第33話 最悪の再会
手洗い場の鏡に映る自分の頬は想像以上に赤かった。
アルコールのせいだと自分自身に言い訳するも、もう心は完全にわかっていた。
それでも認めたくなくて、綾斗は鏡に映る自分に言い聞かせるように呟く。
「これは恋じゃない。これは……、恋じゃない」
自分が好きになると、相手は自分に飽きてしまう。
『思っていたのと違った』
そう言われて、これまで何度も恋が終わってきた。
だから、これは恋じゃない。そうすれば、終わることだってない。
傷つくことだって、ない。
頬の色がひき、感情が平坦になるまでには時間がかかった。
トイレから出ると、パーテーションの隙間から見えた店内では、雅は泥酔したのか腕に突っ伏して眠っており、千早は知り合いを見つけたのか、平場のテーブルへ移動していた。
雅を起こして一緒に帰るか――そう思い、席に戻ろうと一歩踏み出した、その時。
カラン、とドアの鈴が鳴り、玄関から、男が二人入ってくるのが見えた。
その片方の男の容貌に、足がぴたりと止まる。
カウンターの空席へ向かう客の横顔がちらりと、けれどはっきりと見えて、綾斗は確信した。
アルコールで火照っていた体が、一瞬にして冷たくなっていく。
息を呑む綾斗をよそに、気の抜けた声が響いた。
「ここ初めて来るんですけどぉ」
粘り気のある声色で話す小悪魔風の男は、隣にいるチャラ男の腕に自身の腕を絡ませている。
「ここ実は、前に付き合ってたやつと出会った場所なんだよね」
「えー、なにそれ、元彼との思い出の場所に連れてくるなんて、誠ってば最低ぇ」
たいして最低とは思ってないような口ぶりでクスクスと笑う小悪魔は、愛嬌たっぷりの顔で拗ねて見せる。
小悪魔に呼ばれた名前を聞いて、自分の見間違いではなかったかと、綾斗は薄く唇を噛んだ。
思わず、パーテーションの陰に身を潜める。
そこにいたのは、誠だった。去年のクリスマスに、自分を捨てた元彼。
もう未練なんて一ミリもないのに、誠を目の前にすると、胸がざわついてしまう。もう二度と恋愛なんてしない、そう誓ったあの日を思い出して、すっと体温が下がった。
このタイミングでの登場に、神様からお前はもう恋愛してはいけないのだぞ、と戒められているような気になる。
いかにもビッチそうな小悪魔は、両手で頬杖をついて、やけに甘ったるい声を出す。
「その元彼って、めちゃくちゃ美人だったって言ってた人?」
「あれ、俺ユキに、あいつのこと話したっけ」
「去年のクリスマス、朝起きたら鍵置いてあったじゃん。あの時に聞いたよ。えっとぉ……確か、性格がくそつまんなかったって」
くすくすと楽しそうに笑う小悪魔の声と裏腹に、綾斗の心臓がドクンと脈を打つ。手のひらに、嫌な汗が滲んだ。
「そうなんだよ。もうさ、一緒にいて本当につまんなくて。苦行だったわ」
平日だからか客が少ないことも相まって、狭い店内に、誠の声が響く。
「確かにめちゃくちゃ顔はタイプだったけど、本当に顔だけっていうか。中身もエッチもほんとつまらなかった」
「ひっどーい」
言葉が矢になって綾斗の胸にぐさり、ぐさりと刺さっていく。痛くて、苦しくて、ひどく惨めだった。
誠は、隣に座る小悪魔の腰に腕を回した。
「なんていうか、月って遠くから見てたらすごい綺麗じゃん? でも、近くで見たらクレーターばっかりで汚いみたいな、そんな感じ? 見た目はクールで美人なのに、性格は根暗で、いつもおどおどしてて。エッチもほんと単調で。あっ、ちょい潔癖の気があるのか、絶対口でしてくれないし。なんか全体的に思ってた感じじゃなかったんだよね。綾斗より、断然ユキの方がエロイしかわいい」
「えーほんとぉー?」
久しぶりに呼ばれた名前に、思わず体が固まる。
どこかで「別の人の話かもしれない」と思っていたが、その逃げ道は今、完全に塞がれた。
紛れもなく自分のことだと突きつけられ、喉の奥から酸っぱくて苦い何かがせり上がってくる。
「いや、マジでパッケージに騙されたわ。いうなれば俺、被害者だからね? あそこまで中身と見た目違ったらもう詐欺だもん、まじキチィわ」
キャハハハと重なって聞こえる二つの笑い声がいやに耳にまとわりつく。その笑い声につられて、綾斗も自嘲の笑みを浮かべた。
逃げることも、文句を言いにいくこともできず、床に足が縫い付けられたように動けなくなる。
『一緒にいて本当につまんなくて。苦行だったわ』
『なんか全体的に思ってた感じじゃなかったんだよね』
『あそこまで中身と見た目違ったらもう詐欺だもん』
誠の言葉が鼓膜にへばりついて、反芻される。
「……しんどいな」
吐息と共にこぼした言葉は重く、海の底に沈むようにゆっくり落ちていった。
ここが嫌だったとか、あれに腹が立ったとか、もっと具体的なことだったら、次の恋愛に向けて、直すように努力もできただろう。けれど、性格の根幹は、そう簡単に変えられない。
これまでの恋人たちも、それが原因で別れを切り出してきたのだとしたら。
――やっぱり、恋愛なんて、もうするもんじゃないな。
そう思って、拳をぎゅっと強く握ったその時、ドンっと鈍く重い音が、店中に響いた。
空気を震わすほどの音に、誠たちの下卑た笑い声がピタリと止み、店内が一瞬で静まり返る。
陽気なBGMだけが空気を読めずに流れ続ける中、重く低い声が真っ直ぐに伸びた。
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