10.静かなる死に祈りを
半日ほど、暗い森の中を歩き続けた。
貴族の反乱軍に見つからないよう、舗装された道ではなく、誰も歩かないような険しい道を進んできた。足への疲労が尋常ではない。
「はぁ……そろそろ休憩しようよ、ユナさん」
前を進み続けるユナにウィリアムは提案した。
信じられないことに、彼女はまったく息切れしていない。
「そうですね。暗くなってきましたし、そろそろ野営の準備をしませんと」
すぐ横に目を向けると、大きな川があった。目的地の岩山から流れているらしい。岩山までの地図がないので、この川を沿って、ウィリアムたちは歩いていた。辺りには木の枝がたくさん落ちている。火を起こすための石もあった。
「うん……日が暮れる前に――」
そう言いかけた時だった。
「静かに」
「え、どうしたの?」
「向こうに、人がいます。反乱軍かもしれません」
ささやくような声で言って、彼女は姿勢を低くした。
ウィリアムも剣を手にする。辺りは木の影で暗く、人の姿は見えない。
「何人いる?」
「ひとり、だけです」
数の優位はこちらにあるようだ。しかし、油断はできない。
身を低くしたユナは、慎重に進む。
ウィリアムも後ろから彼女についていく。やがて人間の姿が見えた。ユナの言う通り、鎧兜を着たひとりの人間がいた。ごつごつとした幹にもたれて座っている。
「大丈夫、ですか?」
剣の柄に手をかけながらも、ユナは不安げな声音でその人物に尋ねた。
「ん……」
鎧兜の何者かは肩をぴくりと動かし、ゆっくりと頭を上げる。
ウィリアムは反射的に剣の
「その紋章……貴族家の騎士様ですね?」
ユナは問いかけた。
鎧の肩の部分に、剣と翼の紋章が描かれていた。数時間前に対戦した騎士たちと同じものだ。
「ああ、僕は……スミス家に仕える、騎士だ……」
か細い声で、騎士は訥々とつぶやいた。低い声からして男性だろう。
「スミス伯爵、の?」
「え? 知ってる人?」
ウィリアムの問いに、ユナは小さくうなずいた。
「軍務や戦略に長けており、たびたび魔女様に助言されていた貴族の方です。もしや、スミス伯爵は反乱軍に属されているのでしょうか?」
倒れた騎士に、ユナは再び訊く。
彼は重たげに首肯した。となると、この騎士も反乱軍の一員のようだ。
「僕は……伝令兵だ。報告書を……届けなくては! でも、道中で魔女どもの……王国騎士団に襲われて、馬もやられて……」
なぜ苦し気に話すのか疑問に思っていると、伝令兵の兜の穴から赤いものが流れた。目を凝らすと、彼の周りに積もった落ち葉は赤黒く染まっている。辺りが暗くなっていたので気づかなかった。
「どこか、怪我をされたのでしょうか……!?」
「あぁ、手ひどく、ね。……あなた方は……?」
「ただの、旅人です」
言い詰まりつつもユナは答えた。
「……じゃあ、代わりにこの紙を。どうやら僕は長くない、みたいだ……。南の方に……大きな都市がある」
弱々しい手を伸ばし、伝令兵は筒状になった2枚の古びた紙を差し出した。
ユナは慎重な手つきでそれらを受け取る。開くと、一方は文章が長々と書かれており、もう一方は地図だった。
「貴方も、あそこに行こうとしていたのですね」
(あなたもってことは、ユナもそこに……?)
彼女の発言に引っかかりを覚え、考えこむ。しかし、伝令兵が重苦しげに口を開きはじめたので、その思考は中断させる。
「お願い、だ……どうか……この国を変えてくれ……!」
もがくように、彼は声を振り絞った。
悲痛なその姿を見ていられなかったのか、ユナは彼に近づく。
「それ以上は無理に話さないでください! すぐに、近くで薬草を探して参ります」
声を震わし、彼女は伝令兵に訴えかけた。
彼の虚ろな目が兜の隙間から見える。だが、その焦点は彼女の方には向けられていなかった。
「いい。もう、助からな……」
小さく声が途切れ、伝令兵は首をだらりと横に垂らした。まるで、この無機質な森に溶けこんでしまったかのように彼は沈黙した。
「騎士様? しっかりなさってください!」
動かなくなった彼の肩をつかみ、ユナは必死に揺さぶる。
ウィリアムも近づき、伝令兵の身を動かす。彼の背にはおびただしい量の血が鎧にこびりついていた。首筋に手を当てても脈は感じられない。呼吸も止まっていた。
「……そん、な」
ウィリアムはうつむいた。今日会ったばかりのデルボキラ人だが、目の前で誰かが死ぬのを見るのは、誰であってもやるせない気持ちになる。何度も夢で親の死を見せられているのに、いつまで経っても慣れないものだ。
「……王家へ反逆を企てた者は、王都の法廷で裁かれて死罪になります。たとえ彼が生きていたとしても、運命は変わりません」
ユナは声を静めて告げる。
彼の
無表情な面持ちからは、何も読み取れなかった。
「運命が変わらない、か……」
ウィリアムは死体に目を向けた。彼は魔女に支配されたこの国の現状を変えようとしていた。それが死罪だとは思わない。むしろ立派な人間ではないか。
「救世主様。祈りましょう」
ユナは伝令兵の亡骸の前にひざまずく。両手を合わせて目を閉じた。
「祈る?」
「はい。死者が地に帰って安らかに眠られるように。死者の魂はデルボキラの大地に
その考えは相変わらず空想的に聞こえるけれども、ユナは手を握りしめて真剣に祈っている。冷たい人間ばかりだと思っていたが、この国の人にも弔いの心はきちんとあるようだ。
ウィリアムも彼女にならい、死者に祈りを捧げた。
(埋葬してあげられたら、良かったんだけど)
土を掘る道具がないので、どうしようもない。
デルボキラ人だとしても、誰かの死には目を背けたくなる。もしこの国で命を落とせば、ウィリアムも薄気味悪いこの静寂の中で最期を遂げるのだろうか。
そう思うと、不安がじわじわと沸き上がった。
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