第8話 女王4

 女王は、ゆっくり立ち上がる。

 アレスの前で両手を広げていく。

「あなたも、私のせいで苦しめられてきたのですよね? 私など想像もできない辛い思いを、これまでにたくさんしてきたのでしょう。本当に、申し訳ありません。いくら謝罪しても、取返しはつかない」

 そうですよね? 女王は、確認するように、青いペンダントと瞳を揺らして、確認してくる。

 アレスはただ、それを見返していた。茶色い目の奥は、黒い。

 女王は、その黒さの奥を見透かすように、青い双眸を歪めていた。

 

「私の身勝手な発言で、亡くなっていった方たちもたくさんいたはずです。このまま私がこの世界に存在すれば、更なる悲劇を呼び込んでしまいます。本当に戦争が起きて、もっと犠牲者が増えていく。悲しみは今以上に、膨れ上がってしまう。これ以上、更なる不幸を生まないために、どうかあなたの手で私を消してください」

 青い目はどこまでも強かった。先ほどまでの気弱な涙は消えて、青い瞳も乾きっている。

 先ほど殴られた時できたもなのか、頬が赤く痛々しいほど腫れていた。

 そんなこと、意に返さず女王は素足で近づき、自分の命を差し出してくる。

 

 アレスは、無防備に差し出してくる白く細い首筋を見つめる。

 父ジャンの真っ赤に染まった顔が。母ソフィアの生気を失った青白い顔が。

 自分の底しれぬ怒りと憎しみが、女王の首筋と重なっていく。

 アレスのポケットの中で、ナイフを握りしめる手が、頭にくるほど汗ばんでいた。

 いま自分自身に起きている頭と心の矛盾を一致させ、確実に女王の心臓を止めるために、アレスは女王を睨んだ。

 

「あなたにそこまでの覚悟があるのならば、なぜ、抵抗しない? なぜ、男の言いなりになる?」

 アレスは、女王の赤く腫れている頬へ目をやる。

 抵抗するたびに、暴力で押さえつけられ、無理やり演説の場へ引きずり出さたのかもしれない。それでも、公衆の面前では、ミリオンが押しつける言葉を自分の言葉に置き換えは、できたはずだ。演説できることがあったのではないか。

「……私は、ミリオンの前では抗うことができないのです」

 女王は、目を伏せた。自分を責め立てるような憤りで強く噛んだ女王の唇に血が滲んでいく。

 アレスの眉間にしわが寄る。

「どういう意味だ?」

「演説の時、私が必ずつける赤いイヤリングは、ご存じですか?」

 アレスは頷く。

 女王の演説は、現地で何度か見たことがある。女王が大きく口を開けるたびに、女王の耳元の赤いイヤリングは、何もできないアレスを皮肉るように輝いていた。

「あれは、ミリオンによる魔法が込められているのです」

「魔法?」

 現実離れしている単語に、アレスは耳を疑った。魔法だなんて、作り話の中でだけに存在する話だろう。困惑するアレスをみて、女王は長い睫毛を伏せた。その目の下には、色濃い影が浮かび上がっていく。

「信じられないのも当たり前です」

 そうつぶやいた女王は、自分の白く細い手を見つめ、目を細めた。その手をゆっくり胸の青いペンダントへ移動させ、ぎゅっと握り込んでいく。

「あのイヤリングを身につけると、私の中に流れる魔力と反応し、魔法が発動する。そして、私の体はその時点で、制御できなくなる。意識はそのままなのに、勝手に言葉が紡がれて、身体が動いていくのです。どんなに抗おうとしても、術を破ることができない。どうすることもできないのです」

 握り込んでた青いペンダントが女王の手から離れ、大きく揺れた。

「……ですから、どうか今すぐに私を殺してください!」

 女王は鋭く言い放った。

 アレスの鼓膜に届き、脳を震わせる。アレスの暗殺者としての顔を引きずり出していくようだった。 


 この存在を消すことを心待ちにしていたのは、俺だけじゃない。

 レジスタンスの仲間たちも、大事な人を殺され、復讐に燃え上がっていたのに、道半ばで殺されていった。悔しいと、涙しながら。

 目の前で死んでいった仲間たちの無念を、アレスが貰い受け、自分が晴らしてやると約束した。

 ならば、もうこれ以上質問を続ける意味も、無駄な矛盾を抱える必要はない。

 託されたみんなの思いだけに集中すればいい。

 

 アレスは、ふっと息を吐いてポケットの中の硬く冷たい感触確かめ、引き抜く。

 女王の青い瞳も、受け入れるように瞼の奥へと消えていた。

 アレスは女王が手を広げ続けている体の中心へ、鋭い刃を突き出した。


 

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