主人公

クランベア*

第1話

 ピピッ

「…うん、今日もお熱あるね」

「そう、ですか」

「体も、ちょっと痛いって昨日言ってたよね」

「…はい」

「そうだよね。…ごめんね、今日のレクリエーション参加予定だったと思うんだけど、」


あぁ、また?


「今の佐和田さんの体調を考えると」


看護師さん、言いづらそう。もう慣れっこだから大丈夫なのに。


「ちょっと難しいかな。悲しいと思うけど、今日は」


「部屋でゆっくり、ですよね。大丈夫です。分かって、ますから」

「…そっか。そうだよね」


うん。わかってる。今までも、こんなこと何回もあったんだから。

だから、そんな申し訳なさそうな顔、しなくていいのに。



 私を静かにベッドに横にさせると、看護師さんは部屋を出ていく。テーブルに置いてある小さな時計を見ると、いつもと同じ時間だった。

この後は、本が途中で終わってるから続きを読んで、本に飽きたら窓の外を見て、それでもお昼ご飯まで時間があれば絵をかけばいい。それで、お昼ご飯を食べ終わった後は少しだけ寝て、起きたら窓の外を見る。そうすれば、時間が合えばランドセルを背負った私と同じくらいの子達が歩くところが見れる。


窓の近くになれて良かった


ふと、そう思った。



 ここにいると、時間の進み方とか、いつもの過ごし方とか、いつも同じに感じる。もう病院についてほとんど分かってしまっているくらいには、私はずっとこの世界にいる。



ピロンピロン!ピロンピロン!

ビービー!ビービー!



突然激しく響き渡ったアラーム音の後、すぐに廊下が慌ただしくなる。


「___さんモニター異常です!」

「すぐ確認して!___さん!___さん!」

「人数足りない!呼んできて!!」

「AEDは!?」

「保護者に連絡して!!」


大勢の人と言葉が行き交う音が部屋に漏れてくる。名前と大人が急いでいく方向を頭の中で照らし合わせると、一年位前に入院してきた小さい男の子のところだった。


今日も一人いなくなっちゃうのかな


大体の事には慣れる。何年間もいるんだから、慣れる事の方が多い。でも、どうしてもこの音と緊張感は慣れなくて。なんとなく、いつか自分もそっち側になりそうで。そうしたら、私はいったい、どうなってしまうんだろう。


日々の繰り返し。同じことの繰り返し。同じトラブルの繰り返し。

同じハッピーエンドの繰り返し。同じバッドエンドの繰り返し。


けれど今日、いつもと違ったことは、久しぶりにお母さんが来てくれたこと。



 「なかなか会いに来られなくてごめんね、紗佳」


お母さんは指輪を通したネックレスを着けてる。指輪を指に付けないでネックレスにしてるのは、お仕事中は指輪をつけれないからだって、前言ってた。


「だいじょうぶ。お仕事、いそがしい、んでしょ?」

「…ごめんね」

「ううん。だいじょうぶ」


お母さんは私に会いに来ると、絶対にごめんねって言う。本当にだいじょうぶなのに。


きっとお母さんは、私が何を言っても、それは元気だった時の私が言った言葉じゃなくて、もう元気じゃなくなった今の私が言ってる言葉で。だから、受け取ってくれないんだと思う。


だから私は何も言わない。困らせるだけなら迷惑だ。


「来てくれて、うれしい」


そう言ってにこっと笑えば、大人は安心するってことを、私は知っている。


やっぱり安心してくれたお母さんは、私とお話するための材料を探してるみたいに目をちょっとだけウロウロさせてて。だから私も協力するように、手元にある、さっきまで読んでた本を、少しだけ痛む腕を動かして触った。

お母さんはそれに気付いて少し目を見張った。


「その本、さっきまで読んでたの?」


「うん」


私のその返事を聞いて、お母さんは安心したみたいだった。


「そっか。…それ、お母さんが前買ってきた本だよね。どんな内容なの?」


「今読んでる本、は、小学校で、いじわるをされてる、主人公が、一つ年上の、男の子に助け、られるお話。…読んでて、楽しいよ」


「そっか。良かった。…全部読めたら、どんなお話だったか、お母さんに聞かせてくれる?」


「うん。いいよ」


「ありがとう。約束ね」


「うん」


お母さんが来てくれたのは、面会が終わる一時間前。けれど、熱が上がってしまった私のぼやぼやとした顔を見て、お母さんは早く帰ることに決めたらしかった。


「また来るからね」


「うん」


「今度はお医者さんからいいよって言われてる果物、持ってくるからね」


「うん」


そう言って、お母さんは私をベッドに横にならせた後、最後まで私の方を見ながら、部屋のドアを閉めた。



 閉められたドアから目をずらして、天井に目を向ける。

お母さんには読んでて楽しい、なんて言ったけれど、本当は、最近は本がいやになってきてしまっていた。だって、そこにいる主人公はいつも、私みたいな子じゃなくて、たとえば学校に通ってたり運動が得意な子だから。


 物語の主人公は、だいたい決まってる。元気だったり優しかったり、さみしがり屋だったり、いばりんぼうだったり。色々あるけど、絶対に人に囲まれてる、そんな子。でも、私は違う。私は、『やさしい』で『がまん強い子』で『頑張れる子』だけど、私の周りに人はいない。


私は、主人公には、なれない。


そう思いながら目を瞑れば、息が深くなった気がした。



 次に目を開けたのは、夕ご飯の時間だった。看護師さんに「起きれるかな?」なんて言われて起こされて、ついでと熱を測られて、測っている間にテーブルに夕ご飯のセットが置かれる。

もうずっと、ご飯はあまり原型を留めていないけれど、それでも美味しさは前から変わらない。私みたいな年の子が食べるには少し大人っぽい内容のご飯を、少しずつ口に入れて飲み込む。


学校で出てくる給食っていうご飯は、ここの病院のご飯と、どんな違いがあるんだろう


入院して少しだった時くらいにそんなことを思って看護師さんに聞いたら、「うーん、どんなかなぁ」なんて、目を合わせずに苦笑いで返されてから、私はあまり小学校のこととかを聞かないようにしている。



 ご飯を食べ終えたら、また絵をかいたり、本の続きを読んで消灯まで過ごす…はずだったけれど、なんだか今日はいつもより体が痛くて。

少しは痛いのが紛れるかもしれないと思ったから、今日は早く寝ようと思ってまた目を瞑った。それでも痛みは治まらなくて。


あれ、なんか、いつもより痛いの無くならないな


なんて思いながら、息を深くした。




 起きたら、不思議な場所だった。

体を起こしたら、痛かったのも熱いのも全部無くなってて。部屋やベッドはそのままなのに、全部に白い膜が張ってあるみたいだった。ナースコールは見当たらなかったけれど、痛いのが無いなら別にいいかと思って、久しぶりに自分だけでベッドを降りて、部屋から抜け出した。

いつもなら部屋から出るだけで「どこに行くの?」って聞いてくる看護師さんもここにはいなくて、廊下をいくら進んでも声どころか、人の姿も見当たらなかった。

ここは一体どこなんだろう。知ってる病院のはずなのに、どこか違う感じがする。


「私が知らない内に違う病院に移されたのかな」


そんなことを呟きながら廊下を歩いていくと、どこからかピアノの音が聞こえた。そこで一つ思い出す。


「今読んでる本の主人公が男の子と会った時もピアノの音がしてた」


少し試してみたくなって、本の内容を思い出しながら再び歩き始めた。



 本では、ピアノの音を不思議に思った主人公が音のする場所を探して廊下を歩いていく。

同じようにピアノの音を頼りに歩いていけば、院内学級の教室に辿り着いた。


主人公は音楽の教室にたどり着いて、そこで初めて男の子に会った。

私は、院内学級のドアを開けた。数年ぶりに開けたドアの先にいたのは、主人公を助けてくれる男の子、なんかじゃなくて、入院してすぐに友達になった女の子だった。



 「…つきなちゃん?」


ドアの開く音に気づいた女の子は、ピアノを弾いていた手を止めて、私を見ながら微笑んだ。


「久しぶり。あれ、名前教えたっけ?」

「ううん、看護師さんから教えてもらった。この前遊んでた子と遊べなくなっちゃったよって」

「そういうこと」


そう言いながらつきなちゃんは椅子から立ち上がって私の方に歩いてくる。


「ねぇ、何となくもう、分かってるでしょ?」


「どういうこと?」


「ここがどんな場所なのか」


そう言われてドキッとする。ここがどんな場所なのか。少なくとも、現実ではないことは、もう目の前につきなちゃんがいることで分かってる。けど、それ以外は分からない。けど、よく本では夢の中のお話も出てくるから、


「夢の中?」


そう言うと、つきなちゃんは少し笑ってから


「なんでそう思ったの?」


なんて問いかけた。


「本では夢の中のお話が出てくる時があるから。つきなちゃんはもう、いないから、現実じゃないし」


その返答を聞いてから、嬉しそうにつきなちゃんはまた笑った。


「そういう、本が好きなところ、変わってないんだね」


そう言われて、返答に一瞬迷う。普段なら、大人が安心する言葉を選んで言う。けど、ここには大人はいないみたいだから、そのまま言おうと思った。


「うん。でも、最近はあまり好きじゃないの」


「どうして?」


「私は主人公になれないって、知っちゃったから」


「それだけ?」


「…あと、最近体がずっと痛くて。本を読む手も、痛くて。ちょっとだけ、疲れちゃうから」


「そっか」


そう、最近、ずっと体が痛かった。看護師さんに伝えたのは昨日だったけれど、それよりもずっと前から小さな痛みは続いてて。その痛みがツキツキからズキズキになって、頻度も上がっていってた。急に強くなり始めたのが昨日だっただけ。


「あ、体が痛くないのも、現実じゃないから?」


「そうだね。ここが現実じゃないっていうのは合ってるかな」


そのつきなちゃんの返事を聞いて、何となくこの会話の正体に気づけた気がした。



 きっとこれは、私の『自問自答』ってやつだ。

多分ここは夢で、自分への質問をする人としてつきなちゃんを無意識に選んだのだと思う。そしてこの空間でそれに答えていく、そんな夢なんだと思う。


本でもそうだった。男の子に会った主人公は男の子に質問を沢山されて、その質問に答えられなくて逃げてしまう。確かそんな内容だった。

けど、そこで終わり。本の内容を覚えているのはここまで。だって、ここまでしかまだ読めてないから。だから、ここからどうやって夢が続いていくのか、分からない。これから何かを言われても、どんなことを言えばいいのかは、自分で考えなきゃいけない。


 「ねぇ」


そんなことを考えていたら、つきなちゃんがふいに私に声をかけた。


「ねぇ、さやかちゃんが選ぶとしたら、どっちがいい?」


「え?」



「現実に戻ってまた脇役に戻るか、ここで主人公になるか」



「…え?」


つきなちゃんの、言ってることが分からなかった。


「ここね、現実から離れる一歩手前の場所なの」


「…夢じゃなくて?」


「それも分からないくらい曖昧な場所なんだよ。でも、現実じゃないところに移動できる場所。…さやかちゃんは、」


どっちがいい?


どうやら、ここで私はどっちにするか選べるみたいだった。



少し悩んだ後、決めた。


「こっちがいい」


「…理由、聞いてもいい?」

表情を変えることなく、私に質問してきたつきなちゃんに、ちゃんと答えようと思った。


「体が痛いのもないし、熱も出ない。痛いからって息を詰めることもないし、会話を途切れさせることもない。大人が私を見て可哀想って思わないし、お母さんもゆっくりできる。あとは、ランドセルを見て、良いなって思っちゃうことも無くなる。…それに、」


「…それに?」


「病院にずっと入院してるだけの脇役じゃなくて、友達と一緒にいれる主人公になれるなら、そっちがいい」


そう言い切った私を見て、つきなちゃんは目を見張っていた。


「現実には、戻れなくなっちゃうんだよ」


「うん」


「…どこに行けるかわからないよ」


「うん」


つきなちゃんは、私に選択肢を与えた本人のはずなのに、何故か泣きそうになってた。


「つきなちゃん泣かないで」


「…泣いてない。…離れ離れに、なっちゃうかも」


離れ離れは、悲しいよね。なら、


「なら、離れないように、ずっと手、繋いでおこうよ」


本の中の主人公を真似して、つきなちゃんと目を合わせながらにこっと笑った。うん、今の私、主人公みたい。


ついに泣いてしまったつきなちゃんの手を取って、ぎゅっと強く繋いだ。そして目を閉じる。


したかったこととかは、もうあまり思い出せない。したかったことも、小さい時のことで止まってるし。

あぁけど、けど、どんな感じだったんだろう。お友達と一緒に学校に行くとか。ランドセルから荷物を出すとか。宿題を忘れちゃって怒られるとか。

ランドセルからカバンに変わって、中学生になるとか。お勉強して、自分のしたいお仕事をするとか。看護師さんになって、病気の人のお世話をするとか。


学校に通えてたら、私には、どんな友達ができたんだろう。

私は、どんな大人になったんだろう。


「大人って、どんな感じなんだろー…」


そこまで思って、私は感覚が無くなった。

ぎゅっと繋いだ、手の感覚だけを残して。







ピロンピロン!ピロンピロン!

ビービー!ビービー!


「佐和田さん、モニター異常!」

「人呼んで!!!」

「AED誰か!!早く!!!」

「保護者に連絡!!急いで!!」


バタバタ、バタバタと深夜の病院の廊下に響き渡る、人が行き交う音。


それを見る二人の少女。



「別の場所って、こういうことだったんだ」


「だから最後ちょっとだけ引き止めたのに。さやかちゃんのばか」


「泣かないで。だって、本当にこっちが良かったんだもん」


「ごめんね、ごめんね」


「謝らないで。ごめんは苦手なの。…でも、一緒にいれて良かった」


「…うん」


「これでずっと、いっしょにいられるね」


大人にはなれないけど、友達と一緒に入れる。

私は、そんな主人公になれたんだ。

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