ティアーデ ~悠雪のスピディフス~
紅零四
0.もう一人のおばあちゃん
雪降る夜。
茶髪茶眼にとても白い肌の女性が椅子に腰かけて何かを読んでいた。
外の様子もあって地球ならば北欧の人だろうかと思うかもしれないが、彼女の耳の形は地球人とは異なる。
細長い形の耳は地球で言う所の“エルフ”がもっとも近いだろうか。
暖房魔具のお陰で寒くはないが夜。
それも雪が降っている所為で雲に覆われており空の灯りはない。
頼りの光は傍の机に置かれた魔照石の灯りだけであった。
「ばーちゃん、もう寝なって」
そんな女性に声を掛けたのは薄紅色の髪に茶色の瞳の少女。
彼女もまた女性と同じ白い肌に細長い耳を持っていた。
二人はこの“ティアーデ”と呼ばれる世界に暮らす人種の一つ“
「年寄り扱いすんじゃないよ」
少女の言葉に女性は視線を手元に落としたまま言葉を返した。
何やら読んでいる様だがめくる速さは
彼女の目線の先にある一冊の本。
それは彼女と大切な人たちの記録が綴られたものであった。
これまで生きて来た人生を毎日欠かさず記録したものではない。
ちょっとした出来事を気が向いた時に記録してきただけだ。
それでも女性と“家族”にとって大切な記憶の断片が記録されていると言えるだろう。
長らく大事な物を入れる棚にしまってあったのだが近頃は寝る前に目を通すのが日課になりつつあった。
「・・・いや、年寄りじゃん」
「まぁ、そうなんだが・・・」
少女が指摘すると二人はほぼ同時に笑みを浮かべた。
だがそれでも女性は目線を上げる事無く本に目を落としたままだ。
その姿が気に障ったのか。
少女はムッとした表情をすると女性の向かいの椅子にドスンと腰掛けた。
それでも女性が全く気にする素振りを見せなかった為、少女は不貞腐れた様子で頬を膨らませた。
彼女たち二人はこの雪に閉ざされた田舎村で暮らす家族。
茶色の髪に茶色の瞳の女性が“祖母”のメリレニヤ。
薄紅色の髪に祖母と同じ茶色の瞳の少女が“孫娘”のレヴィミニヤだ。
孫娘のレヴィミニヤはこの年一三歳。
細身ながらも鍛えられた身体からは年相応の若さを感じさせる。
一方の祖母レヴィミニヤの見た目は地球人の感覚では四〇代半ばと言った所。
祖母にしては随分と若く見えるが彼女の年齢は二五七歳。
孫娘とは二四四歳の差があった。
「ばーちゃん・・・あんま無理しないでよ」
「・・・なんだい。今日は随分と引き下がらないね」
「だって・・・・・・一日でも長く元気でいて欲しいもん」
しばしの沈黙を挟んでレヴィミニヤが発した言葉にメリレニヤはようやく視線を孫娘へと移した。
祖母の視線を受けたレヴィミニヤは不満そうな、それでいて不安そうな。
何とも悲し気で寂しそうな表情を浮かべていた。
愛する孫娘のその表情はメリレニヤの胸を締め付けるものだった。
レヴィミニヤの表情の理由。
それは祖母メリレニヤが寿命を迎えつつあることだ。
精々あと四年か三年か、或いは二年くらいだろうか。
日に日に身体が思う様に動かなくなって行く事実は彼女自身もよくわかっている。
今年に入ってからは体調を崩しやすくなってきたし、その所為で孫娘を心配させるとことが随分と増えてしまった。
生まれて間もなく母を亡くしたレヴィミニヤは祖母に育てられた。
レヴィミニヤにとっての祖母は素直じゃないけど優しくて温かい大好きな家族だ。
それと同時に強く逞しい“師匠”の様な存在でもあった。
しかし、この一年で祖母の老衰をはっきりと感じる様になった。
その事実がレヴィミニヤには悲しくて寂しくて。
“私、もうすぐ一人になっちゃうんだ”と感じ不安を募らせていた。
その所為か近頃は孫娘から祖母へと心配する言動、行動が増えた。
“今日は寒いからこれも着て”、“私が買い出し行くからばーちゃんは家にいて”と言った具合だ。
それに対しメリレニヤは文句を言いながらも大人しく孫娘の言う通りにすることが増えていた。
今の彼女には元気だった頃と同じ様な口調を維持するのが精一杯だった。
「・・・良いかい、レヴィ」
「うん?」
「あんたには“もう一人のおばあちゃん”がいるんだ」
本を閉じながらメリレニヤがそう言うとレヴィミニヤは無言でただ祖母を見つめた。
孫娘の表情にメリレニヤは苦笑した。
顔に“ばーちゃんがおかしなこと言い出した”とはっきり出ていたからだ。
レヴィミニヤは純粋な子だ。
それ故かつい思ったことをそのまま口にしてしまう所があった。
メリレニヤが“そう何でもかんでも口に出すもんじゃない”と言って来たことで最近は口に出さなくなった。
だが顔にはっきりと出る為、結局隠せていなかったりする。
それでは意味がないと思いつつも孫娘のこの純粋さがメリレニヤには堪らなく愛おしかった。
「私が死んでもその“もう一人のおばあちゃん”があんたを迎えに来てくれる」
「・・・・・・ほんとに?」
「ああ、本当だ。“あの子”は必ず来てくれる」
メリレニヤが話し続けてもレヴィミニヤは疑いの眼差しを向けたままだった。
この世界の“家族”の概念は地球とは異なる。
メリレニヤはレヴィミニヤにとって“母の母”であるから祖母である。
これは地球と同じだが“父の母”を祖母と言えるかどうかは家族の形による。
そしてレヴィミニヤの場合は“父”がいない為、“父の母”である祖母は“存在しない”のだ。
勿論謂わば生物学的な“父”にあたる者はいる為、同じく生物学的な“父の母”である祖母は存在する。
しかし、この世界では“父”として家族に含まれていなければ父ではない。
“両親が結婚し夫妻であること”・・・つまり夫婦となっていなければ遺伝子的な繋がりはあっても“家族”とは見做されず、それが当たり前の価値観となっている。
その為、“私にもう一人のおばあちゃんなんている訳ない”とレヴィミニヤはこの世界では当然のことを思い祖母の言葉を疑っていた。
「“もう一人のおばあちゃん”の名は“ラミリヴァ・スピディフス”と言ってね。私とロディは“ラミ”と呼んでいたんだ」
「・・・ラミおばあちゃん」
しかし、メリレニヤが具体的な名前を出すと表情と眼の色が変わった。
その様子にまだ信じ切ってはいなくとも興味は抱いたようだとメリレニヤは感じた。
「あんたのお母さんは会えなかったけど・・・ロミアとメヴィは子供の頃に可愛がってもらったんだよ。あの二人は“ラミおばさま”と呼んでいたっけ」
母が会ってないと聞いた一瞬、レヴィミニヤの表情が“なんだ嘘か”と物語った。
だが直後には二人の伯母の名前を出され“本当だった!?”と驚いた顔に転じた。
忙しない、それでいて分かり易い表情変化にメリレニヤはつい微笑んでしまう。
彼女は孫娘に“表情も隠せ”とは言って来なかった。
孫娘の純粋さを損ねることに繋がると思ったからだ。
それにしてもあまりに堪え性がない様に見えるのは・・・どうもこの子は母親よりも自分に似てしまったらしい。
いや、自分が堪え性がないと私が認めたことはないが。
随分前に死別した夫がそんなことをよく口にしていた気がしないでもない。
決して自分で認めたことはないのだが。
それでもそう思わざるを得ない。
・・・まぁ、この辺りをどうするかは“もう一人のおばあちゃん”に託すとしよう。
私にはもう、出来る限りこの子に愛情を注ぐこと以外の時間は残っていないんだ。
そう思いながらメリレニヤは“もう一人のおばあちゃん”の姿を思い浮かべた。
自分とは対照的な黒い肌。
雪の様な白い髪に氷を思わせる薄青色の瞳。
無表情でたまにしか笑みを見せない。
そんな“あの子”の姿を忘れたことなどない。
初めて会った時の幼い姿も、最後に会った時の大人になった姿も。
どちらの姿もよく覚えている。
出来れば死ぬ前に今一度会いたい。
会って直接この孫娘のことを託したい。
でも直接会ってしまえば。
きっと“あの子”を深く傷つけることになる。
会わなければ私も“あの子”もきっと後悔する。
それでも“あの子”が傷つく姿はもう見たくない。
私と亡き夫にとって大切な“妹”で。
かつて私たちを救い、共に戦ってくれた“戦友”たちの中でたった一人生き残った“家族”。
あの子をこれ以上傷つけずに済むのなら。
後悔を抱えて先に逝くのも良いだろう。
「どんな人なの?・・・その、“ラミおばあちゃん”って」
つい“あの子”を思い浮かべて黙り込んでいるとレヴィミニヤの方から問いかけてきた。
どうやらこの孫娘もようやく“もう一人のおばあちゃん”の存在を信じてくれたらしい。
そう思ったメリレニヤはこの日から少しずつ孫娘に話す様になった。
“もう一人のおばあちゃん”のこと。
そして彼女と自分たち家族の繋がりを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。