最終章:お前だけが

夜が明けた。

ホテルの窓辺には、淡い朝の光が差し込んでいた。


ベッドの横には、高校時代の写真が静かに置かれていた。

卒業アルバムには載っていない、資料室に残されていた

晶子の写真――二人だけの記憶。


写真の裏には、短い手書きのメッセージが添えられていた。

嬉しかった。でも、忘れてください」


晶子は静かに扉を開けた。振り返らず、

最後の微笑みだけ残して静かに立ち去った。


しばらくして滋昭が目を覚ます。

「アッコ…おはよう」


返事はなく、写真と言葉だけが彼を迎えていた。

慌てて身支度を整え、車を飛ばす。

ボストン行きのフライトならまだ間に合う。


「必ず間に合わせる。もう二度と遠くに行かせない」

と胸を固くして。


空港。

搭乗ロビーには、『イルカ』の『海岸通り』が流れていた。


🎵あなたがこの街離れてしまうことを優しい腕の中で

聞きたくはなかった🎵

歌声に重なるように、搭乗案内が響く。


晶子は何もなかったような微笑を無理に浮かべ、

搭乗口へと歩み始めた。

(これでいいいの。彼に会えた。

彼に迷惑をかけちゃいけない)


その時――


「アッコ、どこにいる!」


騒がしい声とともに、ロビーの人混みを

かき分けて、滋昭が姿を現した。

目が合った瞬間、時間が止まる。


彼は迷いなく走り出した。

空港中に響きそうな足音を鳴らしながら。


周囲の人々が何事かと注目する中、

晶子は涙を浮かべながら言った。

「昨日も言ったよね、走ってきたら怒られるよ…」


滋昭は真剣な眼差しで言った

「怒られてもいい。アッコともう離れたくない」

「なぜ、何も言わずに去ろうとしたんだ?」


「…しっちゃんの人生に私、ずっといなかったのに。

今更入っていけないもん」


「僕の人生でアッコはいなくなってない」

「ずっとアッコがいた。これからもずっと一緒にいてほしい」


晶子は潤んだ瞳で彼を見て訊ねた

「それって…プロポーズ?こんなおばさんに?」


「プロポーズはこのあと、何度でもするよ。

アッコがいいって言うまで」


晶子はスーツケースを手放し、搭乗口に背を向けた。


母親に「さぁ、いって」と背中を押された気がした。


滋昭の胸に走り、飛び込む。

「しっちゃん…もう離さないで」


拍手が沸き起こる。

まるで映画のラストシーンのように温かく優しい

音が二人を包んだ。


ロビーには、まだ「海岸通り」のメロディが流れている。


「アッコ、この歌好きって言っていたね…」

「それと、いつか僕のおすすめの歌を聴かせってって」


滋昭は彼女の耳元で、

「お前だけが」の歌を囁いた。


♪僕は何もいらない。お前だけがいてくれたら、

それでいい。お前の優しい笑顔がそこにあればいいのさ♪


「プロポーズだよ。受けてくれるよね」

何度も繰り返して歌を耳元で囁いた。


晶子は何も言わず、ただ彼の胸に顔を埋めていた。

何度もうずきながら。

(…やっとパー子はパーマンと結ばれたんだ…)


晶子は、しばらく身を委ねていたが、

イタズラっぽく顔をあげる。


「嬉しいけど…『お前』って、ちょっと

偉そうじゃない? パー子って呼んでほしいな」


まっすぐ滋昭の目を見つめ、甘えるように言った。

「あとね、しっちゃん。私のことキレイとか可愛いとかって、

一度も言ってくれてないし…」


「『愛している』も、まだ聞いてないよ」

「女の子はそういう言葉を待っているものなのよ」


滋昭は少し考えたあと、一歩下がり、

まるで英国の騎士のように片膝をついた。


そして、真剣な眼差しで彼女を見上げながら、

しっかりとした口調でいった。

「麗しのパー子様。いくつになっても、その美しさと

気品は変わらず。

パーマンは、永遠にあなたへの愛と忠誠を誓います」


晶子は一歩前に進み、女王のように

手をかざすと、

少し威厳を込めた声で応えた。

「よき心がけじゃ。その忠誠、しかと受け取ったぞ」


二人はしばらく見つめ合い、そして同時に吹き出した。

まるで高校時代に戻ったかのように、無邪気に、そして心から。


通りがかりの人々は怪訝な顔をしていたが、

二人は気にはならなかった。


滋昭は晶子を見つめながら、心の中で叫んでいた

「…やっと、この瞳を取り戻せたんだ。

ずっと焦がれていた瞳が、帰ってきてくれた」


――20年の時を経て、ふたりの新しい恋が静かに始まった。

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