第1章:春の教室

春の陽射しが、窓際のカーテン越しに柔らかく差し込んでいた。

教室の壁には、まだ新しい時間割表と進路案内のポスターが

貼られている。

生徒たちは、少し浮き足立った様子で席に着きながらも、

どこか緊張した空気が漂っていた。

窓の外では、校庭の桜が風に揺れ、花びらがちらほらと舞っていた。


高校3年の新学期が始まって間もないある日、

3年7組の教室に担任・愛瀬(あいせ)の声が響いた。

ざわつく教室の生徒たちが慌てて着席し、教壇に目を向ける。


「今から初めてのホームルームを行う」

「まず、クラスの各リーダーを決めてもらう」

「その前に、自己紹介をしておく」

 愛瀬先生は教壇に立ち、まっさらな黒板に淡々と大きく

 こう書き込んだ。


「愛瀬 響一。"あいせ きょういち"と読む」

「音楽担当だが、サッカー部とバスケ部の顧問もしている」

「サッカー部とバスケ部の生徒がこのクラスに多いのは

 そのためだ」

「趣味はギターとフォーク」

「サッカー部顧問室に来れば、たまに弾いているかもしれんぞ」


 その言葉に、何人かの生徒が顔を見合わせて笑った。


「君たちは高校最後の学年だ。楽しくも厳しく指導する」

「よろしく」

「引き続き、各委員を決めてもらう」


 委員長、副委員長、風紀委員、美化委員が決まった。


 愛瀬は続けて言った。

「高校最終学年には卒業アルバム委員が他の学年と違い必要だ」

「立候補がいなければ、男女1名ずつ投票で決める」

「文句は受け付けん」


ざわつく教室。誰も手を挙げないまま、投票が行われた。


「男子は松岡、女子は沢井」

「お前ら、協力していいアルバムを作るのだぞ。高校最後の

思い出だ。頼んだぞ」


 続けて、

「今日のホームルームは以上だ」

「あと連絡だが、来週から進路指導をするので、

各自自分の進路を考えておくように」


「なんの委員にも選ばれなくってよかった」とか、

「進路なんかまだ考えてないよー」と、

生徒たちが顔を見合わせる。


愛瀬は、松岡と沢井に

「放課後、サッカー部顧問室に来るように」

と指示し、教室を出て行った。


サッカー部顧問室にて。愛瀬が口を開く。

「二人は今まで同じクラスになったことがないな」

「自己紹介はやっておけ」

「お前ら二人は、進学希望で委員に選ばれて大変だと思うが、

勉学とバランスをとってうまく進めてくれ」

「進め方はお前らで決めるんだ。俺は口は出さん」

「いいか、二人でやるんだぞ。これも社会勉強だ」


続けて、

「去年から松岡が始めた『サッカー部強化計画』を、

 早めに俺に見せてくれ」

「以上だ。退出してよろしい」

 二人は、顧問室を出た。


 松岡が沢井に声をかける。

「とりあえず、来週打ち合わせをしよう。いつが空いている?」


沢井は淡々と答えた。

「月曜なら」

「じゃあ、月曜日で場所は資料室で」


二人は、そこで別れた。松岡は部活に向かった。

歩きながら

「沢井さんって、男子には人気あるよな。クールで、

ちょっと近寄りがたいかなぁ」

「会話が進まないかもしれないから、サッカー部強化計画の

ついでにアルバム作業計画書も作っておくか」と考えた。


グランドに近づくと、マネージャーの西村が近寄ってきた。

「今日のホームルームでアルバム委員になっちゃったね」

「なんか手伝おうか?」


「のりっぺ、沢井さんと仲良かったよね?あとで彼女のこと

教えてくれ」

と言い練習に参加していった。


沢井は、バス停に向かった。


サッカー部顧問室から出てくる沢井に、同じクラスの

サッカー部員が

「アルバム。俺を中心に撮ってよ」

「個別に打ち合わせしよう」

などのちょっかいを掛けてきた。

軽く、あしらいながら考えた。


「アルバム委員かぁ。受験勉強、忙しくなるけど仕方ないか」

「松岡くんって今日初めてしゃべったけど、まだよくわかんないな」

「私、体育会系の人と初めてで不安。のりっぺに明日聞いてみよう」


 翌日、昼休み。沢井は西村に声をかけた。

「ねえ、のりっぺ。松岡くんって、どんな人?」


西村は笑いながら答えた。

「そっか、アッコ、しっちゃんとは初めてのクラスだったね。

『協調型キャプテン』って感じかな」

「頭もいいけど、それを鼻に掛けないし、周りをちゃんと

見ている。たぶん、アッコとはうまくやれると思うよ」


「わかった、ありがとう。なんかあったら助けてね」

と言い、席に戻り、何事もなかったように授業の予習を始めた。

次の週。資料室。


沢井は補習授業が延び、急いで資料室へ向かっていた。


ドアを開けると、すでに松岡が来ていて、机の上に

分厚いノートを広げていた。


「これ、スケジュールと作業分担の案」

「ざっくりだけど、週ごとに進める内容と、誰が何をやるかって

感じで書いてみた」


沢井は驚いたようにノートを覗き込む。ページには丁寧な表が

並び、作業の流れがわかりやすく整理されていた。


(…え、こんなにちゃんと考えてきているの?すごくない?)


松岡の説明を聴きながら、自分の作業量が少なめに

設定されていることに気づいていた。

「…これ、もう少しバランス取ってもいいかも。私もちゃんとやるから」


沢井は続けた。

「松岡くん、部活もあるし忙しいでしょ?」

「基本は私がやるから、手が空いたときだけ手伝ってくれれば…」


松岡は静かに首を振った。

「いや、それはちょっと違うと思う」

「週に1回は集まって進めよう」

「受験もあるし、負担は分け合った方がいいよ。愛瀬も二人で

するようにといっていたし」

「沢井さん、神戸外大を受けるって聞いたよ」

「勉強の方が大変だろう」


沢井は、自分の志望校を松岡が知っていたことに驚かされた。


少し反発するように言った。

「でも、松岡くんも受験生でしょ?同じじゃない」


「部活は調整するつもり。まぁ、男だし…一浪くらいは覚悟してるよ」

沢井は素直に従うことにした。


心の中で(そんなふうに言えるの、ちょっとかっこいいかも) とつぶやいた。


沢井の心の中の扉の鍵が「カチリ」と音を立てた。

その音は、まだ小さな予感だった。

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