魔法少女

 韓国アイドルのステッカーの裏に隠れていたのは、女子高生のスマホには不釣り合いな可愛らしい魔法少女のキャラクターのシールだった。


「よく気づいたな。」


 「写真とステッカーが斜めに傾いているのを見つけて…。昔から姉は几帳面だったので、もしかしたらと思いまして。」


 確かに先輩は細かいところがあった。定例会議の際、本当なら会議室入口前のカゴに資料を入れて、各々が入室時に取れば良いところを会議前に資料を全席に配置したり、俺が作った広報ポスターを精査してもらったときは、フォントの大きさやズレ、画像の大きさに位置、果ては解像度まで指摘されたりもした。


 随分と前の話だったので忘れかけていたことだった。こういうとき、隼人のような先輩が身近にいた人がいると助かるということが身にしみて理解できた。


 今度は俺が魔法少女にカメラを向けて画像検索を行う。結果はすぐに出てきた。


 ピュアオパール 二〇一一年放映のTVアニメ『キラメキ!ジュエリーガールズ』の登場人物。私立樹得里学園中等部二年生。オレンジの短い髪と瞳が特徴の明るく元気な少女。成績優秀で誰とも仲良く慣れる性格のため、学園では一二を争う人気者。物語序盤からジュエリ―ナイトとして主人公を導き、樹得里市をジャマーク盗賊団から守るため共に戦うことになる。


 決めゼリフは、『一に友情、二に努力、三に勝利で、四に純情!!!』


 画面に現れたのは十年以上前に放映された女児向けアニメのキャラクターだった。そのキャラクター設定は高校での先輩と重なるものを感じた。


 先輩の中学時代の同級生の話を思い出す。


 『いっつも下向いてばっかでさ、喋る時もボソボソ何言ってるか、わかんないんだよね。授業中も寝てばっかなのに試験の点数だけは良くてさ。』


 凄惨な環境で育った白鳥先輩。親からは虐待され、学校では虐められる。そんな中、生きる支えになったのはこの元気ハツラツな少女だったのだろう。インクが剥がれ落ちかけている古ぼけたシールがそう物語っている。少しでも、理想の少女へ近づくため、勉強だけは頑張った。元同級生の言葉からはそんな健気で痛ましい努力の痕跡が読み取れる。


 「本当にこのスマホのロックを解除しても良いのだろうか?」


 今更ながら、そんな言葉を口走ってしまった。学校の異変を解決するため、そして先輩の遺した不穏な言葉の真意を読み解くためにここまでやってきた。しかし、これは本当に正しい行いなのだろうか?異変と言ってもあの学校で誰かが傷ついたり不利益を被っているわけでもない。不穏な言葉の真意を読み解くとしても、そんなのはただの自己満足なのではないか。


 俺達がやっているのは、ただの野盗の墓荒らしなのではないか?


 そんなヘドロのように黒い思考が頭の中でグルグルと回っている。


 「良いと思いますよ、僕は。」


 半端で情けないセリフに返ってきたのはそんなシンプルな肯定の言葉だった。その言葉には若干の影があった。


 「姉さんにはベランダに出て夜空を眺める習慣がありました。それは高校入学前も後もずっと続いてきたことです。ずっと前は暗い目をして夜空を眺めていたのに、いつからか、その目が明るくなりました。それは高校卒業後も変わらずに続きました。泣きながら大学の入学辞退の電話をさせられた時も、数年ぶりに馬乗りにされて殴られた時もその目は変わりませんでした。今思えば、そんな目をするようになったのは新城さんがいたからなのだと思います。」


 隼人は両手を握りながら教会の神父に懺悔をするように重々しい表情で言った。


 「そんな新城さんに読んでもらいたいことがある。それを読むことになんの躊躇いもいりません。悪いことなんて一つもありませんよ。」


 カップに入ったアイスコーヒーはいつの間にか空になって、残るのは氷だけだった。隼人の言葉に押され、先輩のスマホに手を掛けて、堅牢だった城壁と対峙する。


 一二三四。見た目に反して単純な構造の閂が抜かれて、中身があらわになる。姿を表したのはプリインストールされたアプリ以外のアプリがすべて消去された殺風景な城だった。


 メモ帳。そのアプリは俺達の到来を待ちわびていたかのように、一番上の列に静かに座していた。


 タップしてアプリを開く。件のメッセージが一番新しいメモとして表示されている。メモの書かれた日付はちょうど先輩が自殺した日だった。


『新城五ツ木様へ――これを読んでいるということは、私が死んで、隼人あたりが私のスマホを差し出したのだと思います。私は貴方のことが好きでした。虐められていた私を初めて助けてくれた命の恩人。私には到底手を出せない、夜空に輝くシリウスのような人。そんな方に少しでも汚れた手で触れてしまった私の愚かしさに後悔と反省を重ねるばかりです。本当に申し訳ございませんでした。

 

 私は貴方の知るような可愛くて、賢くて、誰とも仲良くなれる素敵な人間ではありません。本当の私は陰気臭くて、目付きが悪く、顔は傷だらけで、性格も悪いゴミのような人間です。二日前―、私の自殺する三日前に会った新城様の目がそれを思い出させてくれました。ありがとうございます。

 

 私は灰かぶりどころではない、私の身勝手な理想で何よりも大切なものを犠牲にして、のうのうとこの三年間を過ごしてきた罪人です。これから私はバラマキとともに大穴に潜り、罪を償うつもりです。でも、どうかお気になさらず。新城様は私のような女は忘れて、幸せな人生を送ってください。それではさようなら。』


 視界が真っ黒になった。ここ一ヶ月、埋まりかけていた心の穴がより大きくなって開いたのを感じる。先輩と会った最後の時、先輩を傷つけるような目をしてしまっていたのだろうか?。このやりようのない自分に対する怒りと無力感が泥となって穴から漏れ出してくるのを感じる。


 のうのうと生きているのはどっちだ?あんなに世話になったのに、何一つ恩を返せなかった俺の方が―――


 「新城さん、しっかりしてくださいッ!!!」


 静かな店内にその大人しめな見た目からは想像できない怒号が響き渡った。周りの雑談をしていた声が止んで、店内はジャズのBGMを残して静寂に包まれた。雑談の代わりにどくどくと耳障りな心臓の心拍音が体中に響き渡る。


 「ああ…ごめん。…ごめん。」


  今の俺にはぼんやりとそう答えることが精一杯だった。


 「もう一杯何か買いますか?ちょっとした気分転換になると思いますけど。」 


 「…そうしようか。今度は何が欲しい…?」


  流石に二杯目は自腹ですよ―と、隼人は答え、俺の歩幅に合わせてカウンターの方まで歩いた。再び雑多な音に包まれた店内は、頭の中に溜まった泥を洗い流してくれたような気がした。


 (今度は、甘いものでも頼んでみようか。)


 少し手が出しづらい価格だったが、こうでもしないとやっていられなかった。

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