い遺族を養子に迎え、弟である牧野警部の家族と共に平穏な毎日を送ることになる。新年は新たな出会いが生まれ、若者が活躍する時代が始まれば嬉しいのだが、いつの時代も悪知恵を働かして悪事をはたらく者がいて、その犠牲者になるのは弱い立場の者であり、その多くの犠牲者は善良な民間人であり、直接罪を犯す実行犯は経験の少ない若者である事が多い。そのような悲劇が繰り返されないように、感度の良いアンテナをたて、悪の本丸に迫るような活動をして、犯罪の芽を摘む事が出来れば良いと思うが、一体、誰がそれを行なうのか?


 話は変わるが、日本全体ではインバウンド観光客による観光地は希に見る賑わいを見せている。2024年のインバウンド訪問客数はコロナ渦前を500万人上回り、3686万人となり過去最高となっている。このインバウンド訪問者の消費額は、前年同期比約82%増の8兆1395億円となり、もはや国内アパレル市場規模と同程度にまで増大し、個人消費の下支え役となっている。このようなオーバーツーリズムになりかねないような活気とは無関係に、北浅間村では電力需要を満たすために森林を開拓し、クリーンエネルギーとして太陽光発電所が数多く設置されている。また、百名山三山の山裾の高原地帯では大規模なキャベツ栽培が長年行なわれていて、夏秋キャベツの国内最大の生産地となっている。そこでは多くの外国人労働者が働き、農村地帯の労働者不足を補って共存共栄の社会のお手本のように見えるが、監視が行き届かない環境でもある。北浅間村特有の事案ではないが、太陽光発電に使用される銅線を盗んだり、真面目に働いて築いた財産を狙い、闇バイトで集められた若者が、浅はかにも罪亡き人を無造作に襲う事件も起きている。このような夜行性の捕食者/犯罪者にとって、『梟(フクロウ)』のように闇夜でも活動できる犯罪を抑止する存在が必要なのかもしれない。犯罪の多くが夜間に行なわれるからだ。そして、犯罪者に対抗できる力を持った、森に棲む猛禽類である『ノスリ』のような存在が邪悪な捕食者を捕らえ、法の裁きを受けさせる事により、犯罪の連鎖を食い止めないと闇が広がりかねない。


 さて、年が明けた2025年一月中旬に丈一郎は珍しく葉子に誘われ、バスでの日帰り『歌舞伎観劇ツアー』に参加した。葉子は何度か近所の主婦仲間と観劇していたが、彼にとっては初めての本物の『歌舞伎鑑賞』となった。しかも、主演は当代一の人気者で実力者『市原元三郎』である。期待をせずにはいられない。事前に『歌舞伎忠臣蔵』のことをネットで調べていたのですんなり状況や演技の意味は理解できたが、第一幕第一場から、やはり市原元三郎の演技は思っていた以上に巧みで迫力があった。彼が演じる悪役 高師直こうのもろなおの不遜さといやらしさと滑稽さに笑ってしまい、心の中では良く常連がやっている屋号の『大成屋』と声をかける気持ちが分かったような気がした。無論、彼にはそんな度胸も経験も無いのでちょっと心の中でそう思っただけだったが。そんな事より、元三郎は第一幕後半の大星由良助(モデルは大石内蔵助)役では打って変わってキリリとした忠臣役で、主君の悲劇に悲しみ慄く姿が繊細でまるで違う役柄を見事にこなしていた。そして第二幕では女方のような情けなさげな不幸な男役を演じ、見事に腹をきり同情を誘うという、同じ役者とは思えない声色と振る舞いや仕草を演じ、素人の丈一郎を唸らせた。実力者であり、当代一の人気役者の存在感に圧倒された。「これほどの役者はそうはいない。こういう才能はやはり遺伝と環境の両方が揃わないと駄目なようだ。」と思うのだった。葉子も元三郎の演技にはいつも感心するようで、

「やっぱり、千恵蔵(今は元三郎だが)には華があるわね!」と感嘆符付での感想をもらしていた。

 そして、この年には大ヒットする歌舞伎を中心テーマにした映画が上映された。丈一郎も好きな若手俳優二人といぶし銀のようなベテラン俳優の体当たりの演技に感動し、日本古来の芸能の魅力が余すところなく表現されており、間違いなくこの年を代表する作品だと実感した。本物の歌舞伎役者の元三郎もYOUTUBEで本作に関する大変好意的なコメントをしている。


 丈一郎にとって冬の間のこのような都会暮らしは、既に旅行感覚になっており、さほど不思議ではないが、北浅間村での暮らしが日常になり、時間的にも精神的にも比重が大分移っているようだった。なのでこのような文化に触れるのは通常は都会でしかできないことであるが、以前から彼が釣りとキャンプで良く訪れた福島県の檜枝岐村ひのえまたむらには、『檜枝岐歌舞伎ひのえまたかぶき』と言う独自の歌舞伎を演じる場所と文化・風習が残っていて、興味深く鑑賞したことが思い出された。その時は上手な演技に感動したのだが、これは江戸時代後期に村人がお伊勢参りに行った折、上方や江戸で見聞きした歌舞伎を娯楽に取り入れたのが始まりで、毎年五月と八月に奉納歌舞伎として村人を楽しませている。今では県の重要無形民族文化財に指定されているようだ。市川元三郎のような役者を育成することは不可能かもしれないが、伝統文化として自ら演じ、披露するといった努力と演じきる喜びはとても有意義だろう。全国には数百の地方演劇を残す組織がある。北浅間村にもお祭りやイベントはあるが、文化として継承されている存在を彼はまだ良く知らないが、今度、吾妻川沿いに『文化センター』が建築中で、じきに開業するようなので期待している。


 と言いつつも文化への親しみもあるが、丈一郎は北浅間村を中心に自然豊かな群馬でのアクティビティを満喫したいと思っている。ところが観光を重視している群馬県としてはそう思ってくれる人たちが殊の外少ないことが課題のようだ。彼は大いに関心のある事なので、ネットで色々と調べてみた。彼の別荘地のある群馬県は草津温泉・万座温泉・四万温泉・水上温泉・伊香保温泉などの名湯と言われる幾つもの温泉と温泉街、有名な尾瀬湿原や谷川岳や草津白根山、浅間山などの自然豊かな山間地域での登山や散策や川下りなどのアトラクションがあり、多くの観光客が訪れる。観光関係のデータでは2022年度でその訪問客数は年間で550万人を数えるほどだ。ただ、観光客数は隣県の同様に自然豊かな長野県に比べると60%程度に過ぎず、近隣の同じ北関東の栃木県の86%で、全国14位となっている。旅行客の旅行消費額になると、年間で2815億円で全国16位で、9位の長野県の60%にも満たないレベルで、訪問客数では上回っている大分県や三重県よりも消費額が少ない。つまり、訪問客がお金を払って楽しみや満足を得るコンテンツが少ないのが大きな課題だと認識されているようだ。丈一郎はそのようなデータを調べるのが好きで、彼が何より驚いたのが旅行客における外国人の宿泊数が少なく、全観光客数に対する割合が、全国平均の3.7%に対してなんと0.7%と悲惨な状況にあることだ。前述の通り全国的にインバウンド需要が伸びる中、群馬県への観光客としての訪問が伸びていないのはその辺に原因があるようだ。


 県としては今後どのようにしようとしているのかに興味があり、さらに県のホームページを見ると、そのような観光事業の課題を解決する方針を見つけた。県の「強み」として、東京から非常に近い位置にありながら、大都市圏にはない魅力的な「温泉」「自然」「食」「伝統文化」等を有していることを生かそうとしている。その観光資源は国内外に通用するものなので、増加が見込まれるインバウンド客の多くが訪れる東京から足を運んでもらえるように、受入環境整備と誘客を促す取組を推進することが必要だと考えているらしい。

 一方で観光ではないが2024年の「ふるさと回帰支援センター」の調査によると、移住希望地ランキングで群馬県が初のトップに選ばれたとのことで、ランキング結果は 1位:群馬県、2位:静岡県、3位:栃木県、4位:長野県、5位:福岡県だそうだ。群馬県は2023年に当ランキングで2位となり、メディアで報道されたこともあり、20~30代の相談が増加。漠然と地方移住を考えはじめた層や、伸び伸びと子育てをしたい層が増えたとコメントしている。また、アクティブな50代がセカンドライフを求めたり、首都圏へのアクセスの良さや自然環境からテレワーク移住の相談も増えて、「仕事に追われるより、家族や自分の時間を大事にしたい」「災害の少ない地域に住みたい」といった声が聞かれたようだ。この結果を現在の某県知事が大変喜んでいる動画もあった。


 丈一郎にとっては少し意外なランキング結果を、某県知事ほどではないが嬉しく思っており、移住者が確実に増えないと過疎化が進む事を危惧していたので追い風のように感じていた。ただ、交通至便の高崎近隣ならば東京からの観光客が流入する可能性はあるが、さらに西部や北部地区の観光地に行くには在来線の普通列車で一時間半以上かかる。交通網が発達し便利さに慣れた観光客が、この時間を費やしてでも訪問したくなる魅力が必要だろうと思うし、一つ一つ個別での温泉地や観光地や自然遺産だけでは、少し魅力度として弱いのかもしれないと感じている。

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