お見舞い
気分転換に買ったものはカフェラテに果肉やホイップクリーム、チョコレートチップが乗った飲み物と、この店オリジナルのチーズケーキだ。朝に比べて如実に財布が軽くなるのを感じるが、精神安定のためにと思えば許容できる出費だった。
さっきより、精神が落ち着き先輩のメッセージに目を向けることができるようになった。
「気になるのが二段目だな。先輩が自分を卑下している箇所だ。あの時先輩と会った時、確かに様子こそ変ではあったけど、目つきが悪いとか、性格が悪いとか、そんな印象はなかった筈だ。単に被害妄想の可能性もあるけど。隼人の目にはどう写っていた?」
「正直に言うと、卒業後は家ではそんな印象でした。ですが、それは場所が場所ですからあまり参考にできないと思いますね。」
「そうか…、取り敢えずここは保留だな。それともう一つ、『何よりも大切なものを犠牲にして―』。ほかは結構具体的に書かれているのに、ここだけ何か抽象的に感じるんだよな。」
「新城さん。」
「取り敢えず、今までの情報を整理してみませんか。」
「えっ、まあ…確かに。やっておいてもいいかもな。」
「そうでしょう?じゃあまず、武沢東高校ですね。ここでは新城さんを除いて、今年度になると生徒と教師全員が学園の人気者だった姉さんのことを忘れてしまっていた。一部、姉さんを覚えている方もいたものの、こちらも姉さんのことを明るい人物ではなく地味な人物だったと発言している。また、彼等に姉さんの功績を見せてもそれを姉さんのおかげではなく、まぐれだったなど、曖昧な返事ばかりだった。ここまであってますか?」
「ああ、あってるよ。それで、先輩の元同級生の話だと、高校時代の人気者だった先輩の噂が学外にも届いていて、今年度になってもその記憶は継続していると。最後に隼人の家族は、ご両親が先輩の卒業と同時に態度を急変させて、高校入学以前の険悪な関係に逆戻り。高校時代の先輩のことは…どうなんだ?覚えてる感じか?」
「いいえ、覚えてそうにありませんね。もともと、姉さんは大学に進学する予定で、それに両親も同意していました。でも、卒業後に合格通知のハガキが届いたときには、大学に進学しても良いなんて言ってないとこれまでの話がなかったことになってて。多分忘れているんじゃないかと。この部分、新城さんの高校にも通じるところがありませんか?」
「というと?」
「今迄の話を鑑みるに、姉さんが奇病に掛かったのは高校入学と同時期で、便宜上あまり適切ではない表現をしますが治ったのが卒業式の後日です。姉さんの行動に対する結果は卒業後もちゃんと残っているのに、周りの人々はそれを覚えていない。つまり、学校の方々と僕の両親は、この三年間の姉さんに関する記憶を奇病に掛からなかった場合の姉さんに関する記憶に置き換えられているんですよ。」
「確かに、それだと学校と隼人の家族の話にだいたいは説明がつくが、俺と隼人はどうなんだ?なんで俺達は奇病に掛かっているときの先輩のことを覚えているんだ?それに先輩の元同級生は奇病に掛かったときの先輩の話を覚えていた。そこの違いがまだわからないから、断言するのは良くないと思うぞ。」
そう指摘すると、隼人はすみません―と、目を逸らしながら言った。その目には何かを隠しているような後ろめたさを含んでいた。
―大切なものを犠牲にして、のうのうとこの三年間を過ごしてきた罪人です。
大切なもの。おそらく隼人はこれが何なのかを知っている。しかし、俺には知られてほしくないのか話をそらして言及することを避けた。今追究してもおそらく隼人は口を割らないだろうし、関係を崩しかねない。今日はそれに関して質問するのは止めて、解散することにした。
――――――
「おー来たかい五ツ木!」
隼人と別れた翌日、祖母の見舞いに行った。大部屋の敷居のカーテンを開けると、祖母はベッドの上に身体を起こして、癌治療の本を読んでる最中だった。ベッド上のネームプレートには手書きで新城由美子と書かれている。それが祖母の名前だ。
「来たよ、婆ちゃん。もしかして点滴の数減った?」
「うん、抗癌剤が点滴から経口薬に変わったからね。長い間、五ツ木には心配かけたねぇ。」
祖母は本を閉じ、眉を八の字にして答えた。いいんだよーと、返しベッドのそばに置かれた椅子に座る。
二ヶ月ほど前まで祖母は末期の大腸癌で意識も朦朧とし、担当医からはもう助からないと言われていた。酸素マスクが顔を覆い、浅い呼吸をしていたのがつい昨日のことのように思える。痛々しい程にやつれた腕に刺さった点滴、ピッピと嫌な電子音を出すペースメーカー。そういったものも全て取り払われ、今でも狭いはずのカーテンの敷居の中は前と比べると随分広々と感じる空間に変わっていた。。
「ねえ、婆ちゃん。白鳥って子覚えてる?」
「覚えてるよ、あの五ツ木がよく世話になってた生徒会長の女の子だろう?話は聞いてるよ。まったく、馬鹿なことしちゃってねぇ…。あの子がどうかしたのかい?」
「いや、時々婆ちゃんも話は聞いてただろ?どんな風に覚えてるのかなって。」
そう聞くと、祖母は喉に魚の骨が刺さったような顔をした。答えが返ってくるまでに嫌な間があった。物置の奥から目当ての物を取り出すような、そんな間が。
「えぇっと、確か…。あれ?どうだったかねえ。もしかして長い入院でボケが始まっちゃったかねえ?」
「…ごめん変なこと聞いた。たまたま…、ボケじゃないと思うよ。まだ七十にもなってないんだからさ。そういえば、何か要る物ある?買ってくるけど。」
そう言うと、祖母はそばにある引き出しから財布を取り出し、お茶を買ってきてくれと頼んだ。お礼にジュース一本買ってきても良いと言われたが、水筒に水を入れてきているので断った。
病室の引き戸を開けて、一番近くにある自販機へと向かう。自販機は大部屋が並ぶ廊下の突き当たりの角のスペースにある。そこには先着が一人いた。七十代くらいの高齢の男性だった。黒縁の眼鏡を掛けて、歳の割に背中が真っ直ぐでスラッとした印象だった。
スマホを耳に押し当てている。誰かと電話しているようだった。
「…の件はウチのやつに頼んでるから。じゃあ、マキちゃん。今日の七時頃に………で。」
電話を終えると、スペースの入口に立っている俺に目線を向けてきた。
「わぁってるよ。院内での通話は控えろってことはよ。でも、ここでの通話は許可されてんの。この病院建てた時はそうだったんだよ。そう、目くじら立てなくてもいいだろうが。」
口調を荒げて、誰も指摘していないことに対してぶつくさと言いながらエレベーターの方向に男は去っていった。変な人もいるものだ。そう思いながら、真っ赤な自販機に硬貨を入れて、お茶のボタンを押す。
その頃にはもうさっきの老人が話している内容もすっかり忘れてしまっていた。
―――――――
「五ツ木。」
一通り話をした後、さあ帰ろうと立ち上がった時、祖母は真剣な表情で俺の名前を呼んだ。
「あんまりあの子のこと引きずっちゃダメよ。お婆、あの時意識がなかったから強くは言えないけど…。でもねぇ、あんたは生きてるんだから、いつまでも後ろ向いてばかりじゃいけないよ。ちゃーんと前向いて、未来のために歩き続けなきゃならんのよ。」
「…わかってるよ。じゃあこれからバイトだから。」
「うん、いってらっしゃい。婆ちゃんも退院したら仕事頑張らなくちゃねえ。」
新城が病室を後にしたのは空が段々と淡い青になる午後三時前だった。
因みに自販機前にいた老人の言っていた、『まきちゃん』というは、裏谷月牧久のことである。新城はこのことに気づくのはもう少し後の話だ。
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