理想的な沼夫婦
@rokuyo
第1話 出会い
朝の光が差し込むリビングで、私はブランケットを膝にのせて、ぼんやりとコーヒーを飲んでる。
理人と結婚して2年。隣にいるのが当たり前の日々を過ごしてる。
いまだに、この部屋に私が居る事が現実なのか、不思議な感覚にふと襲われる。
朝、マネージャーさんに迎えに来てもらって仕事へ出かけた理人。
「弥刀、いってくるね」って、私だけに見せるほわっとした甘い笑顔を向けて。
ふと、飲み残した理人のコーヒーカップを片付けながら、出会ってからの日々を思い返してしまう。
あの時の私は、毎日どこかで理人のことを思っていた。
「今日も元気かな…」
あの日々を思い返すと胸がぎゅっと苦しくなる。
それでも、あの頃の理人を思い出すと、自然に顔がほころぶ。
昔の私は、不安を抱えてた。
まだ“守られてる安心”を知らなかったから。
距離の取り方が下手で、すれ違ったり、探り合ったりしていた頃。
いま思えば青くて、でも必死で、
胸の奥がひりひりするような時間。
理人との出会いは5年前、まだ私が有名ブランド店で働いてた時。
たまたま理人がバックを買いに来て、接客したのが出会ったきっかけ。
あくまでお客様のひとりとして接してたから意識してなかったけど、理人はまた数日後店に来て、キーケース探してるって買いに来てたなってぼんやり覚えてる。
――――――
私「こちらのお色味で宜しかったでしょうか?」
理人「は、はい、うん、なんでも、いや
それで結構ですっ」
やばっ……バッグ見てるふりして、俺ずっと見ちゃってる。
俺は、正直その後、何回もお店の前まで行った。
“今日はいないかな”“もうシフト終わってる時間かな”って、ガラス越しに中の様子チラッと見るのが日課みたいになってた。……最初から顔がタイプとか、そういうんじゃなくて、それより先に“話し方”と“間”が刺さる。接客なのに、妙に落ち着く間があって。無理して明るくしないで、ちゃんと見てくれてる感じがして惹かれてた。
でも何度も行ったのに、声かける勇気出せなくて半年ぐらい経ってしまって
きっかけは――あの日
突然のゲリラ豪雨で、弥刀が傘忘れて店の外でちょっと困ってた日。
お店のスーツ姿じゃなくて、ラベンダーのシャツにデニム姿でカジュアルな格好の弥刀だったからか、客としてじゃない、声掛けるならいまだって勇気が出たんだ。
運命とか大げさな言葉は苦手だけど、ほんとに天が味方してくれた気がした。
弥刀に“ちょうど帰るとこだったんです”って嘘ついて、一緒に駅まで歩いたあの日。
冷たい雨の中、俺の肩と前髪だけがびしょびしょで、弥刀の方は全然濡れてなくて。
「大丈夫?」って渡してくれたタオル、受け取る時の笑顔がなんか反則級に優しくて。
そのまま帰したら後悔する気がして、つい「服乾くまで…お茶でも」って言葉が出ちゃった。
カフェで向かい合って、湯気越しに見る弥刀は、雨で前髪がちょっと下りてて、お店で見る大人っぽいお姉さんではなくて、やけに少女っぽく見えた。
気づいたら、心のどっかがほわって温かくなってた。
連絡先交換して、俺からアプローチして付き合えることになった時は、舞い上がって嬉しくて、大切にするって本当に思った。
だけどその後すぐ、俺の俳優デビューが決まり、撮影のスケジュールがどんどん詰まっていく。
俺は弥刀と会う暇もないくらい毎日走り回っていた。
心の奥では、彼女に連絡したい、声が聞きたい、顔を見たいって気持ちが消えたわけじゃないのに。
何も言わずに責めない彼女に甘えて、LINEも返せない日が続き、会える日もほとんどなかった。
俺のせいで彼女は我慢して、寂しい思いをさせてるって思い込んでしまって、言葉にならない罪悪感が押し寄せ俺は空回りしていった。
彼女の様子を考えるたびに、電話も控えて、距離を置くしかないと思い込んでしまった。
そしてある日、俺の忙しさと彼女の我慢が重なった瞬間、勢いで言われた言葉が頭に響く。
(「もう、無理かも…」)
弥刀は涙声で、でも強く決意したように、別れを告げてきた。
その瞬間、俺は何も言えなかった。言葉に詰まったまま、ただ頭が真っ白になった。
俺だって会いたい、抱きしめたい、謝りたい。
でも、その場ではどうしても声が出なかった。
(あの日、俺がちゃんと理解していれば…あの日、ちゃんと抱きしめていれば…)
そう思うたびに、心の中で後悔が波のように押し寄せる。
一年後にまた会えるなんて、この時の俺には想像もできなかった。
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