『星環戦記 無冠の軍略士・カミシロ・アツシ』

あちゅ和尚

第1話 辺境宙域アウストラ

星環連邦歴1173年。

天宙帝国との戦争が、とうに「日常」になってしまった時代。


その最前線のさらに端っこ、

誰も詳細な星図すら覚えようとしない辺境宙域――

アウストラ境界宙域。


そこに、星環連邦宇宙軍所属・一個機動艦隊がいた。


正式名称、第八遊撃機動艦隊。

俗称、「掃き溜め艦隊」。


そして、その参謀長を務める男が一人。


カミシロ・アツシ大佐。

年齢三十代前半。

肩章だけ見れば、十分な出世組。

しかし配属先を見れば、

「どこで上層部の地雷を踏んだんだ」と

誰もが首をかしげる立場だった。



---


「――アツシ大佐、司令がお呼びです」


艦内通路のインカムが

乾いた電子音とともに鳴る。


「場所は?」


旗艦ラグランジュ第一作戦室。

 “急ぎで”とのことです』


「“急ぎで”ね」


アツシは、

ひとつため息を飲み込んでから答えた。


「了解。すぐ行くと伝えてくれ」


通信を切り、

歩調を少しだけ速める。


連邦標準型巡洋戦艦を改装した旗艦ラグランジュの内部は、

年代物の配線と最新型コンソールが同居する、

奇妙な継ぎはぎだらけの構造をしていた。


「どこの国も、最前線には中古を回すってわけか」


ぼそりと独り言を言いながら、

アツシは作戦室の自動扉の前に立つ。


扉が開くと同時に、

やや大きすぎる声が飛んできた。


「おう、来たかカミシロ!」


第八遊撃機動艦隊司令官、

オルガ・バーネット中将が、

くるりと振り向く。


五十代半ば、がっしりした体格、

顔には古傷と深い笑い皺。

見た目だけなら「歴戦の提督」に分類される男だ。


問題は、その中身だった。


「お呼びですか、司令」


アツシは一応、軍規どおりに敬礼する。


「“急ぎで”とのことでしたが」


「ああ、重大事だ」


バーネットは胸を張り、

作戦卓に投影された星図を指さした。


「統合作戦本部から新しい命令だ。

 我が第八遊撃機動艦隊は、

 アウストラ境界宙域において――」


「“帝国先遣艦隊の撃滅”ですね」


アツシは、

既に表示されている文面を一歩前に出て読み上げた。


星図の端に、小さく赤いマーカー。

それが、偵察衛星の報告による

天宙帝国艦隊のシンボルだった。


「はいはい、またざっくりした指示ですね」


「お前な」


バーネットが眉をしかめる。


「もう少し素直に“光栄です”とか言えんのか」


「命令そのものは光栄ですが――」


アツシは肩をすくめる。


「中身が“敵艦隊の規模不明、目的不明、編成不明。

 とりあえず行って何とかしろ”では、

 光栄より先に不安が来ます」


作戦命令文には、

こう書かれていた。


> 天宙帝国艦隊の動きがアウストラ境界宙域に観測された。

第八遊撃機動艦隊は当該宙域に進出し、

必要に応じて敵艦隊を撃滅、もしくは排除せよ。




「……まあ、そういうこった」


バーネットは頭をかいて笑う。


「だがな、カミシロ。

 俺たち遊撃艦隊の仕事なんて、

 いつだってそんなもんだ」


「それは否定しませんが」


アツシは星図を拡大しながら言った。


「問題は、“なぜこのタイミングで、

 この宙域なのか”です」


アウストラ境界宙域。

連邦と帝国の主戦線から微妙に外れた、

補給線の節のような位置。


ここを押さえておけば便利だが、

正面会戦の勝敗を即座に左右するほどではない。


「帝国としては、

 ここを確保しておけば

 “いざという時の横道”ができる」


アツシは、

星図上に細い矢印を描く。


「連邦としては、

 ここを取られると補給線の選択肢が一つ減る」


「主戦場じゃないが、

 痛くないわけでもない。

 そんなところだな」


バーネットがうなずく。


「つまり――」


アツシはまとめる。


「本部にとっては、

 “正面の大将たちの邪魔にならない範囲で

 片付けさせたい仕事”

 ということになります」


「言い方がいちいち腹立つな、お前」


バーネットは苦笑した。


「だがまあ、間違っちゃいない」



---


作戦室の隅には、

他の主要幕僚も数名、

控えていた。


副司令のラフィー少将。

砲術担当のメイスン大佐。

通信・情報のエーミル中佐。


その全員が、

アツシとバーネットのやり取りを見ながら

苦笑を浮かべている。


第八遊撃機動艦隊では、

この光景は日常だった。


「で、カミシロ」


バーネットが、

ようやく本題を振る。


「お前の“頭のほう”は、

 この命令をどう料理してくれんだ?」


「そうですね」


アツシは、

星図の別の部分を呼び出した。


天宙帝国側の既知拠点。

宙商同盟の航路。

民間補給ステーションの位置。

そして、アウストラ宙域を通過する

いくつかのルート。


「まず前提として、

 帝国がここに先遣艦隊を送る理由は

 三つ考えられます」


指を一本立てる。


「一つ。

 純粋な偵察。

 連邦の防衛線を探るための“つつき”」


二本目。


「二つ。

 将来的な作戦のための前進拠点候補。

 ここに小規模な補給基地を置いて、

 後で主力を通したい」


三本目。


「三つ目は?」


バーネットが問う。


「――“餌”です」


アツシは、

表情を変えずに言った。


「連邦が、

 “応じざるをえない程度には痛い”場所に、

 わざと小さな艦隊を置いておく。

 そこに遊撃艦隊を引きずり出し、

 別の場所で主力を動かす」


「囮か」


ラフィー少将が、

腕を組み直す。


「遊撃艦隊が囮を追いかけている間に、

 正面のどこかが殴られる――

 そういう筋書きだな」


「その可能性がある以上」


アツシは続ける。


「“命令どおり、全力で撃滅に向かう”のは

 賢いやり方ではありません」


「じゃあどうする」


バーネットが、

にやりと笑う。


「命令違反にならない程度に

 “賢く”やるプランは、

 考えてあるんだろうな?」


「もちろん」


アツシは、

あっさりと頷いた。


「第八遊撃機動艦隊は、

 “アウストラ宙域に進出し、敵艦隊を撃滅、もしくは排除する”」


命令文をなぞりながら、続ける。


「この文面のどこにも、

 “我々が前に出て殴り合え”とは書いてません」


「……なるほど」


通信担当のエーミル中佐が、

口元を押さえて笑いをこらえる。


「また“解釈の妙技”が出るわけですね、大佐」


「軍人の特権ですよ、中佐。

 “解釈”と“現場判断”は」


アツシは、

軽く片目をつぶった。


「司令」


「なんだ」


「第八遊撃機動艦隊の任務は、

 “敵艦隊の撃滅”ではなく――」


アツシは、

細いレーダーラインを宙域に描き足す。


「“敵艦隊の目的の特定”にすり替えるべきだと考えます」



---


バーネットは、

しばらく黙ってアツシの顔を眺めると、

派手に笑い出した。


「はっはっは!

 やっぱりお前は性格が悪いな、カミシロ!」


「褒め言葉として受け取っておきます」


「もちろん褒め言葉だ。

 俺は、性格の悪い参謀が大好きでね」


バーネットは、

作戦卓を拳で軽く叩いた。


「いいだろう。

 “敵の目的を暴く”ことを第一に据える。

 その上で、状況が許すならぶん殴る。

 これでどうだ」


「最高です、司令」


アツシは、

きちんと敬礼して見せた。


「では、作戦案を三本ほど用意します。

 “どの程度殴るか”の違いで」


「三本もか?」


ラフィーが目を丸くする。


「いつものことだろう、ラフィー少将」


エーミル中佐が肩をすくめる。


「カミシロ大佐の作戦案は、

 たいてい“A案:無傷で勝つ”“B案:多少の被害で勝つ”“C案:負けない程度に逃げる”の三本立てだ」


「便利そうで、

 どれも気が重くなるパターンだな」


メイスン大佐が苦笑する。


「“無傷で勝つ”なんて、

 普通は夢物語だ」


「夢物語を一応作っておかないと、

 “現実的な勝ち方”の線引きができませんから」


アツシはさらりと言った。


「それに――」


バーネットが笑う。


「こいつの“夢物語”は、

 たまに本当に実現するからな。

 だから本部の連中も、

 こいつを完全には切れんのだ」


「それで掃き溜め艦隊に回されたのなら、

 複雑な話ですけどね」


アツシは、

半分本気、半分冗談の声色で言った。



---


会議は短時間で切り上げられた。


「作戦案がまとまり次第、

 再度ブリーフィングを」


アツシがそう告げると、

幕僚たちは散っていく。


作戦室に残ったのは、

カミシロ・アツシと、

オルガ・バーネット中将だけになった。


「……なあ、カミシロ」


「あまり良くない呼びかけ方ですね、司令」


アツシは、

わざとらしく眉を上げる。


「そういう言い方の時は、

 たいていロクでもない話です」


「勘がいいやつは嫌いだ」


バーネットは、

少しだけ真面目な顔になった。


「本部の連中のあいだでな。

 お前の名前が、

 ちょっとずつ広まり始めている」


「……それは、

 あまり嬉しい知らせではありませんね」


「俺もそう思う」


バーネットは、

肩をすくめる。


「“使える駒”という評判ならまだマシだ。

 だが、“面倒な駒”になり始めている」


「面倒、ですか」


「“現場で勝手なことをして、

 しかし結果だけは出す参謀”」


バーネットは、

にやりと笑った。


「上から見た印象なんて、

 そんなもんだ」


「間違ってはいませんが。

 言い方が気に入りませんね」


アツシはあっさり返した。


「司令も、その“面倒な参謀”を

 手元に置き続けているわけですが?」


「だから俺も、本部から見れば

 “同類”ってわけさ」


バーネットは、

わざとらしく胸を張ってみせる。


「いいか、カミシロ。

 お前はその頭脳のせいで、

 いずれ前線から引きずり出されるぞ」


「脅しですか?」


「警告だ」


バーネットは、

初めて真剣な声を出した。


「お前みたいなやつは、

 どこの軍にもそう多くはいない。

 だからこそ、

 上にとっては邪魔にもなるし、

 利用価値も高い」


「光栄なことです」


「皮肉を言うな」


バーネットは、

ため息をついた。


「いいか。

 もしもお前が、この“掃き溜め艦隊”から

 本当の意味で引き抜かれる時が来たら――

 それは“出世”じゃなくて“召し上げ”だと思え」


「随分と、

 やさぐれた軍人哲学ですね」


「長くやってると、

 それぐらいは分かるようになる」


バーネットは背を向けた。


「……今のうちだぞ、カミシロ」


「今のうち?」


「“無冠のまま勝てる”時間は、だ」


振り返りもせずに、

そう言い残して出て行った。



---


作戦室に一人残されると、

アツシは短く息を吐いた。


(“無冠のまま勝てる時間”、か)


多少の勲章はある。

階級もそこそこ上がった。

だが、自分の名前が

軍の「公式戦史」に大きく載るような戦いは、

まだやっていない。


「無冠の軍略士ね」


自嘲気味に呟いて、

作戦卓に手を伸ばす。


アウストラ宙域の星々が、

再び宙空に浮かび上がる。


帝国艦隊のシンボル。

連邦側の補給線。

宙商同盟の商船ルート。


それらに、

アツシは細い線を一本、一本、

引き足していった。


(――さて)


頭の中で、

幾つものパターンが

同時に動き始める。


敵の意図。

味方の愚かさ。

政治の都合。

兵站の現実。

そして、

“ここで勝った場合、誰の手柄になるか”。


(どうせ俺の名前なんて、

 報告書の中に小さく紛れ込むだけだ)


それでも構わない。

構わないが――


(勝ち方ぐらいは、

 こっちで選ばせてもらう)


カミシロ・アツシは、

静かに笑った。


「第八遊撃機動艦隊、アウストラ宙域進出作戦」


端末にそうタイトルを打ち込み、

付け加える。


> A案:敵艦隊行動目的の特定および、

   最小限の交戦による排除。

B案:敵艦隊の各個撃破。

C案:敵主力誘導を目的とした偽装敗走。




「――英雄は要らない」


誰にも聞こえない声で、

独りごとのように言った。


「俺が戦場を動かす」


その瞬間、

アウストラ宙域という

銀河の片隅の名前が、

まだ誰も知らないまま

静かに戦史のページを一枚めくろうとしていた。


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