悪役公爵令息に転生したが、破滅ルートが多すぎて処理落ちしそうなんだが!?
新条優里
第1話悪役公爵令息、即死ルートを目撃する
――首が落ちた。
刃が閃き、断頭台の上で転がる生首。
自分のものとは思えないほど青ざめた顔が、血飛沫の向こうで呆然と瞳を見開いていた。
『これで貴様の悪行も終わりだ、ヴァルター・エーデルシュタイン!』
高らかに宣告する声。
白い軍装に金の刺繍を施した青年――王太子アレクシス・フォン・アルクリア。
群衆は歓声を上げ、罵声を飛ばし、俺の死を祝福する。
石畳に赤い線が伸びていく。
それを俯瞰するような視点で、俺はただ、その光景を眺めて――
(……ああ。これ、やったな)
どれだけ攻略しても、パターンを変えても、最後は必ずここに辿り着く。
全ルート死亡確定の悪役、公爵令息ヴァルター・エーデルシュタイン。
そのバッドエンドの瞬間を、俺は何度も画面の前で見てきた。
――なのに今度は、当事者側の視点で。
目が合う。
断頭台の上の、“俺”と。
(……いやいやいや、待て待て待て)
「――あああああああッ!」
叫び声と共に、意識を引きずり戻された。
視界に飛び込んできたのは、見慣れない天蓋付きのベッド。
金糸で花紋様が刺繍された布、壁には重厚な油絵、窓からは朝日が斜めに差し込んでいる。
息が荒い。喉が焼けるように痛い。
胸を押さえてしばらく呆然とした後、俺は自分の手を見下ろした。
白くて、細くて、指が長い。
前世でキーボードと書類を相手にしていた二十七歳男の手ではない。
「……あー。はい。うん。転生ものですね、これは」
乾いた声が出た。
寝間着代わりの上質なシャツの袖を捲り、腕をつねる。
痛い。ちゃんと痛い。夢ではない。
ベッドから降り、ふらふらと部屋の隅に立てかけられた姿見の前に立つ。
鏡に映ったのは、銀髪、薄紅色の瞳、整いすぎた顔立ち。
人を見下したような形の口元は、デフォルト設定で傲慢そうに見える。
そして何より――どこからどう見ても、俺の記憶の中の“あいつ”そのものだ。
「……うわぁ、本当にヴァルター・エーデルシュタインだ」
ゲーム画面越しに何百回も見た悪役貴公子が、そこにいた。
高慢、冷酷、ヒロインいじめが生きがい。
王太子ルートの恋路を徹底的に妨害し、最終的に公開断罪からの処刑。
他ルートでは、国外追放からの山賊に惨殺、魔具事故で爆死、政争に巻き込まれ断頭台行き。
そう、どのルートでも必ず死ぬ、最強最悪のバッドエンド製造機。
「よりによって、ここかよ……」
額を押さえながら、ベッドの端に腰を下ろす。
頭の奥で、前世の記憶と、こっちの世界の記憶がごちゃ混ぜになって渦を巻く。
日本のどこにでもいるようなブラック寄りの会社員。二十七歳。
趣味はゲームと読書。特に乙女ゲームは、妹に押しつけられて無理やり始めたが、
気づけば全ルートコンプリートしていた。
合理主義で計画性はあるが、困っている人間を見ると放っておけない性格。
気づけば、会社でも後輩の相談役みたいなポジションになっていた。
……そんな前世の俺が、目を開けたらこの世界だった。
ヴァルターとして育った記憶も、同時にある。
エーデルシュタイン公爵家の嫡男として、幼い頃から英才教育を受け、
魔導式と政治学を叩き込まれ、周囲からは「冷酷な若様」と恐れられている。
だが、中身は今、完全に“前世の俺”だ。
「……すげぇな。人格上書き型転生か。聞いてないぞ、そんな仕様」
自分で自分にツッコミを入れつつ、呼吸を整える。
大丈夫だ。混乱してる場合じゃない。
問題は、このキャラが全ルート死亡確定だという事実だ。
俺は立ち上がり、机に向かって紙とペンを取り出した。
インク壺の蓋を開け、さらさらと書き出す。
◆ 破滅フラグ一覧(原作ゲーム『花冠のアルクリア』より)
【共通】
・悪名高い公爵令息として学園入学
・ヒロインへの嫌がらせイベント多数
・王太子の恋路妨害役
【ルート別】
① 王太子ルート
入学初日の“嫌がらせ誤解” → 評価最悪スタート
→ 度重なるトラブル → 公開断罪 → 断頭台で首チョンパ
② 魔導戦ルート
魔具実技で暴走事故 → リリスを庇って死亡
→ ヒロインのトラウマイベントとして語られる
③ 政略ルート
宰相令嬢ルクレツィアの罠にはまり、政敵として失脚
→ 王都の民衆に晒され処刑
④ 学園退学・国外追放ルート
ヒロインへの嫌がらせ+問題行動累積 → 退学
→ 公爵家からも見放され国外追放 → 山賊イベントで死亡
「…………」
書きながら、ため息をひとつ。
「なんだこれは。死の詰め合わせセットか? 選び放題バッドエンドコース?」
どこを切っても死亡。
途中でフラグを折っても、別のルートから死が殴り込んでくる。
攻略時点でも、「制作スタッフの私怨がこもってるのでは?」と噂されたレベルだ。
「だが――」
ペンを置き、指で机をとんとんと叩く。
「ゲームと違って、ここは“今”進行中の世界だ。
フラグが立つ前に折ればいい。立った時点でへし折ってもいい」
前世で培った合理主義と、
数多のゲームで鍛えた“フラグ管理能力”。
そして、公爵家嫡男としての立場と資源。
「全部使えば、さすがに何とかなる……と信じたいな」
冗談めかして言いつつ、心臓はまだ速く打っている。
あの断頭台の感触は、ただの夢にしては生々しすぎた。
あれを現実としてもう一度味わうとか、絶対に御免だ。
そのとき、扉を叩く控えめなノック音が響いた。
「若様、失礼いたします」
「どうぞ」
入ってきたのは、使用人頭の中年男。
きっちりとした制服姿で、深々と礼をする。
「王太子殿下より書状が届いております」
そう言って差し出された封筒には、
青い獅子の紋章――アルクリア王家の印章が押されていた。
嫌な予感しかしない。
封を切り、中身を読む。
《エーデルシュタイン公爵家嫡男ヴァルター・エーデルシュタインへ。
アルクリア魔導院入学初日の午後、第一応接室に参上されたし。
お前の最近の振る舞いについて、一言申し述べたいことがある》
「……あー、うん。来たな」
原作イベントログが脳内で自動再生される。
入学初日。
ヒロインに対する嫌がらせと噂される出来事が立て続けに起こり、
王太子が「不快だ」と呼び出しをかける。
ここでヴァルターは傲慢に反論し、王太子の怒りゲージが一気に上昇。
以後、何をしても“悪意ある行動”として解釈されるようになる――
「破滅フラグ①、確認。発動時刻は入学初日の午後っと」
習慣でメモしてしまうあたり、前世の職業病が出ている。
使用人頭が、不安そうにこちらを見ていた。
「若様……ご気分が優れないようですが」
「ああ、いや」
俺は作り笑いを浮かべた。
この顔で笑うと、どうしても相手を見下しているように見えるのが難点だ。
「殿下との面談など、光栄なことだよ。書状は受け取ったと伝えてくれ」
「はっ。かしこまりました」
使用人頭が下がり、部屋から出て行く。
扉が閉まる音を聞きながら、俺は鏡の前に立った。
そこには、“悪名高い公爵令息”の姿。
だが、目の奥にあるのは、前世の合理主義者の光だ。
「悪名は認めるが、中身はもう別物だ。……殿下には、そろそろ仕様変更をお知らせしないとな」
軽く髪を整え、制服の上着を羽織る。
白を基調としたアルクリア魔導院の制服。紺のマントには、公爵家の紋章が刺繍されている。
イケメンで高貴で悪名高い。
スペックだけ見れば、モテないはずがないのに、
原作ではヒロイン以外にも嫌われまくっていたのがこの男だ。
「どうせなら、スペックくらい役立てさせてもらおうか」
ドアノブに手をかけたところで、ふと立ち止まる。
(……そうだ。最優先で確認すべき対象が一人いる)
この世界のバッドエンドの本当の原因。
全ルート死亡の裏側で、必ず触れられていた、“世界の歪み”。
――ヒロイン、リリス・フロリアン。
彼女の潜在魔力が、世界そのものを狂わせる引き金になる。
原作では、その暴走が遠景で描かれただけだったが――俺はすでに知っている。
「守るべきものは絶対守る、だったな。前の俺」
小さく呟いて、扉を開けた。
長い廊下。
赤い絨毯の上を、革靴の音を響かせて歩く。
窓の外には、王都アルクリアの街並みが広がっていた。
尖塔の並ぶ屋根、魔導灯を備えた街路、朝靄に煙る白い城壁。
ここが、原作で何度も見た背景の“現物”かと思うと、変な感慨がある。
角を曲がった、そのときだった。
「あ、あの……!」
小さな声と共に、目の前に誰かが飛び出してきた。
反射的に足を止める。
ぶつかりそうになった相手は、慌ててスカートの裾をつまんで下がった。
淡い金髪をゆるく結い、花弁を思わせる装飾のついたリボン。
陽の光を透かして輝く、薄紫の瞳。
白地の制服の胸元で、小さな花の形をしたペンダントが揺れている。
花の香りが、ふわりと漂った。
「……」
一瞬、息が詰まった。
ゲーム画面では何度も見た姿。
限定スチルの角度も、立ち絵のバリエーションも、全部覚えている。
けれど、こうして“生きている人間”として目の前に立たれると、印象はまるで違った。
リリス・フロリアン。
この物語のヒロインであり――最終的に世界を改変してしまう、危険すぎる存在。
彼女は、俺の顔を凝視して、少しだけ目を丸くした。
「あの……失礼いたします。
あなたが、エーデルシュタイン公爵家の――その、“悪名高い”嫡男様でいらっしゃいますか?」
……悪名高い、か。
言葉を選んだ結果がそれなのだろう。
清楚で控えめそうな外見のくせに、しれっと毒を混ぜてくるあたり、なかなかの度胸だ。
「悪名高いの部分は、もう少しぼかしても礼儀として許されると思うが?」
皮肉混じりに返すと、リリスは「わっ」と小さく肩を震わせた。
「ご、ごめんなさい! その……噂で、いろいろと……」
「噂の内容は後で報告してくれ。改善可能な点があれば、検討しよう」
「改善するつもりがおありなんですか?」
「少なくとも、死刑台行きは改善したいところだな」
冗談めかして言うと、リリスはぽかんと口を開けた。
次いで、どうしていいか分からない、といった風に視線をさまよわせ――
ふい、と笑った。
それは、少しだけ肩の力が抜けたような、安堵混じりの笑みだった。
「噂とは、少し違う方なのですね」
「噂というのは、大抵の場合、尾ひれと背びれと角と触手がついているものだ」
「触手まで生えてしまうんですか……?」
「俺に関する噂なら、そのうち本当に生えるかもしれん」
軽口を叩いていると、
リリスの表情から、最初の強い警戒は少しずつ薄れていくのが分かった。
――この感じだ。
前世でも、初対面で緊張している新人を、適当な冗談でなだめていたのを思い出す。
やはり俺は、こういうのが性に合っている。
「リリス、何をしている!」
穏やかな空気を断ち切るように、鋭い声が響いた。
振り向くと、廊下の奥から、金髪の青年が足早に近づいてくる。
王太子アレクシス。
完璧な容姿と練り上げられた笑顔。
しかし今、その顔には露骨な苛立ちが浮かんでいた。
「ヴァルター! 貴様、リリスに何を言った!」
「事実と、少量の冗談を」
「ふざけるな! 彼女が困っているのが分からないのか!」
いや、さっき普通に笑ってたけどな、と心の中でツッコむ。
口には出さない。出したらフラグが加速する。
アレクシスは俺を睨みつけ、そのままリリスの前に立ちはだかった。
「リリス、怖い思いをしただろう。もう大丈夫だ。僕が来た」
「あ、いえ、その……。殿下、ヴァルター様は別に――」
「庇わなくていい。こいつは昔から、弱き者を弄ぶことしか考えていない男だ」
……原作の台詞だ。細部に違いはあるが、ほぼテンプレ通り。
この世界は、かなり忠実に“ゲームのイベント”をなぞっているらしい。
だったらこっちも、準備をしておく価値はある。
「殿下」
俺は一歩前に出て、わざと“公爵家嫡男らしい尊大さ”を纏ってみせた。
「本日の面談とやらで、じっくりとお話を伺いましょう。
……ついでに、これまでの誤解を、すべて解かせていただきたい」
「誤解、だと?」
アレクシスの眉が釣り上がる。
廊下の空気が、ぴん、と張り詰めた。
リリスは二人の間でおろおろしている。
ここで下手なことを言えば、即座にフラグが立つ。
だが、何も言わなければ、原作通りに悪評が積み重なっていくだけだ。
俺はあえて、ほんの少しだけ、挑発的な笑みを浮かべた。
「ええ。殿下が、俺のことを“どういう男”だと聞かされてきたのか。
その誤解の構図ごと、きれいさっぱり整理して差し上げましょう」
「その口の利き方……!」
アレクシスの怒気がさらに増す。
だが、今ここで爆発させるわけにはいかない。
彼にとっても、“公の場”での振る舞いを無視できる性格ではないのは知っている。
王太子はきつく舌打ちし、マントを翻した。
「……いいだろう。午後、第一応接室で待っている。
そのときに、貴様の“誤解”とやらを聞いてやる」
「恐れ入ります、殿下」
丁寧に一礼してみせると、アレクシスはリリスの肩を抱き寄せ、そのまま歩き去っていった。
彼の影が角を曲がって消えるまで見送ってから、俺はようやく息を吐いた。
「……ふぅ。めんどくさい男だ」
「で、殿下は、優しい方です」
隣で、小さくリリスが口を尖らせている。
どうやら、王太子に好意を持っている、原作初期の状態そのままらしい。
それはそれで、攻略情報としてはありがたい。
「たしかに、自分が正しいと信じた相手を守る時の行動力は、尊敬に値するな」
「それは、褒めているのですよね?」
「もちろんだとも」
俺が頷くと、リリスはほっとしたように息を吐いた。
……この子、本当に世界改変級の爆弾候補なのか?
そう思った矢先だった。
「若様ッ!」
焦りを含んだ声と共に、先ほどの使用人頭が廊下の向こうから走ってくる。
年甲斐もなく全力疾走しているのが分かる。
「どうした」
「ま、魔導院の実技棟で、魔具の魔力値に異常が出ているとの報告が……!
本日午後の入学者向け実技体験で使用する予定の魔具とのことで、急ぎの確認を――」
「……実技棟、魔具の異常、入学者向け体験」
聞き覚えのありすぎるワードの羅列に、背筋が冷たくなる。
原作ゲームのテキストボックス。
そこで何度も見た警告メッセージが、脳内に浮かんだ。
《※イベント:魔具暴走事故が発生しました》
この後に続くのは――
ヒロインを庇って、悪役公爵令息が爆死する、あの鬱イベントだ。
「ちょっと待て。あれって、本編開始から何日か経ってからのイベントだったはず……」
俺の呟きに、使用人頭が目をぱちくりさせる。
「若様?」
「いや、独り言だ」
フラグの発生タイミングが、微妙に早い。
王太子面談イベントと、魔具暴走イベントが、ほぼ同日に重なっている。
これ、どう考えても――
「……処理落ちして、フラグが同時多発してないか?」
嫌な予感しかしない。
俺は額を押さえつつ、決断した。
「分かった。実技棟に案内してくれ。魔具の状態を俺も確認する」
「で、ですが若様、そんな危険な――」
「死ぬ可能性を放置する方が、よほど危険だ」
キッパリと言い切ると、使用人頭は口をパクパクさせた後、観念したように頷いた。
「かしこまりました。すぐに馬車の用意を――」
「いや、歩きでいい。時間が惜しい」
俺はマントの裾を翻し、リリスの方を振り返る。
彼女は心配そうにこちらを見ていた。
「ヴァルター様……?」
「大丈夫だ。ちょっと、俺の破滅フラグのメンテナンスに行ってくるだけだ」
「……それは、冗談でしょうか?」
「半分冗談で、半分本気だ」
苦笑してみせると、リリスは困ったように笑い返した。
その笑顔を一瞬だけ胸に刻み、俺は歩き出す。
断頭台。国外追放。山賊。政争。魔具暴走。
どれも御免だ。
だから、全部まとめてへし折る。
「さあ――悪名高い公爵令息ヴァルター・エーデルシュタイン様の、
破滅ルート大掃除の時間だ」
そんなふざけた宣言で、自分を奮い立たせながら。
俺は、最初の破滅フラグが待つ実技棟へと向かった。
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