第6章:初めての化粧
季節が初夏から真夏へと移り変わる頃、
中間試験は静かに幕を閉じた。
熱くなった教室に、試験終了を告げるチャイムが鳴り響く。
「あー終わった!長かったなぁ」
「ねえ、英語のあの問題の答えって…」
教室には、久しぶりのざわめきが戻ってきた。
愛瀬が手を叩いて、教壇に立つ。
「ご苦労だった。息を抜きたいところだが、君たち3年生は
優先的に採点される。明日から、結果を踏まえた面接を行う」
「各自、顧問室のスケジュールを確認して来るように」
「面接後、2日の休みがある」
翌日の放課後。沢井は顧問室の前で深呼吸をひとつ。
ノックの音に応えて、愛瀬の声が響いた。
「おー、時間通りだな。入りなさい」
沢井が部屋に入ると、愛瀬は椅子を回転させ、
ゆっくりと彼女を見た。
「今回のテストは本当によく頑張ったな。先生も鼻が高い。
何も言うことはない。このまま続ければ志望校は間違いない」
「帰ってよし」
沢井は一瞬戸惑いながら、口を開いた。
「先生…ほんの1分で面接は終わりですか?」
愛瀬は笑いながら向き直る。
「よし、勉強以外の話をしよう。何か聞きたいことはあるか?」
沢井は少し躊躇いながら尋ねた。
「松岡くんの成績はどうでした?アルバム委員で時間を
取らせてしまったので…」
「松岡は今まで通りだ。沢井ほど伸びてはいないが、
もともとトップ10の成績だ。心配していない」
愛瀬は思い出したように続けた。
「そうか、松岡が練習の件で沢井を庇ったから気になるんだな。
きっと、彼も頑張ったんだろう。合格確率もぐんと上がって
いたぞ」
今回の成績で、松岡、小林、そして沢井がトップ上位に並んだ。
三年生先生会議で由紀江先生から
『愛瀬さんの育成法を教えてください』
なんて言われてな。痛し痒しだ」
沢井が席を立とうとすると、愛瀬はギターを手に取り、
ぽろりと音を鳴らした。
「勉強も大事だが、人生にはそれ以外にも大切なことがある。
俺はよく生徒に音楽を勧めるが、煙たがられる。
でも松岡は違った。ギターの弾き方を教わりに来て、
すぐに俺を追い越しやがった」
「サッカーの練習にも音楽を取り入れて、部のレベルまで
上げた。大したやつだ」
笑いながら言った。
沢井は興味を示し、尋ねた。
「先生、おすすめのアーティストを教えてください」
「いい心がけだ。伊勢正三がいい。松岡にも教えてやった」
「今日はこれまで。明日からの休み、しっかり休め。
休むのも勉強だぞ」
沢井はその言葉を胸に刻み、家路を急いだ。
翌朝。
「晶子、いつまで寝ているの?もう10時よ」
母の声で目を覚ました沢井は、苦笑いしながら布団を跳ねのけた。
「休みも勉強のうち…今日は何をしようかな」
久しぶりに三宮へ行こうと決め、服を着替えて家を出た。
「お母さん、ちょっと三宮行ってくるね」
街は人混みでいっぱいだった。沢井の足は自然と
化粧品店へ向かっていた。
(この前、お母さんの化粧品勝手に使っちゃったし…)
店員がすぐに近づいてきた。
「初めてのお化粧なんですけど、よくわからなくて…」
「失礼ですが、神戸女学院の方ですか?女子大生におすすめがあります」
「ごめんなさい、まだ高校生なんです」
気まずくて店を出ようとすると、
店員が慌てて言った。
「失礼しました。お客様が大人びてらっしゃるので」
「…でも、大丈夫。瞳がとても綺麗なので、アイメークはなしで。
薄いリップと控えめなヘアカラーで十分です」
鏡の前で手際よくメイクを施された。
沢井は鏡に映る自分に
「えっ、これ私」
と驚きながら、
「これでお願いします」
と店員に告げ、レジへ向かった。
ふと目に留まったのは、レジ脇の棚に並ぶ
『パーマン手鏡とペンダントセット』
可愛いデザインに惹かれ、
「これもお願いします」
と追加した。
店を出る時、店員がすっと近づきそっと耳打ちした。
「大丈夫。彼氏とのデート、きっとうまくいきますよ」
と微笑みながら言った。
沢井は『ぺこり』とお辞儀をして店を後にした。
三宮に来るといつも立ち寄る、モロゾフの喫茶店。
店内は子ども連れとカップルで賑わっていた。
「今日は奮発して、プリンアラモード」
と呟いて
「プリンアラモード」
を注文した。
ふと隣の大学生カップルの笑顔に目を奪われる。
「羨ましいなぁ…」
その瞬間、松岡の顔が浮び、ドキドキしている自分に気づいた。
プリンアラモードを大急ぎで口にし、なにもなかったふりをする
晶子だった。
翌日・資料室。
沢井は30分早く資料室に着いた。
驚いたことに、松岡も同じタイミングで入ってきた。
「久しぶりだね。中間試験、どうだった?」
「うん、今回は頑張った。成績も良かったよ。松岡くんは?」
「なんとか現状維持かな」
悔しそうに笑いながら、ちらっと沢井の顔を見た。
「なんか今日は様子が違うね?」
冗談めかした言葉に、沢井は顔が赤くなるのを隠すように
作業を始めた。
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